6 城子市の昔話

 暖かな春の陽が、アンティークなステンドグラス風の窓越しに柔らかく降り注いでいる。

 城子市内、繁華街から入った裏通りの一角、いかにも隠れ家的な、落ち着いた喫茶店。

 奥の、木目の麗しいしいテーブルに落ち着いている紗羅は、約束の時間五分前に姿を現わしたその女性に向けて軽く手を上げる。

 

「羽賀さん!! こちらです、御足労ありがとうございます!!」

 

 紗羅は高校生らしからぬ慣れた礼儀で立ち上がって頭を下げる。

 羽賀と呼ばれた、そのくっきりした、少しきつめだが美形の女は、ビジネススーツにヒールをコツコツ言わせて紗羅の席に近付く。

 

「いえいえ、待ちました? これでも急いだのですが」

 

「いえいえ、お忙しいところ申し訳ございません。しかし……」

 

 紗羅がやや言い淀むと、羽賀は同情するようにうなずく。

 

「わかっております。こちらこそお礼とお詫びを申し上げねば。わたくしどもも、元喜お坊ちゃまの行動には頭を悩ませておりまして。一人で何とかすると言って聞かず」

 

 羽賀はやや重い溜息をついて席に着く。

 

 若年ながらもかなりの修行を積んだ紗羅の目には、羽賀と人間名を名乗っているその女性の背中に、大きな桃色と金色に二色の羽毛の見事な翼が見て取れる。

 彼女もまた天狗の一族である。

 天狗たちはあまたいる人外たちの中でも、かなりの程度人間社会に溶け込んでいる種族であり、彼等が設立した企業、などというものも、地元城子市には存在する。

 彼女は、その企業の現社長の秘書の一人であり、創設者、つまりは羽倉元喜の父親から見れば数いる臣下の一人である。

 元喜のことは、彼が生まれた時から知っているはずだ。

 

 紗羅は、やっぱり、という表情で羽賀を見据える。

 

「お話した通り、元喜くんはうちのオカルト研究部の部員で、街中で妖怪に襲われそうになった者を助けてくれました。そして、その翌日、今日になってご存知の事件の疑いをかけられて、事情聴取されてしまわれた訳です。一体、何が起こっているか、ご存知のことをどうか教えてください」

 

 羽賀は意を決したように、ショルダーケースから、何かのコピーを取り出す。

 

「これは……?」

 

 紗羅はそれに目を走らせる。

 何か、古い新聞らしきもののコピーと、市街地の古い地図を数枚、に見えるもの。

 

「かなり昔の事件ですから。紗羅さんは、なんとなく聞いたことがあるくらいかも知れませんね。御両親がかなり解決に尽力なさった事件です」

 

 羽賀は新聞記事のコピーを示す。

 そこには、「城子市を震撼させた凶悪新興宗教教祖自殺」の見出し。

 平穏な地方にしては滅多にない大事件だということが、その巨大な白抜き文字から伝わってくる。

 

 紗羅は日付に目をやる。

 

「三十年くらい前……すると、私の両親が今の私くらいの年齢だった頃ですか」

 

 羽賀はうなずく。

 

「学生さんだった彼等には本当は接させたくないほど、苛烈な事件でした。カルトの教祖というと、霊能もインチキというのが定番ですが、この男の場合、一応きちんと真言の修行をしていて、それなりに霊的能力も高かったのです。厄介でしたよ、本当に」

 

 紗羅はすうと目を細める。

 ウェイトレスが注文を取りに来たので、それぞれロイヤルミルクティとカプチーノを注文する。

 

「真言使いだったのですか」

 

 私と同じか、嫌だなあ、と内心紗羅はげんなりする。

 真言は強力であるが、悪用しようと思えばある程度できてしまう。

 しかし、カルトの教祖になるほど悪行を重ねたら、御仏の加護は失せ、法力は無に還る。

 はず、だが。

 

「真言使いとして修行を始めたのは事実なようですが、最終的に使っていたのは、妖怪を創り出したり使役したりする外法ですね。その辺の未成仏霊を歪めて妖怪に作り替えたり、それを使役して依頼のあった相手に『呪い』をかけて殺し、更にその苦痛にまみれた霊魂をまた妖怪を作る原料にする……」

 

 それで法外な報酬を得る、呪殺をちらつかせて地元の企業人や議員まで脅す。

 結局地元の殿様になりたかったのですね。

 事実、やりたい放題でしたよ。

 羽賀は盛大に嘆息する。

 

 さしもの紗羅も、その邪悪さには慄然とする。

 妖怪もしくは人外と呼ばれるような存在には、二種類あるのだ。

 一つは羽賀や元喜も含む天狗のような、「霊的要素の強い、人間とは種類の異なる知的生命体」。

 もう一つは、成仏できない霊魂や強烈な残留思念などを核に、霊障のある穢れた場所などの淀んだ気が凝って実体化、最早人間離れした怪物的な霊的生命体として固定してしまうというもの。

 後者は、自分の魂が汚れても構わないという刹那的な術者にだったら、人為的に作り出せるものと知られる。

 そのカルトの教祖は、自分も最終的に魂が歪んで怪物化するのも省みず、外法に手を染めたということなのだろう。

 

 しかし。

 問題はある。

 この記事の日付は、およそ三十年前。

 この時点で、このカルト教祖は表向き自殺している。

 しかも、記事に記載されているこの男の年齢は、この時点で60を超えている。

 もし影武者を仕立てて逃げおおせていた、などということがあったとしても、はたして90歳代のヨボヨボのはずの人間が、古巣に戻って昔と同じことができるのか。

 

「……外法で作り出した妖怪に、うちの部員を襲わせたということですか。しかし、この教祖、三十年前に既に……」

 

 紗羅が記事のコピーから顔を上げると、羽賀はふっとかすかな溜息。

 

「……この類の外法を使う奴というのは、ご存知のように、自らも怪物化するんですよ。人間でなくなるんです。怪物化すれば、肉体的に滅びようと、それは大した問題ではなくなる。霊体の状態でどこか適当に霊障が悪い場所に潜伏して、そこの淀んだ気を集めて実体化すればいいのですからね」

 

 紗羅の目が底光る。

 

「元喜くんが追っているのは……怪物化して復活したカルト教祖……!?」