8-10 絡み酒と怖い話

「婿殿。若いのだから、まあ、仕方ない面もあるが。しかしだ、君はいささか甘いぞ?」

 

 いきなり義父ナルセジャスルールにそう絡まれて、オディラギアスは、くいっと杯の中身をあおってから尋ね返した。

 地上世界で言うならワインに分類されるその酒は、他の種類の飲食物と同様に、地上のそれよりはるかに美味い。

 

「んん……はあ、私が甘いのですか? あなたみたいな方からすると、大体の人類が甘くなりませんか、義父上(ちちうえ)」

 

 オディラギアスもかなり出来上がっている。

 

 ナルセジャスルールの脇で酒を注いでやっているミスラトネルシェラと、オディラギアスの杯に注いでやっているレルシェントが、顔を見合わせて苦笑した。

 

「あー、出来上がってきたー。さーて、そろそろ退避時だぞぉ」

 

 おどけて席から立って逃げ出したのは、カーリアラーン。

 彼も少し酒が入っているが、父と義弟の出来上がりようからして、絡み酒の心配をしたようだ。

 

「そうねえ、もうお風呂に入って寝るわ、あたし」

 

 ドニアリラータは可愛くあくびした。

 彼女も少し酒が入っているが、ほんのり頬が染まる程度。

 

「はいはい、行きましょう。もう、わたくしたちにできることは何もないわよ?」

 

 これからは怪獣の時間だわ、と父と義理の弟を見渡すのは、長姉アミニアラジャート。

 父のこういう姿で判別がつくくらいには、彼女も「被害」に遭っているのか。

 

 かくして人気の少なくなった食堂で、それぞれの妻と妻になる女を付き合わせて、アジェクルジット家の舅と婿は延々飲み続けた。

 

「いいかい、君たち龍震族の、英雄指向はよく分かってるつもりだよ? そして、それは必ずしも悪い訳じゃない、ここまではいいね?」

 

 大仰な仕草と共に、ナルセジャスルールは講義を垂れ始めた。

 一応は、今後、ルゼロス王国の国内処理をどうするかという話題なのだが、いまいち不安が残る……

 

「しかしだ。それがいつでも、正解っていう訳じゃない。君がこれからやろうとしていることについて言うなら、とんでもない誤答と言わせてもらおう!!」

 

 断言され、オディラギアスは怒る気もなく、更にちびちび酒で唇を湿らせた。

 

「英雄指向といわれましても、今後のことを考えるなら、派手に私の業績はぶち上げたいところですなあ。ろくでなしの身内には、私の噛ませ犬になってもらって」

 

 とんでもないことを言っているようだが、まあ、新しい政権をぶち上げる時のセオリーでもあろう。

 要するに、自分の父と兄たちを、戦いで打ち破ると、オディラギアスは言っているのである。

 

「それが、この場合はまずいのだ。君が英雄化されるだけならいい。しかし、もし、君の新しい政権の反対勢力ができるようなことがあれば、英雄化されるのは、君の頭のおかしい父君と兄君弟君たちだ」

 

 熱心に言い募るナルセジャスルールの言葉に、オディラギアスは首をかしげた。

 

「と、言われますと?」

 

「いいかい、君と派手に戦って打ち倒された、などということになれば、邪悪極まる君の身内が、一気に傲慢で不吉なできそこないの王子に政権と命を簒奪された、悲劇の英雄王、などということになってしまいかねない。歴史上、たまにあるアレだよ」

 

 オディラギアスは首をかしげる。

 

「アレがですか? お聞き及びと思いますが、到底そんな風に死後に慕われるような」

 

「それが甘い考えだと言っている。いいかい、死者ほど強いものはないのだよ?」

 

 ナルセジャスルールは更に言葉を重ねる。

 

「何せ、どんな悪人でも、死んだ後に悪いことはできない。ま、アンデッド化するとか、そういう特殊な事情があれば別だが、基本的に、死んだ後の者はいくらでも『美化』できるのだよ? 担ぎ上げる者がいて、それを支持する者がいればね」

 

 そう畳みかけられ、オディラギアスは、ようやく彼の言わんとしていることを理解した。

 

「私の王位継承に反対する勢力があれば、彼らが死んだ父や兄弟を担ぎ上げ、都合の良い旗印として利用する……」

 

「左様。その際、実際に生前はどんな人格であったか、ということは無視される」

 

 小馬鹿にするような口調で、ナルセジャスルールは更に説明する。

 

「何せ、担ぎ上げるのが予想されるのは、元々力を持っている既得権益層と予想される。彼らの声は大きい。翻って、君の父君以下に踏みにじられていたのは主に社会の下層に属する方々。大きな声など出せないのだよ」

 

 ああ、こういう話は、前の世界でも聞いたような。

 アルコールでぐらぐらする頭でも、オディラギアスには認識できた。

 

「……なるほど、私が英雄になるつもりが、向うを英雄化してしまうという訳ですな? 確かにそれはまずい……むむ、どうしたら」

 

 ぐいっと、杯を干したオディラギアスに、レルシェントが更に注いだ。

 この際、とことん飲ませよう、腹を割らせて際どい話もさせよう、と、母との間に密約を交わしているというのは、呑まされている彼女らの夫たちには分からない。

 

「そういうことだよ。いいかい、そんなことになれば、君の評判が悪くなって苦労する、などというだけではないよ? 君が一番打倒したい邪悪な迷信――白い龍震族は不吉だ、などという馬鹿らしい例のアレを、むしろ強化してしまいかねないのだよ。そんなことをするなんて、君はバカなのか?」

 

 そう指摘され、オディラギアスはすいっと頭が冷える気がした。

 酔いがさめそうなほどにぞっとする

 

「そうなったらどうなる? 君の新しい政権は不安定、そして、その不安定な社会の影で、相変わらず白い龍震族は闇から闇へ葬られる……などということになるよ? 君は新たな時代を切り開くどころか、禁忌の扉を開いた呪われた王だなどいうことになるよ?」

 

 低く、脅迫するように、ナルセジャスルールは顔を近づけて来た。

 

 オディラギアスが、母スリュエルミシェルから聞かされたこと。

 彼女がメイダルの様々なデータを漁って得た知識の中に、メイダルとの比較において、どうもルゼロスの龍震族の、白い鱗を持つ者の表面上の出生数がおかしいというのがあった。

 メイダルでは、白い龍震族及び寿龍族は、珍しくはあるものの、見てぎょっとするといったほどのものではない。

 実際、寿龍族や龍震族の多い居住区を歩くと、それはたやすく実感できる。

 なのに、龍震族だらけのルゼロスでは、滅多に見かけないほどに白い龍は少ない。

 これは。

 

『多分、ルゼロスでは白い鱗の龍震族の赤ん坊が密かに殺されてるんだわ』

 

 スリュエルミシェルは震えていた。

 

『それで表面上は数が極端に少なく見えるのよ。このメイダルの龍震族と寿龍族の体色比率に関する研究を読んだけど、白い鱗が途轍もなく珍しいなんてことはないもの』

 

「それでは意味がない!!」

 

 オディラギアスは声を張り上げた。

 酔っぱらっているが、掛け値なしに本心からの言葉だ。

 

「それでは意味がないのです、父上。私が作りたい国は、そうした差別の極力少ない国なのですよ」

 

「だからだね」

 

 ぐいっと、ナルセジャスルールは身を乗り出し、義理の息子の耳に顔を近づけ、囁いた。

 

「ここは私に任せておきなさい……君の身内が、なべく無様で、みっともなくて、つまらない死にざまをさらすように、私が呪術魔法で協力しよう。どう持ち上げても、英雄化できないようなみっともなさだ……そうすれば、君の反対派も神輿にできまい」

 

「……お願いいたします、父上」

 

 普段ならあり得ないほどの大胆さで、オディラギアスはその物騒な計画を承認し、義父の手を握って頼み込んだ。

 

「もちろんだとも。その代わりと言っては何だが、呑め」

 

 くいっと、ナルセジャスルールは杯をあおった。

 

「君の身内の弔い酒と、君と娘の結婚の祝い酒が、同時でも悪くはあるまい?」

 

 どう考えても悪役みたいなセリフで笑い合い、呆れるそれぞれの妻に更に注いでもらいながら、何故か妙に気の合う義理の父と息子は、いつまでも飲んでいたのであった……