24 怪物

 突っ込んで来た顔のない不気味な獣を、百合子の傾空が縦に両断する。

 

 声もない。

 

 その赤黒い怪物は、跳躍した慣性そのままに、前につんのめって地面に落下、血膿のような奇怪な中身をぶちまけて、そのまま動かなくなる。

 捌かれた魚みたいに綺麗に割れて、二つに割れた骨格の形までわかるのがぞっとする光景である。

 

「燃やした方が良かろうな」

 

 天名が口にすると同時に、手にした華麗な扇で死骸を扇ぐ。

 まるでミサイルの爆心地のような、輝く高温の衝撃波が局所的に生まれ、怪物の死骸を一瞬で灰塵に帰す。

 残ったのは地面の細長い焦げ跡。

 見事なコントロールである。

 

「何だったんですかあれ……キモイ……」

 

 百合子は、映画やゲームで見かける異形のクリーチャーを連想せずにはいられず、戻って来た傾空を油断なく構えつつも、背筋が寒くならずにはいられない。

 ゲームのモニターの中でぐりぐり動く怪物だったら、まだ笑えただろう。

 しかし、これは自分たちと同じ空間の中に生きている、実在の生き物だ。

 

 血膿のようなものに覆われた異様な皮膚。

 全体的に一種の獣に似ているように思えるが、関節が奇妙な形をして動きづらそうなのに、やけに俊敏に動くのが気味悪い。

 血膿が一番濃いように思える頭部には、顔に当たる部分がなく、ただぞろりとした杭のような牙を剥いたばかでかい口だけが頭部の下部で血交じりのよだれを垂らしぱかぱかと歯噛みしていたのだ。

 

「おかしな匂いがするねえ、これ」

 

 雲を巨人の腕のように広げた真砂が、のほほんと口にしながらも、周囲を警戒している。

 

「あの血みどろの化け物、あの血みたいなのに毒が含まれているんじゃないか? あの親になるキノコが、多分自分たち以外の生き物に有毒なんだよ」

 

 さらりと口にする真砂だが、それは、この周囲を取り囲む、元は美しかったのであろう森が、すっかり汚染されているということを示している。

 

「真砂さん、皆さんも、まだ終わってませんよ。また来ます。あのびっくりキノコ、この森にどのくらい生えてるんでしょうね?」

 

 静かな呆れ声で、冴祥が、周囲に展開してある鏡をきらめかせる。

 彼の近くに、暁烏。

 ナギは、冴祥に抱えてもらっているが、すぐにでも飛び出せそうな姿勢である。

 

「あのグレイディの親戚だっていうお兄ちゃんたちに、この森の中にあった村に住んでた人たちを避難させてもらったんだから、俺らが頑張らないとなあ」

 

 これで、あの化けキノコが避難している村人の人たちを追いかけてった、なんてことになったら、俺らの信用ないよ。

 暁烏は、太刀を荒れた森のくすんだ光にきらめかせる。

 

「偉大なるソーリヤスタ様の臣下として、これは見過ごせない。何が起こっているのか知りたいが……話に聞く奴なのか?」

 

 忠実で生真面目なアンディが、両掌に、唸るプラズマ炎を作り出す。

 その光に照らされて、周囲にそそり立つ化け物キノコの軸がゆっくり膨れ上がる。

 

「……この森を食らい尽くして栄養にして……怪物が来る……アンディ……」

 

 グレイディがブロードソードを構える。

 彼の周囲に溢れ出す幻の蝶。

 

「!!!」

 

 アンディの傍の木立の向こうから、ぞろりとした牙を剥いたキノコ獣の一団が顔を出す。

 いや、そちらばかりではない。

 反対側の真砂の向く先からもぼたぼた血膿を垂らしたキノコ獣が妙にぞっとする動きで近づいて来る。

 冴祥の鏡の森の向こう、暁烏の見る先にも。

 要は、一行は周囲をキノコ獣に囲まれている。

 

「失せろ!!」

 

 激しく叫んだアンディが、両手から雷炎を放つ。

 金剛力士のようなその腕から放たれたプラズマの弾丸は、まるで吸い寄せられるようにキノコ獣に直撃し、一瞬で三体ほどを灰となす。

 

「はいはい、お帰りはあちら」

 

 真砂が雲をにじり寄るキノコ獣に差し向けると、一瞬視界がけぶる。

 次の瞬間、そこには……何もない。

 いや。

 今の今まで、四体ほどのキノコ獣がいたはずのところに、あの汚らしいキノコ獣とは正反対な、清らかできらきらした川砂の小山が盛り上がっている。

 真砂の能力で、あの汚穢を清らかなものに転換したなどとは、間近で目撃しても信じがたい光景である。

 

「汚ねえキノコだ。似ても焼いても食えそうにねえな」

 

 嫌悪感を満載した暁烏が太刀を振るうと、光の筋がうねりながら五体ほどもいるキノコ獣を巻き込む。

 まるでレーザーに切り刻まれたように解体された次の瞬間、微細な粒子に転換されて、地面に降り積もる時間もそこそこに、空気に溶けて消えて行く。

 

「さて、逃げないのはなんででしょうね? 逃げるという頭がないのか、勝算があるのか?」

 

 冴祥がナギを撫でながら、のんびり口にする。

 彼ににじり寄るキノコ獣の、表面を覆う血膿が泡立つ。

 まるで遠い国のおとぎ話の魔人のように、黒銀色の煙が渦を巻いて、火事のように立ち上りはじめ、まるで気体の体を持つ龍のように冴祥になだれ落ち……

 

 鏡が輝く。

 

 いつの間にか、そいつらの周囲に、冴祥の幻の鏡が展開している。

 まるで結界でも作るように、鏡が球体を描くように立体的に配置され――爆発的な光が溢れる。

 輝く光の弾丸が、鏡に幾重にも反射されて、内部に閉じ込められたキノコ獣とその分身を一瞬で粉々にしたのである。

 後には、塵も残っていない。

 

「うわ……」

 

 百合子が息を呑む。

 キノコ獣の背後から、また次の群れが迫って来ていたのだ。

 先ほどの倍以上はいるであろう数。

 

「……大丈夫だ……」

 

 百合子が傾空を投げつけようとするのに先んじて、グレイディがブロードソードを揺らめかせる。

 一斉に飛び立った幻の蝶が、ちらちらする光の粒のように、キノコ獣の全てを覆う。

 

 かすかな、鳴き声らしきものが聞こえた気がする。

 

 静寂。

 

 次の瞬間、蝶が空に飛び去った後には、あのキノコ獣の汚らしい痕跡は、どこにも残っていなかったのである。