1 いろいろいたんです

 一体、何でこうなった。

 

 大道誠弥(おおみちせいや)は、目の前に広がっている、それなりに古びたその部室をしげしげ眺めた。

 

 主に文化部のための部室が集まる部室棟の更にはしっこ、十人も入れば手狭になる、明らかに「余ったスペース」と言わんばかりの部屋。

 今日日古びた木目の床に、長机が三つほど、コの字の形に配置されている。

 何が入っているのかよくわからない棚類とロッカーが隅に押し込まれている。

 

 窓から差し込む昼前の春の日差しはまさにうららかだが、誠弥にはそれを味わう余裕もない。

 目の前には、とんとん拍子に話を進める、今日会ったばかりのクラスメイト。

 

「……でね。この子、『見える』子なのよ。私の角が、見えてるんだって!!」

 

 サイドバングショートの、大きな目が印象的な少女が、自分の頭部を指しながら、目の前の上級生らしき二人に力説していた。

 

 そう、角。

 誰にも見えないはずであろう、らせん状の優雅な角が、誠弥には見えていた。

 彼女、今日初めて会ったクラスメイト、尾澤千恵理(おざわちえり)の頭部には角が見えたのだ。

 

 始業式が終わり、新入生たちが帰ってきた、県立城子(しろこ)高校一年三組の教室。

 そこで、隣の女子の頭を、誠弥はちらちら見てしまっていた。

 

 いや、だって。

 一見、ちょっと可愛い、普通の女の子の頭に、らせん状の銀色の角が生えていたら、思わず見るに決まっている。

 

 だが、教室は平静で、彼女の姿が騒ぎを起こす様子もない。

 誠弥には、ある意味慣れた現象。

 

 自分にだけ見える、奇妙な「何か」。

 

 突然だった。

 その女子が、誠弥を振り向いて、抑えた声で早口に囁いた。

 

『ねえ、君さ。ひょっとして、私の角が見えてるんじゃない? 視線を感じるんだけど、主に頭に』

 

 誠弥は心臓が跳ね上がり――

 

「なるほど、よくわかった。君の角が見えるということは、よほど霊感に優れているということだな」

 

 妙に気取った、そのくせ、声の響きも良く、やたら板についているので嫌味に感じない口調で、長机の上座に座った上級生の男子生徒――校章の色からすると三年生だ――が、立ち上がって目の前の自分に右手を差し出してきた。

 長身で、美形の部類に入る顔立ち。

 目の光が強かった。

 

「ようこそオカルト研究部へ!! 歓迎するとも、大道誠弥くん!!」

 

 ……いやあの、一言も入るなんて言ってないんですけど、それは。

 

 誠弥がその手を握り返した方がいいのか逡巡していると。

 

「大道くん。迷うお気持ちはわかりますけど、多分、ここ以外に行かない方がいいですよ。恐らく無理解にさらされて苦しむことになるでしょう。今までそうだったのではないですか?」

 

 今まで静かだった、三年生の隣にいた二年生の女子が口を開いた。

 

 長いストレートの髪は手入れが良く、つややかだった。

 カチューシャに、赤いアンダーリムの眼鏡。

 ちょっと冷たく見えるほどに整った目鼻立ち、均整の取れた体つきが、制服のブレザーの上からでもわかる。

 

 誠弥がぎくりとしていると、彼女は構わず続けた。

 

「私の見立てでは、あなたは極度の霊感体質ですが、自分の身を護る術はほとんど持っておいででない。守護霊さんも、あんまりあてにならない感じですし。今までさんざん、ごく普通の日常を送っているつもりなのに、怖い思いをされてきたのでは?」

 

 ……なんだろう、この人、どこかで会ったっけ……?

 

 誠弥はまじまじと彼女を見詰めた。

 

「私、多少は修行してるんです。家が真言宗の寺なもので。たまにあなたみたいな体質の人はいらっしゃいますけど、あなたはいささか極端なような」

 

 何かを探るように見つめられ、誠弥の脳裏に走馬燈のようにあれこれが蘇った。

 

 初めて「連中」を見たのが何歳ごろだったかなど、もはや覚えてもいない。

 気が付くと、自分にしか見えない「モノ」があちこちに存在していることに気付いた。

 隅に花束の供えられている道路の脇に立つ、血まみれで、妙な形に肉体がひん曲がった男性。

 頭上を仰ぐと、今しも白い病衣姿の女性が降ってくるところで、慌てて目をつぶってしばらくしても、そこには誰かが落ちてきた影なぞない。

 再度見上げると、全く同じ人影が、また全く同じように建物の屋上から落下してくる。

 自分の部屋に「住み着かれて」しまったこともある。

 体が朽ちてあれこれ丸出しになった老人との暮らしはキツかった。

 

 それが何とかなる?

 今更?

 入ったばかりの高校の部活で?

 そんな馬鹿な。

 

「ねえ、とりあえずさあ、お互いに自己紹介とかして、誠弥くんに私たちが誰か知ってもらおうよ。多分、今、その辺の高校生が何を言ってるんだよって、思ってるんじゃない?」

 

 千恵理がちらりと誠弥を振り返った。

 まあ、大体当たりだが……と思った矢先、あれよという間に、誠弥は脇に並べられた長机の一角に押し込まれる。

 隣に、千恵理がちゃっかり収まる。

 

「ふぅーむ、では、まずこの僕から!!」

 

 きゃらーん、と効果音が鳴りそうな勢いで立ち上がったのは、先ほどの三年生男子生徒だ。

 

「僕はこの城子(しろこ)高校オカルト研究部部長、黒猫礼司(くろねこれいじ)だ!! よろしく、にゃっ!!」

 

 さわやかなイケメンスマイルを投げかけられて、誠弥が面食らった次の瞬間。

 

「……ほぁあっ!?」

 

 妙な声が出た。

 いきなり、目の前からイケメンが消え。

 彼の席だった長机の上に、大きめの黒猫が一匹、座っていたからだ。

 

「なーん」

 

 いや、なーんじゃなくって……。

 

「部長、可愛さアピールしてないで自己紹介の続きしてください。話が進まないじゃないですか」

 

 隣の二年生女子に容赦なく突っ込まれて、黒猫が不機嫌そうにぶみゃあ、と鳴いた。

 

「わかってるよ。これはサービスってものだ、KAWAIIサービス!! ……ああ、失礼した、大道くん。僕は見ての通り、猫又(ねこまた)というやつでね」

 

 元部長だった黒猫が、二又に分かれた尻尾をぴろぴろさせた。

 

 ……そういえば、年月を経て尾が二又に分かれた猫は、猫又になるんだっけ。

 何かで読んだなあ。

 

 あまりに驚き過ぎて、逆に冷静になってしまう、誠弥であった。

 動転する神経が痺れてしまったようになっている。

 

「あー、一言申し添えておくとだね。とんでもないじいちゃん猫だと思うかも知れないが、僕は猫又の両親から生まれた若い猫又だよ。見た目と中身一致、ぴっちぴちのセブンティーンだということを忘れないように!!」

 

 やけに力説する礼司に、はあ、とうなずく、誠弥であった。

 と、思った矢先、長机を伝って、猫が来た。

 誠弥の目の前で香箱座りになる。

 ごろごろ。

 

「撫でてもいいのだよ、ふふふ……」

 

「はあ……」

 

 思わずもふもふしてしまう、誠弥であった。

 もふもふ。

 

「さて、猫又は放っておいて、次は私ですね」

 

 眼鏡美少女の二年生女子が立ち上がった。

 

「私は、熊野御堂紗羅(くまのみどうさら)。さっきも申しました通り、家が真言宗の寺でして、ちょっと修行らしきことをしています。多少の法力なら使えますよ」

 

 そう口にすると、彼女は、自分の荷物をまさぐって、中から錦の巾着を取り出した。

 その中から出てきたのは。

 

「……えっ、本物!?」

 

 それは黄金色に輝く明らかに密教系の仏具らしきものだった。

 昔親戚のお兄さんの家で読んだ漫画で見たことがある。

「金剛杵(こんごうしょ)」というやつではないか。

 金色の、人の掌くらいの長さの膨らんだ柄に、両端それぞれに突起がまっすぐのものが一つずつ、花びらのように湾曲したのが四つずつ、計五つずつ突き出している。

 

「五鈷杵(ごこしょ)です。密教の法具ですよ。これで法力を増幅して戦います。あなたに今まで付きまとってたくらいの浮遊霊くらいは蒸発しますよ」

 

 自信たっぷりに、紗羅が断言する。

 誠弥の心臓の鼓動が速くなる。

 本当だろうか。

 この人の側にいれば、今まで悩まされたようなあれこれが、消滅するのだろうか?

 

「さーて、最後はあたしね!!」

 

 最後に立ち上がったのは、隣に座っていた千恵理だった。

 のびやかな肢体が目にまぶしい。

 

「今更だけど。あたしは尾澤千恵理(おざわちえり)。尾澤家の伝説、知ってる人いるかな? 尾澤家の先祖の女性が、龍神様と結婚して、子孫を設けたんだって。その血を引いているのが、このあたし」

 

 ああ、そうか、と、誠弥は納得した。

 だから、頭に普通の人間には見えない角が生えているのか。

 

「あたしは、龍神様の……大おじいちゃんの腕っぷしの方を強く引いたらしくて。魔物相手に白兵戦ってのが、戦い方なのよねー!! こういうのを使うの!!」

 

 ふいっと、千恵理が空中で何かを掴みだすように腕を振った。

 次の瞬間、その手の中に、華やかな螺鈿の施された鞘に包まれた、刀が出現していた。

 

「いぇえっ!? なんだよそれ、どっから出した……」

 

 んだ、と言いきることはできなかった。

 誠弥の目の前で、千恵理が鞘を払った。

 白刃が目に焼き付く。

 

「えっ、ちょっと待ってそれ!! それ!!! 本物の刀じゃないの!? 刃、潰してないよね!?」

 

 目を白黒させている誠弥に、千恵理は刀を見せびらかすように軽く動かして見せた。

 わずかな動きでも、そして素人の誠弥にも、彼女がそれを振るうことに慣れているというのが納得できる。

 

「あったりまえでしょ? 魔物の中には、実体を持ってるやつも沢山いるのよ。そんなお行儀よく戦えないわよ」

 

 誠弥が言葉を失っているうちに、千恵理は彼に視線を注いだ。

 

「最初見た時から気になってたんだけど、あなたげっそりしてるわね。取り憑かれてるって訳ではなさそうだけど、霊関係で困ったことあるんじゃない?」

 

 核心を突かれて、誠弥はぎくりとした。

 

「大道くん。一応、体験入部という形でいい。仮にオカルト研究部に入って、君の悩みを解決してみないかね」

 

 黒猫形態のまんまの部長礼司が、ごろごろ喉を鳴らした。

 

 ごくりと、つばを飲み込み。

 誠弥は立ち上がった。

 

「一年三組、大道誠弥(おおみちせいや)です。特にこれといった特技はありませんが、霊……っていうのか、変なものが見えます。けっこう怖い目にもよく遭います。霊感があるっていうのでしょうけど、特に何か得したことはありません」

 

 淡々と。

 誠弥は、言葉を紡いでいった。

 

「ただ、最近特に困っているのが……」

 

 続いた言葉に、礼司も、紗羅も、千恵理も、切り裂くような鋭い気配を見せたのだった。