2-5 真相

「まず。私は魔宝珠『マリー=アンジュ』を持っていません。ある男に、売り込まれはしましたがね」

 

 高層マンションの屋上で、ビル風がびゅうと鳴く。

 

 アマネとエヴリーヌは、思わず顔を見合わせる。

 闇路は、彼女らに構わず続ける。

 

「……私は、最初、あなた方が……特に、そちらのヴィーヴルのお嬢さん……エヴリーヌさん、ですか。あなたが奴と組んで私をハメたのかと思っていたが、どうもそうではないようですね?」

 

「あらあら、もの凄い誤解だわ。あたしにとって、マリー=アンジュは祖母の形見なのよ? どこの誰のことだか知らないけど、卸売りなんてすると思う?」

 

 困惑したような呆れたような顔と声で返すエヴリーヌに、闇路はうなずく。

 

「確かに、あなたの祖母君への感情を差し引いても、そのような危険な魔宝珠を外部にホイホイ売り渡すのはおかしい。それにあなたと相棒のアマネさんの、私の息子への態度を見ると、どうも、息子を殺した方々にしては不自然だと気付いたのです」

 

 こんどこそ本格的に、エヴリーヌはアマネと顔を見合せた。

 

「おい、待て貴様。貴様、息子がどうのと訳のわからぬことを抜かしているが、そもそも、なんでわしらが貴様の息子を殺さねばならん。貴様とは今日初対面、貴様の息子だというあの人間の小僧ともだ!! 殺すほどの恨みなどないわ!!」

 

 そもそも、なんでそういう話になったのか、最初から説明しろ。

 アマネは手厳しく言い渡す。

 

「最初からお話しますと……ことの発端は、息子が何者かに殺されたことでした」

 

 闇路の声は沈んでいる。

 

「人間の、人外ハンターに殺されたのだと聞きました。他の人外がハンターと組んで手助けしていたとも。その手助けしていた人外が、エヴリーヌさん、あなただと聞いたのですよ」

 

「ちょっと待ってよ、随分じゃない?」

 

 さしものエヴリーヌも呆れる。

 

「あたし、人間のハンターと組んだことなんてないわ。そもそも、なんで面識のないあなたの御子息を殺めなければならないのかしら? あたしを殺し屋か何かだとでも!?」

 

 闇路はふう、と重い溜息をつく。

 

「今思えば、裏付けの乏しい、不自然な話でした。情報を持ってきた奴自身というのも、かなりいかがわしいですしね。しかし、私は、自分で思うより、息子の死に打ちのめされていたようです。その情報を信じてしまった」

 

「そもそも、お前が息子と呼んでいたあの小僧、どう考えてもお前の子ではなかろう。完全な、かどうかは知れんが、人間だ。半分も吸血鬼の血が入っているなどとは信じられん、『普通の人間』だぞ」

 

 アマネは思い出す。

 闇路が目前に舞い降りてきた時の、涼の恐怖の表情。

 道了薩埵も大部分人間だと認めていた「人間」なのである。

 そもそも、半妖というものであったら、交通事故くらいで記憶がズタボロになどなるものか。

 

「涼は……元々は、人間なのです。まあ、生粋の吸血鬼というのは、大体そういうものですが。『親』によって人間の中から掬い上げられ、吸血鬼の人生に入るのですよ。あの子は、二百年ばかり前、私が人間の中から拾い上げたのでね」

 

 何かを思い出すような闇路に、アマネもエヴリーヌも怪訝な目を向ける。

 エヴリーヌが口を挟む。

 

「おかしいわ。なら、現時点では、生粋の吸血鬼じゃないの? 殺されかけたとか、そういうことが原因で、人間に戻るなんてことある? 聞いたことないわ、そんな話」

 

 闇路の現時点での情報で判断するに、涼は二百年前から吸血鬼であるが、人間のハンターに襲われ、殺害された、という判断を、闇路は下した。

 しかし、それは思い違い。

 彼は生きていた。

 ただし、何故だか人間に変身していた。

 

 あまりに不自然な話である。

 奇妙なことは多々起こる人外の世界であるが、この世界も無秩序ではなく、魔法にもパワーソースと法則がある。

 しかし、涼の件については、それを無視する事態が起こっていたというのだ。

 信じろという方が、無理がある。

 

「……確認するためにも、涼に会わせて下さいませんか。何が起こったか、知りたいのです」

 

 闇路は、静かに、だが揺るがぬ調子で要求を突き付ける。

 アマネは考え込み、口を開く。

 

「それ以前に、まず、そのおかしな話を持ってきた奴の情報を寄越せ。あまりに奇天烈で、それを確認するまでは、お前を信じる訳にはいかん」

 

 びしり、と言い放つと、闇路は、そうですよね、と言わんばかりにため息。

 

「……『恒果羅刹《こうからせつ》』。それが、奴の名前です。男性なのにだぶだぶの被衣《かずき》をかついだいで立ちの、不気味な男でしてね」

 

「恒果羅刹《こうからせつ》……聞いたことがあるな。あま評判の良くない妖術師だとかなんだとか」

 

 アマネが記憶をまさぐると、闇路は苦い顔を見せてうなずく。

 騙された屈辱もあろうし、奴に何をされたのかわからない、息子が心配なのだろう。

 

「二週間ばかり前でしょうか。息子が殺され、跡形もなく消えたと知って、どうにかなりそうだった私の前に、奴が現れたのですよ。そして、フランスの伝説のヴィーヴルの遺した魔宝珠だと言って、『マリー=アンジュ』を売り込んで来たのです。これがあれば、死んだ息子をも生き返らせると断言してね」

 

「それねえ、怪しいって思わなかったの? あなたみたいなタイプの人が、そんな見え透いたペテンに引っ掛かるなんてねえ」

 

 よほど参っていたのは本当ね。

 エヴリーヌは、流石に少々同情したようだ。

 

「……奴は、エヴリーヌさん、あなたのお名前を出したのですよ。伝説のヴィーヴルの孫娘が、金に困って祖母の遺産を売りたいということを」

 

 闇路は昏い目で、エヴリーヌを見据える。

 エヴリーヌが、今度は彼の表情がうつったように渋い顔。

 

「あのねえ、もし、そんなことをしたら、そもそも、世の中にお金で買う物自体が存在しなくなってよ? でも、確かにそれが一番もっともらしい説明ではあるわね……」

 

「お前に、こやつの注意を向けるのにも持ってこいだしな」

 

 アマネが軽口を挟む。

 

「しかしです。手に入れた『マリー=アンジュ』は、精巧にできたニセモノでした。息子を蘇らせるのではなく、あなた方のご存知の、あの怪物を生み出してしまったのです」

 

 そういうことか、とアマネもエヴリーヌも得心する。

 闇路は続けた。

 

「最初の一体は私が生み出しましたが、残りは……恐らく、恒果羅刹でしょう。これもあって、私は恒果羅刹と組んだエヴリーヌさん、あなたに騙されたのだと思い込んでしまった。奴が、わざわざ言い捨てていった、息子ともども、エヴリーヌ様の糧になるが良い、というセリフもありましてね」

 

「……なるほど」

 

 言葉を失ったエヴリーヌの代わりに、アマネが腕組みする。

 

「貴様の息子を殺したのは、恐らく恒果羅刹。そして、マリー=アンジュを盗み出したのも、恒果羅刹ということなのだろうな……そして、我らが相争うように、巧みに仕向けた。恐らくは、息子を殺されて怒り狂う邪魔者である貴様を、排除するために」

 

「……二週間前くらいに、息子さんが殺されたのがわかったのね? でも、『マリー=アンジュ』が母の元から盗まれたのは、最低でも一か月半以上前なのよ。息子さん殺害も含めて、その恒果羅刹という人は、色々仕組んでたのでしょう」

 

 今や、ほとんど全ての謎が氷解していく。

 闇路は何事か口走ろうと……

 

 アマネの懐で、電話が鳴る。

 取り上げたその表示には、道了薩埵の名前があった。