10 幻惑と不思議な石

「え……荻窪、くん!?」

 チカゲは目を見張った。

 

 住宅街に隣接した大通りの曲がり角から姿を見せたのは、見慣れた学校のブレザー姿の荻窪正太郎その人だった。

 ただ、その背後には、ホームセンターの建材や工具類を思いつく限りに組み合わせたかのような、奇怪な「クグツ」が控えている。丸のこで構成された両腕と、園芸用一輪車を並べて作ったような八本の脚。組み合わせたスチールラックにあらん限りの電動工具やアウトドア用の刃物を並べたような胴体。腹の中に収まっているのは発電機だろうか。

 それはぎこちなく、子供が描いた恐竜のように不格好ではあったが、他者を害する意思を放射線のように周囲にまき散らしていた。

 

 そのクグツを引き連れた正太郎は、真昼の幽霊のように虚ろな顔を、チカゲたちに向けた。

「……クグツどもじゃダメか。強いんだねえ、宇津さんたちは」

 にんまりと、人を羨むようなじっとりした笑いをいなして、チカゲは正太郎を真正面から見据えた。

「荻窪くん。君がクグツを操っているんだよね!? 今すぐやめなさい。悪いけど、嫌だとは言わせないよ!!」

 チカゲは見せびらかすように、手の中の石刀をかざした。

 

 正太郎は、じっと、チカゲを見た。

 そして、百合子、空凪に順繰りに目をやる。

 じっとり絡みつく視線が空間を走る間、沈黙が訪れる。

 風の音。

 

「……なんでなの?」

 正太郎のその言葉に、誰もが一瞬意味を見失った。

「……?」

「なんで、君らなの……? なんで君らは『霊性事物』ってやつに選ばれて、『共鳴者』なんてのになれたんだよ……? なんで、僕じゃなかったんだ……?」

 くぐもっているはずなのに、妙に耳に引っ掛かる耳障りな声で、正太郎は呻いた。

「僕も君らみたいな『トクベツ』になりたかったよ。『トクベツ』になって馬鹿にする奴らを見返したかった。だって、誰も助けてくれないんだもんな。自分でどうにかしたかったよ。これって、間違った考え方かな?」

 その問いに、共鳴者たちは言葉を失った。

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 百合子が不穏な響きのある声で詰め寄った。

「君、誰も助けてくれなかったから、今みたいになったって言うの? マガツヒに体を差し出したの?」

「宇津さんは、最近共鳴者になったみたいだから仕方ないけど。でも、お姉さんと一色。二人はなんで、僕を助けてくれなかったんだ?」

 そう小柄な訳でもないのに、何だか三人を下から見上げるような印象で、正太郎はそう問いを重ねた。

「一色は、僕が苛められていたのは知ってるはずだったろ? 苛めてるグループの中に、お前と同じクラスの奴がいた。なんで助けてくれなかったんだ?」

 空凪は、一瞬小さく溜息を落とした。

「……気付いてなかったんなら教えてやるが、一応は助けたんだぜ、俺は」

 その言葉に、正太郎ばかりか、チカゲも驚いて振り返る。空凪は山高帽風の帽子をくいっと差し上げた。

「……苛めてる奴らの意識の方向性を操って、お前にあんまり意識が向かないようにした。一時辛かったのは推測できるが、ある時期から苛めの標的にならなくなって、平和に過ごせるようになったはずだ。違うか?」

 その言葉に目を見開いたのは、正太郎だけではなくチカゲもだ。そういえば、ある時期を境に、休み時間などに正太郎が苛められている様子を見なくなったような気はする。空凪が手を回していたとは。

 

「……でも、その代わり無視されるようになった。誰も僕を気にしない」

 滴り落ちるような恨みの籠った口調で、正太郎は口にした。

「違う。無視されてたんじゃなくて、誰の注意も引かなくなっただけだ。あんな奴らからの注目が欲しかったのか、お前は?」

 怪訝な顔で、空凪は正太郎に問いかけた。

 

 その瞬間に、チカゲは理解した。

 空凪と正太郎の齟齬の意味を。

 

 恐らく、空凪は取り立てて他人の注目を集めたいという欲求が激しいとは言い難いのだ。

 むしろ、目立つ見た目のお陰で、あまり他人の注意を引くことに良い印象を持っていないのかも知れない。空凪みたいなタイプは、多分ちょっと僻みっぽい同性からは目の敵にされ、ミーハーな異性からは勝手に憧れられて王子様人形扱いされたに違いない。マイペースな感じだから、他人の注意を引けば引くだけ、自分の時間を他人の無責任な好奇心を満たすことに費やさなければならないことも、実感として知っていただろう。

 

 しかし。

 正太郎は違う。

 彼は一見陰気で非社交的なのに、他人の注意を引き、認められたいという、強烈な欲求があるのだ。異性にチヤホヤされたいというよくある欲求は勿論、あらゆる人間から無条件に肯定されたかったのだろう。

 ――それで、マガツヒの力を手に入れた途端に、自分をカリスマめいた人気者に仕立て上げたんだ。ずっとそうなりたい願望があったんだ。

 内に籠った熱烈な欲求を溜め込んだ、自己愛の強い歪んだメンタルの持ち主では、自分で自分の価値は作り出す空凪の認識は理解できまい。

 端的に言って、赤ん坊みたいにチヤホヤされていないと、正太郎にとっては「不当で」「苛められている」と認識する状態なのだ。

 

「歪んでるね、君」

 はぁあと、心底からの百合子の溜息は、チカゲの心情の代弁のように思えた。

「いい? 君がマガツヒの力を借りて実現したようなことは、当たり前のことなんかじゃないのよ? 君が歪んだ力で無理やり手に入れた、いびつな状態なのよ? 君が作り出していた状態は、今日日、世界的宗教の指導者か何かでない限り、あり得ないのよ? 君に、彼らみたいな重責を負う覚悟なんてあるの? ないでしょ?」

 

「うるさいっ!!!」

 

 突如、破裂するように正太郎が怒鳴った。

「死ね!!!」

 突如かんしゃくを炸裂させた正太郎の言葉に促されたように、資材の怪物の体から、次々と鉄杭が射ち出された。本来、ビニールハウスなどの固定に使うようなものだが、ライフル弾ほどもある速度で射出されるそれは、すでに凶器だ。

「くっ!!!」

 空凪が瞬時に霊性事物で力の方向性を転換し、逆、やや斜め下に射ち返す。地面に、雪に突き刺さるつららのように、鉄杭が突き立った。

「こんな住宅地の真ん中で……なに考えてるんだ!!!」

 百合子は弾丸を射ちあぐねている。この辺は普通の住宅と、二階が住宅になった店舗兼住宅が密集する境目。まわりのどこかの建物に弾が飛び込んだら、確実に犠牲者が出る。

 

「チカゲ、百合子さん!!」

 空凪が怒鳴る。

「俺は、奴の飛び道具が周囲に飛んでいかないようにしておく!! まずは、あの資材クグツを何とかしてくれ!!」

「そんな」

 思わず呻いたチカゲだが、やるしかないことは分かっていた。

 

「これだけじゃないんだなあ!!」

 突っ立った正太郎がニンマリ笑うと、資材クグツの両脇から、絡み合った極太のコード状のものが数条伸びて、先端のドリルを高速で回転させだした。幾匹もの毒蛇の鎌首のようにゆらゆら揺れながら、共鳴者たちを狙って……いや。

 ぬるぬると伸びていった先は、近所の住宅の二階の窓。

 

「!! 止めさせろ!!!」

 空凪が叫ぶのと、チカゲが石刀を振るったのは同時だった。

 

 極太コードが火花を散らして切断され、ドリルが固い音と共にアスファルトに転がった。

 が、しかし。

 切断した先から、まるでギリシャ神話の毒蛇のように、倍する数のドリルとコードが伸びた。またもや上に向かう。

 

「くっ!! どいて!!!」

 百合子がいつの間にか、近くの住宅の庭木の上に登っていた。下向きに弾丸を降らせ、ドリル蛇を幾匹かまとめて粉々にする。埒もない子供の空想のような、メタルラックの胴体にも弾丸が食い込んだ。しかし、それは戦車に勝る強度を持っているのか、わずかにへこんだだけで中身は無事だ。中の発電機らしきものをどうにかすれば、少なくともドリル蛇くらいはどうにか、と思ったのだが。

 

 びゅん、と音を立てて、工業ロボットアームのような、クグツの腕が伸びた。

 横なぎに薙ぎ払われた先端の丸鋸の攻撃を、百合子はとんぼを切って避け、背後の地面に降り立った。今まで彼女がいた木の幹が、あっさり切断され、騒々しい音を立てて樹木の上半分が道路を塞いで落下した。向かいの家の門扉が、樹木の重みと衝撃でひしゃげる。

 

 チカゲのこめかみが、どくどくと音を立てる。

 まずい。

 どうしたらいいだろう。

 クグツだけで強敵……というか、周囲に犠牲を出してはいけないこの場所では、共鳴者たちが不利過ぎる。

 何とかここから……

 

 ふと、チカゲの懐の中からぬくもりが放たれた。

 あの、「お守りの石」が発光し、熱を放っている。

 その瞬間、チカゲは石の「意図」を悟った。

 

「荻窪くん、そのデカイの!! 私と一緒に行こう!!! いいところへね!!!」

 

 チカゲが叫ぶと、視界が揺らいだ。

 まるで砂漠の蜃気楼のようなものに飲み込まれたかに思えた共鳴者たちと正太郎、そしてクグツは、次の瞬間、星のきらめく奇妙な空間に放り出されていた。