影に追われる

 私は、ひたすら縮こまっていた。

 

 売店のささやかな建物の陰から見る遊園地は、ほんの少し前までとは様変わりしていた。

 

 こういう絵を見たことがある。

 美術の教科書で。

 キリコって名前のシュルレアリズムの画家だったか。

 

 そんな幻想絵画を思わせる、影たちの不気味な宴が、目の前で延々繰り広げられていた。

 

 私が「影」と内心呼んでいる「そいつら」の行動は――実のところ、直前までいた人間と変わらないのかも知れない。

 メリーゴーラウンドや観覧車に乗り、園内を連れ立ってそぞろ歩く。

 要するに、普通の客が、そっくり「そいつら」に置き換えられてしまっているのだ。

 

 だが、決定的に「普通の遊園地」と違うのは、そいつらが人間とかけ離れた「何か」だってことだ。

 

「影」。

 

 そうとしか、呼びようがない。

 

 手足のひょろりといびつに伸びた、黒一色の人影らしきモノ――なのだ。

 

 亡霊なのかバケモノなのか、そいつらは我が物顔で遊園地を占拠していた。

 

 最初は……自分がおかしくなって、普通の人間がそんな風に見えているだけかと……思っていた。

 

 だが、違った。

 

 そいつらは、私を見つけると、問答無用で襲い掛かってきたのだ。

 まるで映画のゾンビみたいに。

 

 私は逃げ出した。

 直前まで一緒にいた親友の美晴(みはる)がどうなったのかもわからない。

 気が付いたら、隣にいたのは美晴ではなく、あの「影」の一体だったのだ。

 とにかく、生存本能の命じるまま、逃げるしかなかった。

 

 どうしよう――と、私は途方に暮れた。

 

 どうなっているのかわからないが、とにかくここから出たい。

 外に出さえすれば、あの影たちは追ってこない、そんな気がした。

 

 しかし。

 出口は、この場所からはるか離れている。

 そこまでたどり着くのは、「影」がウヨウヨいる園内を突っ切らなければならない。

 

「影」に触られると、力が抜ける。

 血の気が引く。

 現に、さっき「影」に捕まれた腕は、青黒いあざみたいに変色していた。

 妙に冷たい。

 生命力みたいなのが抜かれているみたいに感じて、本能的恐怖を感じる。

 

 どうしよう。

 

 私はどうにか、こんな訳のわからない非常事態に対応しているはずもない頭を振り絞った。

 

 遊園地の、外周をぐるっと回りながら、少しずつ「影」たちの隙を突いて進めば、そのうち出口にたどり着くんじゃないか。

 

「おい」

 

 突然、肩をぽん、と叩かれて、私は引きつった悲鳴を漏らした。

 ものすごい勢いで振り返る。

 

「影」に見つかった、と思った予想は裏切られた。

 

 そこに立っていたのは、すらりと背の高い、和装の綺麗な女の人、だったからだ。

 

 大人だが、若い。

 二十代の半ばにもなっていないだろう。

 

 並みの男性くらいありそうな長身で、武芸者みたいな和装の上からでも、スタイルのいいことが伺えた。

 

 何よりびっくりしたのは、その右腕に、抜き身の刀を持っていることだ。

 

 ……って、刀!!

 日本刀!!!

 

 おじいちゃんの家で模造刀はみたことあるけど、それとは違うのは私にもわかった。

 刃引きしていない、本身の斬れる刀だ。

 少なくとも、公然と持ち歩いていいような代物ではない。

 

「良かった。生存者がいたとは」

 

 その女の人は、ほっとした様子で話しかけてきた。

 やや声をひそめているが、聞き取りやすい滑らかな声だった。

 

 それを聞いて確信した。

 この人は、味方だ。

 

 まるでなん十年ぶりに出会ったかのような人間の姿に、私は圧倒的な安堵を感じた。

 いっそ、抜き身の刀なんてものを持っている物騒かつ非常識な人間だっていうのを忘れるほどに。

 

「あの……あなた、は」

 

 私はその女の人に呼びかけようとして、なんて呼んだらいいのかわかりかね、そう問いただした。

 

「私は由羅(ゆら)だ。そう呼んでくれ。君はなんて呼べばいい? ここから脱出するまでの付き合いだろうが、名前くらいは知りたい」

 

 ここから連れ出してくれるんだ――

 

 私は悲鳴を上げたいほど狂喜した。

 

「あ、あの、津島望(つしまのぞみ)です……N高校の一年で……」

 

 身分も名乗った方がいいだろうと思い、私は所属している学校名まで話してしまった。

 

「まだ子供じゃないか。災難だったな。私が来たからには大丈夫だ。ここから連れ出してやるから、ついてきてほしい」

 

 うなずき、だが同時に私の心の中に疑問が湧きあがった。

 

「あの、これ、いったいなんなんですか? どうしてこんなことに? あの『影』みたいなのは?」

 

 矢継ぎ早の質問に、由羅さんは嫌な顔もしなかった。

 

「まあ、かいつまんで説明すると、この世界の奥底に眠れる神がいて、そいつの悪夢が現実を『食って』いるんだ。食われた場所は変質するし、食われた人間はああいう『悪夢のかけら』になってしまう」

 

 一瞬、ぽかんとしてしまった。

 神様?

 眠ってる?

 悪夢?

 食われる?

 じゃあ、あの「影」って元は人間?

 

「詳しい説明は後だ。とにかくこれは普通の人間には有害だ。君は特異体質で、『食われる』のを免れたってことだけ、今は覚えておけばいい」

 

 行くぞ、と由羅さんは言った。

 

「私が影を斬って道を切り開く。君はついてこい」

 

「……外周部を回るんですか?」

 

「いや。そんなことをすれば、『悪夢のかけら』に取り囲まれた時に、逃げ道がなくなってしまう。正面突破しかない。さ、来るんだ!!」

 

 言うや否や、由羅さんは物陰から飛び出して、目の前の「影」を斬った。

 

 物音もほとんどしない、鮮やかな手並みだった。

 斬られた影は黒い紙みたいにちぎれて、そのままくるくる回りながら消えた。

 

 彼女の背後で、メリーゴーラウンドがぴかぴかきらきら輝きながら回る。

 

「ついてこい!!」

 

 由羅さんに手招きされて、私は彼女の背中を追った。

 

 こうして、私たちの脱出行が始まった。