6-16 妖精姫の憂鬱

 ここは、どこ?

 

 マイリーヤは、突如迷い込んだその迷宮に、強烈な違和感を覚えて震えた。

 

 きょろきょろと辺りを見回す。

 そこは「森」だった。

 ただし、故郷、見慣れたフォーリューンの森の古木ではない。

 薬物中毒者の幻覚かと思われるような、妙にサイケデリックな色合いの、ねじ曲がった奇怪な森だ。

 こういう画風の画家の絵を、前の世界で見たような気がする。

 

 どういうことだろう。

 ボクは、遺跡の研究所エリアにいたはずじゃないのか?

 

「……イティキラ? レルシェ? 太守さん? ジーニック? ……ゼーベル……?」

 

 周りに誰もいない。

 おかしい。

 確かに六人でいたはずだ。

 

 目を落とす。

 手には、いつもの魔導銃ダウズールが握られている。

 敵に捕まり、武器も取り上げられてどこかに……という線ではないようだ。

 

 では、どうして。

 

 マイリーヤはふわりと翅を動かして浮き上がり、羽毛のように宙に浮いた。

 とにかく、みんなを探さないと。

 

 森の中だし妖精族の飛翔能力なので、ハヤブサのようにとはいかなかったが、歩くよりは大分速い速度で、マイリーヤは進んだ。

 

 ふと――

 空間が開けた。

 

「えっ……」

 

 思わず頓狂な声が出る。

 そこにあったのは、見覚えのあるあの故郷。

 森の一角にあった、あの木造の建物が並ぶ、「あの」フォーリューン村だった。

 

「どういうこと……なんで???」

 

 あの焼けぼっくいしか残っていない村の記憶が甦り、マイリーヤは目をぱちぱちさせた。

 確かに、村は……

 

『全く、あの子が出て行ってくれて、悪いけどほっとしたわ。あんな調子でいつまでも村にいられたら、ねえ……』

 

 急に聞き覚えのある声で、そんなセリフが飛び込んできて、マイリーヤは固まる。

 村に幾つもある井戸の脇に立っている、その人影。

 母のシェイリーテだ。

 そして、近所の見知った奥さんたちが周囲を取り囲んでいた。

 

『シェイリーテちゃん、本当、あの子の子育てでは苦労してたもんねえ。お疲れ様。後はまともな男の子一人だし、気が楽になったでしょ?』

 

 そんなことを、いつも自分を心配していてくれた……と思っていた、近所の奥さんが口にする。冷酷でぞんざいな、半笑いの口調で。

 

『そうねえ。跡継ぎさえ確保できれば、うちはそれでいいから、特にあの子がいなくなっても困らないし、本当に良かったわ。あの子があんな変な夢の話ばっかりする子じゃ、下の子まで変に見られて迷惑だしねえ』

 

 母のやれやれという呟きが聞こえそうな口調に、マイリーヤは真っ暗な穴に落下していくような気分に囚われる。

 

 弟が、いた。

 例の夢の話をすると、年頃だけあってか、馬鹿にしてきた弟。

 しかし、彼がそんなことをマイリーヤに言おうものなら、母が飛んできてきつく叱っていた。

 姉さんに、そんなことを言うもんじゃありません!!

 

 ……そうか。

 本当は、母さんにそう思われていたんだ、ボク。

 

 それ以上聞いていられず、マイリーヤは身を翻して森に戻った。

 行くあてもなかったが、どこかに行きたかった。

 

 もしかして、ここは過去のフォーリューン村じゃないかな。

 マイリーヤは漠然と、そんな風に思った。

 過去にしては、風景といい雰囲気といい、おかしいのだが、すでに彼女は正常な判断力を失っている。

 

『いやあ、おかしな子だったが、さすが長の娘。野盗を追っ払ってくれたのは、助かりましたねえ。おまけに、変な女について、この村から消えるっていうおまけつきで』

 

 嘲笑を含んだそんな声も、聞き覚えがあるものだった。

 

 木々の間に身を隠し、マイリーヤは、村の猟師たちが使う獣道の様子を観察した。

 そこをゆったり歩いてくるのは、狩りの獲物を担いだ、村の男たち。

 その中心にいるのは。

 

「父さん……」

 

 微かな、自分にしか聞こえぬ声で、マイリーヤは呟いた。

 

『全くな。英雄カルカランの末裔に、気狂いが出たとあっては、末代までの恥。外聞も悪い。村全体の評判まで悪くなるから、冷たく当たって出ていくよう仕向けていたのだが、ようやくだ』

 

 笑い声は、その毒々しい言葉は、一番聞きたくない声で聞こえた。

 父さん。

 見間違えるはずもないその人物は、隣の獣佳族の若者に向けて笑いながら続けた。

 

『あの野盗にさらわれて、どこか遠くの金持ちにでも売られることを期待したのだが、邪魔が入ったからな。ま、邪魔と思ったものが、あのお荷物を持って行ってくれたのだから、感謝せねばなるまいが』

 

 ……。

 そうか。

 ボクは、父さんと母さんに、そんな風に思われていたんだね。

 あの、村を救った時に感謝してくれていた言葉なんか、嘘だったんだね。

 

 辛い時間は、妙にゆっくり流れるような気がした。

 

 マイリーヤは、身を翻した。

 

 自分には、居場所がない。

 

 故郷に、家族に拒まれている。

 

 帰る家がない。

 

 この旅が終わったら、どうすれば……

 

 ……

 

 そうだ、仲間は。

 

 みんなはどこに行ったんだろう。

 

 溺れる者が空気を求める必死さで、マイリーヤは仲間の姿を求めようとした。

 

「イティキラ。レルシェ。太守さん。ジーニック……ゼーベル!!」

 

 最後の名を口にした時、視界が急に明るくなった。

 

 ……鼻を、潮の香りがくすぐっていることに、マイリーヤは気付いた。

 ここは。

 

「……スフェイバ……?」

 

 そこは、故郷とは何もかも違う街。

 ルゼロス王国の、スフェイバだった。

 行きかう人々の種族が、龍震族に圧倒的に傾いているのも、記憶に合致している。

 

「ここも……過去のスフェイバなのかな?」

 

 きょろきょろと見知った姿を探し求めている時、マイリーヤの目に、懐かしいと言える後姿が飛び込んできた。

 

 背中に太刀。

 紅い跳ね返った長髪。

 そして、蛇魅族特有のゆったりした衣装。

 何より……鮮やかな紅色の鱗に覆われた、下半身の蛇体。

 

「ゼーベ……!!」

 

 声をかけようとしたその時。

 

『よう。待ったか?』

 

 マイリーヤには、ついぞかけてくれたことのないとろけた声で、ゼーベルがそこにいた「誰か」に、声をかけた。

 

「……え」

 

 マイリーヤは、固まる。

 

 そこにいたのは、きらきらした雪白の髪と、神秘的なまでの白い鱗の……見たことのない、美しい蛇魅族の女性だった。