11 吸血鬼軍団

「おかしいわねえ? ねえ、そう思わなくてファビアン?」

 

 エルフリーデが嘆息した。

 煌々と照らされた、豪奢な一室である。

 壁の一面は、巨大な強化ガラスの板になっており、眼下の絢爛たる夜景がそのまま飛び込んでくる。

 

 彼女らがいるのは、閑静な田舎ではなかった。

 きらめく都会の、高層ビルの一室。

 内部はヨーロッパの城の一室のように飾られているものの、外へ目を転じれば、今が十八世紀ではないと簡単にわかる光景が広がる場所だった。

 

 エルフリーデは先ほどと同様、椅子に腰かけ、足置きに足を乗せながらワインをたしなんでいた。

 

「もしかして、奴まで失敗したのですかね」

 

 同様の姿勢のファビアンが、苦い表情を浮かべた。

 

「しかし、もし本当にそうだとしたら、奴らどうやって……人質をまさか見捨てたのか」

 

「多分違うわね。あのお嬢ちゃんの気配をまだ感じるわ」

 

 のんびりとさえいえる調子で、エルフリーデはワイングラスを傾けた。

 マンハッタンの夜景に目をやる。

 

「でも、例の計画決行の知らせからもう三十分以上は過ぎているわ。どうした訳だか。計画は頓挫したと見てよさそうね。一体どうやったのか、想像もつかないけれど」

 

「さあて。どうします伯母上。奴らがここを嗅ぎつけるのは時間の問題では?」

 

 逃げますか。

 ロシアの物件をそのままにしていて良かったですね。

 

 そんな風に揶揄交じりに、ファビアンは提案した。

 思ったことが上手くいかないのは、いつだって業腹だが、命あっての物種である。

 その方針で、自分と伯母はこの四百年生きてきたのだから。

 

 ふと。

 

「伯母上?」

 

 ファビアンは窓の外に目を向ける伯母の表情に、怪訝なものを覚えた。

 滅多に見ない、身も蓋もない驚きの表情。

 叱られたことのない子供が初めて叱られたようにぽかんと……

 

 ファビアンは電光のように振り向いた。

 

 そこに、巨大な影があった。

 

 強化ガラスの透明な壁面を覆う巨躯は、稲光をまとう巨大な鳥の姿をしていた。

 その背中にいくつかの影と、それと並んで浮かんでいるまたいくつかの影も、彼は同時に確認する。

 

 あかがね色に輝く凶悪な魔神が、獅子のような手を動かすのが見え。

 

 衝撃波は巨人の槌のように、強化ガラスを砕いた。

 まるでミサイルの爆心地にいた人のように、エルフリーデとファビアンに、ガラスのシャワーが弾丸となって襲い掛かった。

 彼らがわが身を庇った瞬間。

 

「この呪われた化け物どもめ!! 今度こそ始末つけさせてもらうぜ!!」

 

 雷の鳥が、まさに轟雷のように叫んだ。

 白頭鷲のそれのように曲がったくちばしが開く。

 その奥が輝くのが見えた。

 激しい電撃の束が空間を圧して、下界に対して無防備になった室内に叩き込まれる。

 

 フラッシュアウト。

 

 次の瞬間、オゾン臭を残し、焼け焦げた室内には、誰の気配もなくなっていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「まあまあ、割と早かったわね。しかも、あちらは全員欠けていないみたい」

 

「サンダーバードも、パズズも、創世の龍もいましたよ。奴らの親玉、悪魔の私生児までいる。これは流石にまずいのではないですか、伯母上」

 

「まあ、私たちだってそれなりに戦力は整えてあるじゃないの。これからよ。あの龍ちゃんを吸血できればいいの」

 

「まあ、確かにそうではありますがね」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 絢爛たる夜景を見下ろすその場所ははるか下界から見上げた時に予想されるほどドラマティックな場所でもない。

 ビルの屋上に付き物の、排気塔や貯水タンクがわびしく並んでいる。

 真ん中が高くなっており、尖ったそれは避雷針が天を衝いている。

 そこに五つの人……ではないものの影があった。

 

 エルフリーデとファビアンは、強烈なビル風に見事な金髪がなぶられるのが鬱陶しそうに、しきりに髪をかきあげながら立っている。

 エルフリーデの真紅の絹のドレスの裾がはためくのが、まるで不吉な旗のようだ。

 

 彼女らを足り囲むように、異形の影。

 

 一人目は、獅子の下半身に、胸を露わにした人間の女の上半身が生えた姿の神魔だった。

 日焼けしたオリーブ色の豊満な肢体がなまめかしい。

 雰囲気からすると、地中海沿岸系の神魔であろう。

 見る者が見れば「スフィンクス」という名前が浮かぶかも知れない。

 

 二人目は、人間的な要素のない、まるで異形の影だった。

 空中を悠々と泳ぎまわる、体長6mほどもあるワニだ。

 ただ、普通のワニと違うのは、まるで魚のような細かい鱗に覆われていること、そして、前脚後脚の爪が剣のように長いこと、そして、全体的に南国の空を映したように、鮮やかな瑠璃色を呈していることだろうか。

 

 三人目は、やはり人間の女の上半身に、まだらの雲模様のある銀色の蛇の下半身を持っていた。

 それなりに神魔に詳しいなら、「ラミア」という種族名が浮かぶが、彼女はそれだけではないようだ。

 背中に、雲が渦巻くような翼らしき器官を備えている。

 長い銀色の髪は、高層ビル屋上の強風にも関わらず、そよ風になぶられているようにゆったり漂っていた。

 

「さあて。みんな、お願いね。虹色のドラゴンちゃんをまず捕まえるのよ。そうすればあとは何とでもなるんだから」

 

 上機嫌に、エルフリーデが宣言するのと同時に、ビルの縁から輝く巨大な影が登ってきた。

 

「やっぱり生きていやがったか。ふん、兵隊もご用意とは、準備のいいこった」

 

 サンダーバードの姿に戻ったライトニングが、巨大な翼に雷光をまとわせたまま見下ろした。

 

「まあ、流石に数は用意できなかったみたいだがな。親玉を含めて五体では、心もとない」

 

 情け容赦ない論評を加えたのは、パズズの姿を露わにしたダイモン。

 暴悪な魔神の目が、冷酷に吸血鬼とその愛妾兼兵隊であろう、三人の神魔を見下ろす。

 

「悪いけど、まだ手加減はあんまり上手じゃないんだ」

 

 D9が、妙に静かな声でつぶやいた。

 九つある口のうち一つが滑らかに動く。

 夜闇と無縁なように、照り映える虹色の輝きが周囲を薙ぐ。

 風を圧して声がはっきり聞こえた。

 

「だから、戦うんなら、死ぬことを覚悟してね」

 

 舞台から降りるように、ライトニングの背中から、プリンス、ムーンベル、メフィストフェレス、ヴォイド、ナイトウィング、そしてマカライトが降り立った。

 

「さあて。皆、作戦通りにな?」

 

 プリンスがにやりと笑い。

 戦いの火蓋が切って落とされた。