「軍神ヒゴイガと、その配偶神の運命神ナイチェクルは、本日になって恭順の意を表明いたしました。これでリリキの主要神は全て押さえることができました……」
「んぬ~~~、御苦労!!」
ふにふにふにふに……
希亜世羅が、莉央莉恵の膝の上で激しくごろごろしている。
力場の寝そべり型玉座の上、猫のように尻を突き出したこの上なくだらしない格好で、希亜世羅はリラックスしていた。
その横に呆れ顔で立っているのが冴。
彼の後ろに棘山。
そして、ビシェイエの横には、宇宙猫姿の伽々羅が寄り添っていた。
周囲は、リリキの鮮やかな紫色の海。
いや、海そのものではなく、壁一面にこの宇宙船の周囲の光景が投影されているのだ。
人の寄り付かぬ離島に擬して、巨大な巻貝にも似た形状の宇宙船が隠匿されていた。地球の基準で言うなら、オウム貝の殻をやや楕円にひしゃげさせたような見た目だが、大きさは都市一つ分ほどもある。
希亜世羅の力でそれはリリキの海上に浮かび上がり、周囲にはこの奇跡を目にしようと、リリキの人類――ビシェイエに似て深い青の肌をしている――が、様々な形の魔導動力船で詰めかけた。
冴としては、彼の知っている様々な宗教や国、民族の神話が、地球上で現実のものになったらこんな感じか、という感慨をもたらすものだった。
例えば神が天から降りてくるための空飛ぶ石の船とか。
あるいは、神の戦車とかいったものが、現実に目の前に現れたら。
このリリキでは神と人の距離は近いように思えたが、それでも「全て」を創りたもうた希亜世羅女神の聖なる船というのは、また別格には違いない。
つい最近まで崇める側だった冴はこそばったいが、崇められて当然な立場にある希亜世羅始め、神使たちにビシェイエも平然としたものだ。
「これでビシェイエさん、あなたの権力の地盤固めはできました。後は、あなたがこの神としての権力をどうお使いになるか。何せ、このリリキの最も力ある神族の主神ススジすらも、こと法に関してはあなたに逆らえないのですから」
きりっとした表情で重々しく申し渡す莉央莉恵はさながら磨き上げた銀の刀のようだったが、しかし視線を下にやれば、しっかり希亜世羅を猫さながらに撫で回しているのだから説得力がない。
さわさわさわさわ……
そしてキリッ。
「おいおい、あんたら。もう少しマジメにビシェイエの話を聞けよな」
流石に呆れた冴が、思わずといった調子で割って入る。
「聞いてるよ~~~。それに見てたよ、ビシェイエ。お疲れさん。あのおっかないおじさん相手によくあそこまで啖呵が切れたよ。ちょっとだけ私が手伝ったけど、大部分はビシェイエの力だよ」
そのふにょふにょした口調で語られる物騒な話に、冴は先ほどのビシェイエの報告を思い出す。
ビシェイエと、護衛として付き添っていた伽々羅の前で、軍神ヒゴイガの擁する神使の一団――もちろん、主である神の性質を引き継いで、ほぼ全部戦闘向きの神霊である――を天から降り注いだ聖なる光の雨が焼き滅ぼした。
同時にヒゴイガの武器も萎えた。
ソフトクリームのようにどろりと解け、崩れたのである。
全てが、遠く離れた場所にいた希亜世羅の神威というべきもの。
ビシェイエに実際に思っていた以上の希亜世羅の加護があること、そして全くの丸腰にされたことで、ようやくヒゴイガは抵抗の意思をなくした。配偶神のナイチェクルの説得も、それを後押しした。
「ふむ。最悪の場合、あの方も私の牢獄に閉じ込めて差し上げたいところでしたけど、神々の数はなるだけ減らさないという希亜世羅様の方針に異議は唱えられませんわね……」
冥府の女王のような冷徹な美しさを見せる莉央莉恵だったが、それは首から上だけ。
その手は休みなく希亜世羅を撫で回している。
さわさわさわさわ……
ふにふにふにふに……
「あっ、ずるいにょ~~~莉央莉恵、わたいも希亜世羅様で遊ぶにゃ~~~!!」
伽々羅が宇宙猫姿のまま、希亜世羅にすり付いた。
ごろごろごろ……
ふにゃふにゃふにゃ……
「いー加減にしろっ!! まずこの尻はやめろ!!」
べしっ!! と、冴の大きなごつい手が、楽し気に揺れる希亜世羅の尻を叩いた。
「いたーい!! 冴くんのえっち!!」
むうっと膨れた顔で、希亜世羅が冴を睨みつけた。
「何てことを!! そのお尻はわたくしが狙っておりましたのに、納得いきませんね!!」
まるで破廉恥を非難するような口調で、自分が更に破廉恥なことを言い出す莉央莉恵であった。
「今、おまいさんが思ったことを当ててやるにゃ。この尻は主に俺のだとか思ったにゃん? 残念、この伽々羅のものですから!! にゃっ……!!!」
猫の状態でもドヤ顔を見せる伽々羅に、冴の触腕が一撃くれた。
「あ~~~、結構いい眺めだったのに、主様も野暮……ふげ」
触腕が今度は器用に真後ろに飛び、棘山にチョップをくれた。
「まあ!! 伽々羅にまで!! このわたくしの目の黒いうちは、無法は許しませんわよ、冴さん!!」
思わず莉央莉恵にも触腕を飛ばそうとして、冴は思いとどまった。
その代わり。
「……じゃ、なんで、こいつの無法は許しちまったんだ? 止めてやるのがあんたらの……」
その声に、ビシェイエを除く全員の顔が強張った。
ふと。
ぽかんとしているビシェイエに気付き、冴は今までのむきになりようが嘘のように爽やかな笑顔を見せた。
「ああ、すまねえ。さて、これからどうすりゃいいんだ? まだ済んでない仕事ってあるか……?」
そう問われ、ビシェイエも我に返る。
「いえ、神界の神々の法廷も指揮下に入れましたし、リリキの神々ほとんどの支持を取り付けました。誠に、大いなる希亜世羅様と、冴様始め神使様方のお陰です」
ビシェイエが神々に対する裁判権を手に入れたことは即ち、リリキの神界で彼の定めた法と裁きに逆らえる者はいなくなったということだ、と、冴は莉央莉恵からあらかじめ教えられていた。
「……リリキの人たちをこれ以上騒がせたらまずいからさあ。それに、リリキの神界にも、干渉し過ぎると、自立の意思を殺いでしまうから。なるべく早く立ち去った方がいいね」
ビシェイエくんに逆らえる相手は、もうこれでいなくなったはずだから。
私たちがこれ以上リリキにいても、良いことはない。
その言葉に、冴は頷いた。
莉央莉恵、伽々羅、棘山に目配せする。
「多分周りの人たちも明るいうちにいなくなったらびっくりするだろうから。リリキのこの地域が、真夜中になってから立ち去った方がいいね。そのまま、予定の航路に戻ろう」
希亜世羅はひょい、と莉央莉恵の膝から身を起こし、しゃんと立ち上がった。
そのまま、光の紋様を纏いながら、ビシェイエに近付く。
「ビシェイエ、色々ありがとう。ごめんね、私がこの宇宙を留守にした間にこんなことになってて」
間近で話しかけられ、ビシェイエの青い顔が緑みを帯びた。
どうも、赤面しているらしい。
「この辺りが夜中になるまで起きててくれる? 出発する時になったら、思念通話するよ」
ビシェイエの返事は微かで聴き取れぬくらいだったが、意を決したようにもう一度「はい」と応じた。
彼の触覚が濡れて見えるのは、地球人なら涙ぐんでいるような状態だからだろうか。
「あの、また……お会いできるでしょうか?」
じっと見詰められて、希亜世羅は少し寂し気に微笑んだ。
要請には応えられるが、気持ちには応えられない。
それでも、彼女はこう告げた。
「いつでも私は、君の側にいるんだよ」
◇ ◆ ◇
「もうすぐだな」
壁面に投影される周囲の光景が真っ暗になったのは大分前だ。
冴は、希亜世羅と並んで、寝そべり式の玉座に腰を下ろしていた。
宙空に浮かぶ、地球のそれより大分小さな月は二つあった。
それだけでは、室内に投げかけられる光量としては勿論足りない。
希亜世羅の肉体を覆う光は、光量はともかく明滅が激しかった。
だから、目の前に、冴たちのいた宇宙で言うところの光子を放つ道具――照明器具を浮かべて、室内はさながら海上ホテルのあずまやのように照らされていた。
「そろそろ出発の時間ですかい。いや、こっちの世界に来てから時間の感覚がおかしくてねえ。明るい暗いくらいしか分からねえ」
棘山が、主の脇の空間に浮かぶ力場家具に寄りかかりながら、そうぼやく。
「周りに人がいなくなったにゃ。多分、ビシェイエから待避するよう、お触れはちゃんと出たみたいにゃ」
伽々羅が、人間の少女の姿でにゃあっと鳴く。
彼女は棘山の寄りかかっている家具にも似た、力場のカウチに座って足をぶらぶらさせた。
「ここ数日で、この船のことは把握しましたから。いつでも出発できますよ、我が主」
莉央莉恵がそう口にして、促すように希亜世羅を見た。
彼女は伽々羅と並んでカウチに腰を下ろしている。
驚いたことに、この宇宙船「女神の巻貝号」は操縦者の思念に応じて動くという機能を備えていた。
このこと自体はビシェイエに預けていくことにした「女神の花籠号」でも同じだったが、こちらはその性能だけでなく、飛行速度に優れ、多次元移動など、前の船にはない機能が無数に搭載されていた。武装に優れているのも特徴だが、あまり使いたくはない威力と規模ではある。
「……出発するまで黙ってようかと思ったが」
不意に、冴が重い口を開いた。
「昼間のことだ。覚えてるか?」
その言葉に、希亜世羅は不安そうな顔を見せ、莉央莉恵は眼鏡の奥で双眸を光らせた。
伽々羅はにゃ? と鳴く。忘れていたらしい。
棘山は何のことかすぐには思い出せなかった。
「莉央莉恵さんよ。あんたが、希亜世羅の知恵袋だってことは、ここしばらくのことでよく分かった」
冴は、莉央莉恵と真正面から目を合わせた。
彼女も冷然と見返す。
この惑星リリキに絡む騒動で、彼女の判断や知識があてにならなかったことなどない。
常に的確な判断を下す彼女は、希亜世羅を見事にサポートしていた。まさに右腕だ。
「なあ。そんな判断力があるんなら、何で希亜世羅が、全く関係ない遠い宇宙に侵略しようなんて言い出した時に止めてやらなかった? あんたが強く止めれば、こいつはそんな馬鹿なことを実行したりはしなかったんじゃないか?」
そう問いかけると、莉央莉恵はふうっと溜息を漏らした。
忸怩たる思いがこもった溜息だ。
「やめて」
すぐに、鋭い声の制止が入った。希亜世羅だ。
「莉央莉恵のせいじゃない。私が決めたんだ。莉央莉恵には無茶なことだなんて分かってた。だけど、私がどうしてもそうしたいって言うから、莉央莉恵も伽々羅も逆らえずに」
「だがな、そこでどうにか止めるのが参謀ってやつの役目だろう? 人間の基準で言うなら、全くのアウェイな環境に乗り込んでいく訳だ、上手くいかない予想くらい立っただろうが!!」
冴は声を荒げる。
ここしばらくで見た、希亜世羅の、世界を背負う神としての資質。
公正であり、必要な時には果断。
そして、その根底にはこの世界への愛がある。
素晴らしい女神だと思った。
この女神の下にある世界は、自分の元いた世界以上にどきどきする、魅力的なものがあった。自分の体にこの世界の理《ことわり》を備えて、ますますそれを確信した。
だから――かつての、拭いきれぬ汚点が、どうにも我慢できないように、冴には思われたのだ。
止められるなら、止める役割として創られた神使なら、何故止めなかった。
どうしても、冴には納得できなかった。
「そう言われりゃ、そうだなあ。こうして間近に接していると、希亜ちゃんがそんなおっとろしいことした神だなんて、納得できねえよ」
棘山が、今気付いたように呟いた。
「主の言い方はきついが、一体何の間違いだったんだって、言いたくなる気持ちはわかるよ」
「おみゃ~みてえなひよっこにゃあ、分からない神の都合もあるにょ。余計な口出し……」
「いや、口出しさせてもらう」
伽々羅の言葉を冴はぶったぎった。
「俺はいつまでもこいつの側にいて、道を踏み外さないように見ててやるって誓ったんだ。だから、前の失敗のことも知る必要がある」
ぎろり、と、莉央莉恵、伽々羅を睨み渡す。
二人は顔を見合せた。
気まずいというも愚かしい、沈黙が満ちる。
時間が、異様に間延びして感じられた。
「待って。私が話す」
希亜世羅が割り込んだ。
「全部覚えてる訳じゃないけど、これで間違いないと思う――私は、器用すぎる子供だったんだ」
冴が振り返った。
「どういうことだ?」
「……望めばなんでもできたの。だって、私の周りにある多宇宙《せかい》全部、私のために私が創ったものなんだもの。どんな風にでもできる。ある時から、それが物足りなくなったの。『他者』が欲しくなった」
冴は凝然と目を見開いて、希亜世羅を見る。
「……私が作ったのではない他の宇宙を手に入れたらどんな気分かなあって。私と決定的に違う『何か』を手に入れられると思ったの。本当にそれだけ」
希亜世羅は、自分の瞳が揺れているであろうことを意識した。
全ての創造主にしては情けない。
だが、今自分の知っていることを、冴に隠したくなかった。
冴は悟る。
要するに。
おもちゃ箱のおもちゃに退屈してしまったから、よその子のおもちゃ箱を取り上げようとした。
それに気付き、冴は一瞬唖然とし――次いで、ほうっと溜息をついた。
「分かるよ。周り中見ても自分が映った鏡があるだけ、みたいに感じたんだな? それで耐えられなくなっちまった。予想もつかない『何か』が欲しかったんだろ?」
それは絶対的な孤独ではないのか。
全てを持つ者は、何も持たざるに等しいと、以前聞いたことがある。
希亜世羅は、まさにそれだったのではないか。
だから、飢える心の命じるままに、禁忌に手を伸ばした。
そして神使たちは、その飢えを知るからこそ、それを止められなかった。
そして、そのことを知った今、冴のすることは一つだった。
「……希亜世羅。お前、俺が何を考えてるか分かるか?」
「……え?」
希亜世羅は虚を突かれた顔になった。
「えっと、そういうことが分かる術はあるけど、そんなこと冴くんに」
「したくないんだな? しなくていい。俺が、お前にとっての『他者』になってやるから」
衝突して、考えて、理解して、そして違いを認識して、だからこそ愛しくなって。
そういう相手が、いればいいだろう。
「……あっちの世界にも、行こうぜ。とりあえず、俺たち、あっちの世界で高校卒業するまで過ごさねえか?」
あっちの神様連中には俺からどうにか言っておくから。
「神様と神使なのに、普通のコーコーセーみたく過ごそうぜ。なあ、俺の仕事も手伝ってくれよ」
それはどんなに素敵なことだろう。
二人にとっての未知。
「そりゃ!! もう一声!!」
「そこで付き合ってくれって言わなきゃ!!」
じれったそうに叫んだのは、目を爛々と輝かせた伽々羅と棘山。
希亜世羅が王冠に覆われたような頭を、そっと冴に預けた。
「ちょっとつつかれたみてえで腹立たしいけど」
冴はそう言って、希亜世羅の耳元に唇を寄せた。
「……本当に付き合わねえか、俺ら」
希亜世羅は、小さくうなずき、そっと冴の肩にしがみついた。