ひとりでに動くマネキン人形?
百合子が、最初にそいつらを目撃した時に抱いた印象は、そんなものだ。
言葉にすると間が抜けているが、しかし、実際に目撃すると、不気味どころではない。
「神器」を得る前の百合子だったら、悲鳴を上げて逃げ出していただろう。
「何なの、こいつら……キモイ」
百合子は、海に近い街中に現れたそいつらの一団を睨み据える。
潮風は強いが、海鳥たちは戦いの気配を察してどこかに飛び去ったよう。
周囲の住人たちは、ソーリヤスタの配下たちの指示で避難しているようで、街並みは静まり返っている。
こつら自身も何の声も発しないため、風の音と波の音しか聞こえない。
周囲に仲間がいなかったら、百合子の恐怖交じりの嫌悪感は何倍になっただろうか。
しらじらとした石畳の道や、迫る砂浜、家々のこれも白っぽい土塀を背景に、様々なトーンの肌色を模した丸裸のマネキンが、ゆらゆら揺れて迫って来る。
人間界の百貨店で見かける同類と違って、気取ったポーズも粋なかつらも最新のファッションもない。
球体の関節を剥き出しに、そいつらは肉の壁ならぬプラスチックの壁となって、ゆらゆら街の中心、更にはその奥へと進み行こうとしているようだ。
「へえ。使っているのは今風の道具だけど、術自体は古めかしいじゃないか」
真砂が陽気に評する。
海風を受けて雲をたなびかせ、低空に浮かんで面白そうに。
「傀儡術だな。言っておくが、こいつらはマネキンに見えるが、そう単純なものでもないぞ」
天名がちらと百合子を見やる。
彼女も、真紅の翼で宙に浮き、長大で華麗な尾羽をたなびかせる。
「え? マネキンじゃないんですかこいつら? 何なんです?」
百合子は、気味悪そうな表情を浮かべたまま、天名を見上げる。
手には「傾空」を構えたままで、マネキンもどきの群れと睨み合う格好だ。
「単純なプラスチック製じゃないってことですよ。硬いもので叩けば割れたり凹んだりするというものでもない。良からぬ術で作られた、その物質自体が悪いものを引き寄せる性質を帯びた代物ですね。鋼鉄より硬いはずです」
商品価値としてはお高いんですけど、ヤバイ代物なので、触りたくはないですね。
冴祥が商人としての論評を加える。
「ふおお、斬り倒し甲斐があるぅ!!」
暁烏が本体である太刀を手に、百合子と並んで身構える。
凶暴な笑みが浮かぶ。
「みなさーん、頑張ってくださーい。ソーリヤスタ様たちも街の中心部で頑張ってるんですからね。全てはワタクシのおやつのために!!」
真砂が作り出してくれた、小型の雲のベッドに落ち着きながら、ナギがニャアニャア鳴く。
「おい。まだ食うのか君は?」
さっきまで、ソーリヤスタ様にすっごい餌付けされてたじゃないかよ!?
真砂が思わず突っ込む。
「ウミネコじゃなくてキウィになっちゃいますよ、ナギさん」
冴祥が突っ込みの追い打ちをかけた時。
「う、うわわわわ!!」
さしもの暁烏が息を呑む。
マネキンもどきたちが、いきなり崩れる。
いや、崩れたのではない。
突如液状化したように見えた次の瞬間、拳より大きいくらいの球状の塊となり、それがまさに弾丸の速度で撃ち出されたのだ。
まさに不気味な弾幕。
「おっとっと。せっかちだなあ。名乗るくらいしないの?」
真砂が、手をかざしている。
彼女の目の前、一行の目と鼻の先に、巨大な雲の壁が、それこそ地上から伸びた入道雲みたいに成長していたのだ。
それが、不気味な弾幕を丸ごと包んで勢いを殺している。
一個たりとも、雲を突き抜けるものはない。
「ええい、鬱陶しいわ!!」
その雲より高く浮かんだ天名が、いきなり手にした華麗な扇を打ち振る。
雷よりも凄まじい轟音、大気が震える。
天狗の天名が発生させた極大の熱を含んだ衝撃波が、奇蹟のように、道の幅だけを薙ぎ払う。
それは、熱した石に垂らした水滴ほどにも、儚いものであったろう。
雲が吹き散らされた時、目の前の石畳の道には、あの異様な傀儡の群れは、跡形も残っていなかったのだ。
ミサイルの爆心地に居合わせた不運な人間よりもあっさり、きれいに蒸発してしまっている。
「ひぇぇえええええぇ……」
百合子が目を剥く。
陽炎が一瞬揺れた大気に、もはやあの傀儡の名残すら感じ取れない。
「げっ……うっそだろ……」
暁烏も目を白黒させている。
張り切って抜き放っていた太刀も所在なさげである。
「やー、まとめて倒すなら、やっぱり天名に勝る奴はいないね。流石天狗の祖の娘。国連に目を付けられそうな、生きてる大量破壊兵器!!」
真砂がけろけろ笑いながら、天名の気品ある肩を叩く。
天名は取り立ててどうということもない顔だ。
このくらいの戦いには慣れているということか。
百合子としてみれば、人外も高い地位となると、何かと過酷な戦いに対処しなければならないのだろうかという畏怖がある。
と。
「みなさーん!!」
ナギが叫んで飛び上がる。
はっと振り向いた百合子の視界、海沿いの道の奥に何か動くもの。
「あ、待て!!!」
百合子は、咄嗟に「傾空」を投げる。
裁きの神が下し置いた恐ろしい鳥のような神器は、唸りを上げて生き物のように人影を追う。
かすかに悲鳴が聞こえた気がする。
「……ッ、逃げられた!!」
信じられないというように、百合子は戻って来た傾空を見やる。
幾本もある湾曲した刃の根本、何か布の切れ端のようにものが引っ掛かっている。
「……え? これ……」
百合子が目を瞬かせると、冴祥が横から覗き込む。
「どうも、曲者の衣服を引きちぎったようですね。和服でしょうか。なかなか上等な。この衣服をまとっていた奴が、『人形遣い』かも知れませんね」
百合子は、はっとして、真砂や天名と顔を見合わせる。
「……これと同じ衣装を着ているのが犯人……?」
「おいおい、警察犬じゃあるまいし、それは骨だぞ」
真砂が苦笑する。
「冴祥。さっさと例の術を」
天名がじろりと冴祥に視線を当てた時。
いきなり、頭上の瑠璃の蒼天が、さながら薔薇色のオーロラのようなものに染め上げられたのだった。