「むぅん……」
和可菜は、自室のベッドに寝転がって、掲げた預金通帳をにらみつけていた。
……ついぞ見たことのない桁になっている、その預金額を。
◇ ◆ ◇
「霊羽《れいう》っていうのはさ、要するに打ち出の小槌《こづち》なんだ」
まるで株式のトレーダーみたいな、本格的なデスクトップパソコンを備えた零の仕事部屋。
和可菜は、そこに通されていた。
ささやかなソファに、向かい合って座る。
「打ち出の小槌って……」
「昔話の、一寸法師は知ってるだろう? 鬼が持ってる宝さ。なんでも願いを叶えてくれる」
それが、この羽とどんな関わりがあるのか。
和可菜は、スーツの胸元の羽のペンダントを押さえた。
この羽がなんでも願いを聞いてくれる?
確かに、危なくなったら銃器に変じて自分の危機を救ってくれた――しかも、銃なんか撃ったことのない自分でも、なぜか達人レベルで扱える――という事実ならあるが、宝を出しそうには思えない。
振ったところで、金塊が出てくるとか、そんなことは絶対にありそうにない。
――もし、そんなことが実現したとしても、出所不明の金塊を換金してくれるところなんか、まともな社会にはないように思うが。
「ええと、これ、願いを叶えてくれるの? まさか、持ってるだけで異様に金回りが良くなって大金持ちになれるってわけじゃあ、ないよね?」
冗談めかして、和可菜は暗い色調でまとめられた零の仕事部屋を見回した。
零自身は、今や下手な庶民の一生分くらい稼いでいるだろう。
仕事場兼住宅は、けっこうないいマンションの高層階にあった。
ひるがえって、自分は知る人は知っているが、知らない人にはなにそれといわれるようなマニアックな中堅出版社の編集者に過ぎない。
しかも、今や職を失うのが現実味を帯びてきたのだ。
零のような立場になれるとは思えない。
「いいかい、その霊羽《れいう》っていうのは、僕にとっては源妖《げんよう》にあたる、波重大霊《なみかさねのおおち》の体の一部なんだ。とんでもない妖力を秘めてるってわけさ」
いきなり耳慣れない言葉を浴びせられて、和可菜はきょとんとする。
「えっと……ゲンヨウ? ナミカサ……えっと……」
「波重大霊《なみかさねのおおち》。源妖《げんよう》っていうのは、僕らみたいな妖魔を創り出した、大本になる妖魔なんだ。妖魔は、どの源妖《げんよう》に創られたかによって、大まかに系統が分かれているってわけさ」
和可菜は首をかしげて考える。
「……人間でいうなら、民族ごとの始祖みたいなものかしらね? 天から降りてきた神様がある民族集団の先祖になったとか、そんな感じの人?」
「そうそう。さすがに呑み込みが早くて助かる。こっちの世界の人間でいうなら、そんな感じの『始祖』だよ」
ただし、と零は付け加えた。
「今じゃ、人間の先祖なんてどこにもいないだろう? 死ぬか、天に帰ったか。でも僕ら妖魔の『源妖』は、今も生身の体をもって『異界』に存在している。その源妖、僕の祖である波重大霊の妖力をこめたのが、その霊羽ってわけさ」
なにせ、とさらに例は続ける。
「一つの種族を創造した大妖魔だからね。妖力も膨大だ。できないことのほうが少ない。その霊羽にこもってるのは、そんな妖力なんだ。願えば、たいていの願いは叶えてくれるはずだよ」
あまりにとんでもない方向に飛んで行った話に、和可菜は頭を振った。
「ええと、それじゃ、なに? 私がいますぐ大金持ちになりた~い、なんて願い事を言ったら、その通りになるってわけ?」
「ああ」
あっさり、零は肯定した。
「現世の富くらいはなんでもない。そうだなあ、とりあえず、宝くじなんか買ってみない?」
明らかに面白半分にいわれ、和可菜はあきれた。
この才能と幸運あふれる作家大先生は、金で困ることなんかないだろうが、こっちはしがない編集者、明日、路頭に迷うかも知れないのだ。
だが。
その時、頭の内側がちりちりするような妙な感覚が、和可菜を襲った。
あることを思い出したのだ。
和可菜は無言でかたわらのトートバッグをまさぐった。
財布を取り出し、後ろのポケットから、しばらくの間突っ込みっぱなしになっていた、ビニールで包まれた紙の束を取り出す。
「ああ、宝くじ買ってたんだね? それ、当選番号発表になってるやつだっけ?」
のほほんと、零がそう問いかけてきた。
そういえば、この宝くじを買うとき、当選番号の発表の日付をしつこいくらいに確認したはずなのに、今の今まで忘れていた。
「……昨日、発表になってる……」
「ちょうどいいや。銀行すぐそこじゃないか。確認しにいかない? つきあってあげるから。波重大霊の妖力が運命を変えるくらいのものだって、きっちり教えてあげるよ」
にこにこした零にうながされ、和可菜はとりあえず、共に銀行に出向いた。
端的にいうと。
窓口で、当選番号の確認をお願いした。
いきなり、別室に通され。
そこで、一等賞と前後賞が当たっていることを知らされた。
唖然としている和可菜に、そら、どうだ、というように、零が笑いかけ。
かくして、和可菜の通帳には、見たことのない桁数の数字が打刻されることになったのだ。
◇ ◆ ◇
「ほうら、ね? こんなこと、波重大霊にかかれば朝飯前だ」
呆然と、引きずられるように零の部屋に帰ってきた和可菜を、零は面白そうに見ていた。
落ち着かせようと、とっておきの紅茶を出してくれる。
「あなたにやってほしいことは、波重大霊に会って、あの方を解放すること」
いきなり切り出された物騒な話に、ふわふわしていた頭がすうっと冷える。
「解放? どういうこと? なんか、監禁でもされてるみたいな言い方だけど?」
「監禁、どころじゃない。封印されているのさ」
すいっと紅茶を含んで、零は核心に迫った。
「封印……!? なんで、そんな」
妖怪が封印されているなんて話は、よく聞く話だ。
それが実際、自分と関わりがある相手となると、「面白い伝奇ものだ」ですまないのは当然のことで。
「昔さ。同じくらいの力を持つ、別の『源妖』と戦ったのさ。負けて、封印されたわけ」
零の目が据わっている。
彼ら一族にとっては、屈辱的なことだろうか。
「その封印、解くことって、できないの? 例えば、零が」
「できない。その封印っていうのは、《《かけた本人以外の妖魔には》》、《《解けない仕組みになっているんだ》》」
「……じゃあ、私なんかじゃなおさらだめなんじゃないの?」
どうも、話がしっくりこない。
和可菜は眼鏡の奥で眉をひそめた。
「いや、あなたでなくちゃだめだ。《《この封印は》》、《《人間になら解ける》》んだ」
ひゅっと、和可菜ののどが鳴った。
「……私に、封印を解かせるために、この羽を、その波重大霊さんって人が、私に送ってきた……?」
「そういうこと。その羽をもっていれば、異界とアクセスできる。羽を使いこなしてシンクロを深くしていけば、波重大霊との波長が近くなって、やがてあの方が封じられている空間にたどり着くっていう寸法さ」
零が重々しく口にしたことが、じんわり和可菜の脳裏にしみこんでくる。
これは。
「選ばれた英雄《ヒーロー》ってやつなんじゃないの、ひょっとして。悪くないかな」
あまりに正面から抱えるには重くて、和可菜はことさらおちゃらけた口調で言い放った。
「小さいころの夢はヒーローだったな。思い出したわよ」
銃を振り回すヒーローは日本では主流ではないような気がするが、あの武器は気に入っている。
銃をあやつるヒーローは、クールで好きだ。
それが自分になって、何が悪いわけがあろう?
「そう言ってもらえるとありがたいね。『力なんかいらないから、私をほうっておいてっ!!』とか言われたらどうしようかって思ってた」
零が肩をすくめる。
「要するに、私のやることは、あの『異界』にアクセスして、『ケガレ』ってやつらをぶっちめて、力をたくわえる。そうしている間に、いつかは、零を創り出したっていう人のところに行ける。そうだよね?」
ニンマリと、零は笑い。
「波重大霊《なみかさねのおおち》からの伝言。もし解放してくれたら、なんでも願いを一つ、叶えてあげる」