5 天使マカライト

 そのまだ若く見える男性は、いきなり無言でD9の前に立ちはだかった。

 

 D9はいささか奇妙に感じる。

 今まで自己紹介しあった「特務部隊Oracle」の神魔たち、全員ともに友好的だった。

 自分に期待していること、互いにいい雰囲気で仕事していこうという仲間意識が、早くもうかがえた。

 元日本の社畜としては、任務の危険度や彼らのスキルの希少性に合わせて支払われる、適切な報酬や休日、様々なケアが行われることから、こういう空気も当たり前だと思えたのだ。

 やはり、搾取されても搾取されていると感じないほど搾り上げられていては、誰もまともでいれないのだ、必要なのはまともな環境だと実感したのだが。

 

 その男性は、やや細面で色白の、中性的な容貌を持っていた。

 琥珀色の髪、通った鼻筋に孔雀石の色の目が、古典的な印象を与える。

 

 同時に、彼の姿に二重映しになっているものを、D9ははっきりと見て取った。

 

 純白の大きな翼の、天使。

 

 あ、本当だ、天使もいるんだなと感心し、同時に違和感に気付いた。

 

「彼」から漂って、冷気の塊のようにぶつかってくるもの。

 

 それは、ごまかしようもない「敵意」だった。

 

 緑の目は、石のように冷たく硬く、近寄りがたい軽蔑を持って、D9に向けられていた。

 

「おいおい、マカライト。新人をそう威圧するもんじゃないよ」

 

 D9が、というより、彼女の周囲を固めていたダイモンとムーンベルが何か言いかけた時、聞きなれた声が、その緊張感に割り込んでひびを入れた。

 

「あ、メフィストフェレスさん」

 

 人垣――神魔垣というべきか――を掻き分けて姿を現したダンディな男性に、D9は露骨にほっとした。

 彼は、まるでとりなすように、そのマカライトと呼ばれた男性の前にたちはだかり、殊更お茶目に、D9に向けてウィンクして見せた。

 

「やあ、悪かったねD9。こいつが噂の天使様なんだが、いささか、『信仰心が堅すぎる』奴でね」

 

 D9はようやく、以前に言われていたことを思いだした。

 一神教の天使系の神魔にとっては、D9のような「旧き龍」は、「ヤハウェ神が世界の創造主ではない」ということを示す、生きた証拠。

 ゆえに、一部の者はD9に強烈な敵意を抱く可能性がある……。

 

「あなたに、申し上げておくべきことがある」

 

 そのマカライトと呼ばれた天使が、冷たい表情のまま、D9を見下ろした。

 それでも口調自体は丁寧なのだが、それだけに冷酷さを際立たせる効果しかない。

 

「世界の創造主は、我が父なる主である。あなたの血の源となった、呪われた龍ではない。そのことは十二分に、承知して今後の活動に励むよう。それさえ承知していただければ、私は一切あなたのことを関知しない」

 

 D9はきょとんとした。

 

「いや、あの……客観的な事実なのに、私個人が認めるかどうかって、そういう話なんですか? 私が認めようと認めまいと、過去にあった事実は不変なんだから無意味なのでは?」

 

 思わず日本風のツッコミをしてしまい、マカライトの目がぎろりと剥かれた。

 すぐに反らしたのは、D9の旧き龍の視線に対抗しきれなかったからか。

 メフィストフェレスが噴き出し、ムーンベルが苦笑し、ダイモンに至っては露骨に笑い転げた。

 

「そういうこった。そこそこ偉大な天使、バルキエル様よ。あんたの信仰がどれだけ堅くても、世界に刻まれた事実を打ち消すことはできないんだぜ? どんなにあんたがまじめに神に祈ってようと、あんたの意図しているところは、結局事実の歪曲だ」

 

 D9に向かう時以上に、火を噴くような目で、本名を呼ばれた天使がダイモン(悪魔)の名を持つ人物を睨みつけた。

 

「悪魔風情が……」

 

「ああ、俺だって、あんたらの御大将よりも古いんだよ。俺より更に古い『旧き龍』のお嬢さんに、そんな浅薄な観念を押し付けるのが、どれだけ滑稽かなんて、よくよくわかってるつもりだ。少し、頭を冷やすんだな?」

 

 ぞっとするような、風が吹いた気がした。

 D9がいけない、と思ったその時。

 

「マカライト。君は契約内容を忘れたのか?」

 

 のんびりしているとすら言える、プリンスの声が割り込んだ。

 まだ、ポトをもふっているが、その底に秘められた響きは、情けも容赦もなく鋭い。

 

「君の個人的な信仰には、Oracleは一切関知しない。そして、君がOracleの面々に、自分の信仰心を押し付けるような行為は、厳重に禁止。君は、たった今、それを破った。そのことは認めるかな?」

 

 明らかに、マカライトの顔がひきつっていた。

 青ざめた表情のまま、プリンスを睨む。

 プリンスが一瞥しただけでその目も伏せられたが。

 

「……私は……ただ……」

 

「弁解は必要ない。今後一切、今のような契約違反の行いを、D9はもちろん、Oracleメンバーの誰に対しても行うことを改めて禁じる。それが再度破られるようなことがあったら……君の信ずる神は、このOracleに対する影響力を失うぞ?」

 

 穏やかに通達しているようだが、有無を言わさぬ言葉の切れ味に、マカライトは肩を落として沈黙した。

 

「やあ、来た早々に悪かったね、D9」

 

 相変わらずポトをもふりながら、魔人の大佐は詫びた。

 

「気にせんでくれ。マカライトにはふさわしいペナルティを与えておく。さて、そろそろ、こちらも本題に入るかね? 君がまず、するべきことを指示しよう」

 

 上機嫌で微笑まれて、D9は、そういえば初仕事はなんだろうと、首をかしげた。