11 猫又危機一髪!!

「あああああ、どうなっているんだね、これは~~~!!」

 

 礼司は走っている。

 暗い廃墟の廊下を力の限り。

 

 平凡な廊下……に見える。

 埃っぽいが、手入れされてさえいたなら、ごく普通の住宅の廊下だ。

 が、おかしい。

 健康な若い男子である礼司が全力疾走しても、その「廊下」は終わりがない。

 どこにも突き当たることなく、まっすぐな板張りの廊下が延々と続いているのだ。

 廊下の両端は闇に消えていて見ることができない。

 両脇にはほぼ等間隔でどこかの部屋に通じるドアが見える。

 

 確かに平均よりは大きめの住宅であったものの、こんな無限とも思える廊下が内部に存在するとは思えない。

 これは確実に、双炎坊が何かしたのだ。

 

「むむむ、この天才猫又、黒猫礼司におかしな術をかけるとはいい度胸じゃないか……!!」

 

 威勢の良いことを口にしてはいるが、礼司の顔は明らかに青ざめている。

 全力疾走ゆえの上気も引いた血の気を完全には補ってくれない。

 なにせ、礼司は孤立している。

 ついさっきまで周囲にいたはずのオカ研部員たちはいない。

 どういう訳だか、一歩この廃墟に入った途端に、バラバラに放り出されたらしい。

 いや、礼司以外の部員たちの状況は全くあずかり知ることができないが、こういう手段を取るような相手が、わざわざ敵が連携できる状況を許しておくとは思えない。

 

 バン!! と荒い音と共に、右脇の扉が開き、まるで巨大な汚泥の塊に、細長い肢を付けたような何かが飛び出して来る。

 体の上部にある触手のようなものの先端にある幾つもの目が、一斉に礼司を睨む。

 濁流のようになだれ落ちる、湾曲した爪のようなものが生えた触手。

 

「にゃあああああああっ!! 何をするんだっ!!」

 

 礼司は悲鳴を上げて更に走る速度を上げる。

 びょんびょん跳ねながら迫ってくる怪物。

 礼司は改めて、これが双炎坊が非業の死を遂げた人間の魂を作り替えた妖怪なのだと認識する。

 予想していたのより何倍もおぞましい。

 もはや人間としての意識はなく、植え付けられた攻撃性のままに、目の前の生き物を襲うのだ。

 

 通り過ぎた左の扉から、濃いオレンジ色の、大きな犬のような胴体から人間の首が何本も生えたような化け物が飛び出し、礼司を追い始める。

 追跡者は二体になる。

 

 続いて、その反対の扉から、人間に似た胴体から無数の白い虫が生えたような何かが飛び出して、更に追跡の一団に加わる。

 

 礼司の背中に冷たい何かがかする。

 また更に反対側の扉から、蛇のように絡み合った無数の人間の腕のようなものが空中を泳いでくる。

 

「くっ……!! まずいなこれは……!!」

 

 礼司は荒い息を漏らす。

 自分にはあまり戦闘手段はない。

 オカ研で戦闘担当なのは二人の女子部員。

 その中でも、いつも自分のそばにいてくれることが多かった眼鏡美少女を思い起こし、礼司は泣きたい気持ちになる。

 彼女は今頃どうしているのか。

 若くしてあれだけの修業をしているのだ。

 メンバーの中では、双炎坊に一番まともに対抗できそうな存在ではあるが、双炎坊自身もそれは把握している可能性が高い。

 どんな対抗手段をぶつけられているのか。

 

 とにかく。

 彼女に合流しなくては。

 それにはこの不気味な術の回廊から脱出しなくてはいけない。

 

 礼司は不意に振り向く。

 いつの間にか何倍かに膨れ上がった追跡者の群れ。

 その只中に向け、礼司は猫又の魅了の視線を飛ばす。

 

 いきなり、おぞましい追跡者の一団が止まる。

 ぐねぐねと絡み合い、互いに睨み合うような動き。

 

「君たちはお互いに仲良くしていてくれたまえ!! じゃっ!!」

 

 シュビッと手を挙げるや、礼司は全力でそいつらから離れようと……。

 

 いきなり、衝撃。

 

 礼司は吹っ飛ばされる。

 

「……!!」

 

 礼司の目の前にいきなり飛び出てきた新手。

 上下に重なった巨大な顎を振り立てる、頭のばかでかい人間のような何か。

 その頭が天井に着くくらいに大きい。

 まさに巨人だ。

 やけに長い頭は、異様に巨大な歯を剥き出しにした顎が縦に二つ並んでいる。

 べろべろ赤黒い舌が胸あたりまで垂れている。

 その顎が、礼司を狙ってなだれ落ちてくるのが、彼の目にやけにはっきり映る。

 

「光明真言!! アボキャベエロ・シャノナカモ・ダラマニ・ハンドモ・ジンバラハラハリタヤ!!」

 

 聞き覚えのある声と共に、いきなり視界が明るくなる。

 

 目の前には、何もない。

 あの段々顎の怪物はない。

 

「部長を傷つけることは私が許さない!! 不動明王咒!! ナウマク・サマンダバザラダン・カン!!」

 

 不意に背後が赤々と輝く。

 へたりこんだまま振り返れば、あの最初に見えた触手目玉の妖怪が、見覚えのある紅蓮の炎に巻かれ、燃え上がっているところである。

 不思議にもこれだけの火勢にも関わらず周囲の廊下に引火もせず、炎は妖怪だけを燃やし尽くす。

 

 長いような数瞬。

 妖怪は灰も残さず消え去る。

 

 気が付けば、傾いた陽がうすぼんやり差し込む、すすけた廃墟の廊下があるだけ。

 あと数歩で突き当りの出窓に行き当たる場所に、礼司はへたりこんでいる。

 あの無限回廊は今やどこにもない。

 

「部長!!」

 

 走ってくる、見覚えのある姿。

 眼鏡の美少女、五鈷杵を構えたままの紗羅が倒れたままの礼司に駆け寄る。

 

「間に合って良かったですよ。部長、どこかやられましたか?」

 

 慎重で真剣な瞳が礼司の全身を注意深く観察する。

 礼司は、自分が救われたことにか、それとも彼女も無事だったことにか、どっちにかわからぬ感情で、思わず涙ぐみそうになる。

 

「いや……ありがとう熊野御堂くん。僕は問題ないよ」

 

 だが、今は泣く時ではない。

 手ごわい敵はまだこの廃墟のどこかにおり、そして下級生たちはどこなのだ。

 

「君は?」

 

 礼司は、なるべく平静に聞こえるように自分を抑えて声をかける。

 

「君は大丈夫かな? 熊野御堂くん」

 

「大丈夫ですよ、真言の法力は、こういうのと戦うためにあるようなものですから。それより、尾澤さんと大道くん、それに恐らくは元喜くんもこの内部のどこかに」

 

 自分のやるべきことをぶれさせることのない紗羅に、礼司は無限の安心感を覚える。

 そうだ、自分たちなら大丈夫。

 

「よし!! このお兄さんお姉さんコンビが、寂しくて震えている下級生たちを助けに行こうじゃないか!!」

 

 しゅたっと立ち上がり、高笑いする礼司に、紗羅が冷静に突っ込む。

 

「さっきまで寂しがってたどころでなかったのは部長だって気がしますが……ま、ともかく、彼らと合流を目指すのは賛成です」

 

 二人は並んで歩きだす。

 無数の罠がまだあるであろう、廃墟の奥に向けて。