6 もう一度あの世界へ

 度会修哉《わたらいしゅうや》は、震える手で書店の紙袋を破いた。

 

 牧歌的なイラストが取り去られると、中から出てきたのは――おどろおどろしい、と表現しても過言ではない、怪物のイラスト。

 新書版の本の表紙だ。

 帯には、「あの兼西零、期待の新作!! この世界を待っていた!!」という奇妙な歪み方をしたフォントが踊っている。

 

 警察官たる修哉の本日のシフトは、非番だ。

 光射す、昼下がりの平凡なダイニングキッチン。

 平日昼にゆっくりできる。

 ……はずだったのだが、散歩がてら立ち寄った書店で衝撃が襲ってきた。

 

 ……兼西零、あの正体が妖魔であるという男の新作。

 

 精神的に痛めつけてやったはずの兼西零が、あれから何か月かで新作。

 ご苦労なこったな、人気作家もつらいな、と思いながら平台に積んであるのを立ち読みし。

 奥付に目を通したところ衝撃がきた。

 

「編集 |宇留間和可菜《うるまわかな》」

 

 ――死んだはずだ。

 相棒の天虫が確かに殺した。

 人間なら、決して生きていられるはずがない大けがだったのはわかっている。

 頸動脈を切断していたのだ。

 即死だったはずだ。

 

「……どういうことよ」

 

 目の前のテーブルに向かい合った、女子高生姿の天虫《あまむし》がつめよってきた。

 こいつも兼西零と同じく人間として暮らしている。

 ……徳久恵美《とくひさえみ》という名前を名乗っていたはずだ。

 女子高生だったはずだが、あまり真面目な学生ではないらしく、テスト期間で早帰りなのをいいことに、度会修哉《わたらいしゅうや》の自宅に入り浸っている。

 

「……おまえがしくじったとは思えんな。確かにあの傷では死んでいたはずだ」

 

 半袖Tシャツにスウェットという休日スタイルの修哉が、天虫に目を向ける。

 

「当たり前でしょ!! 死んでたわよ、確かに!!」

 

 うなずくしかない修哉である。

 たとえ救急車で搬送されたとしても、あの傷で生きながらえるとは思えない。

 

 ……いや。

 

「天虫。やつだ、兼西は、傷治しの力を持っていたか?」

 

 思い至って、修哉は相棒に詰め寄る。

 天虫は、傷治しの力を持っている。

 あの兼西零《かねにしれい》という妖魔も、あるいは。

 

「《《あいつは》》、《《傷治しは持っていないはずよ》》。戦闘特化型の妖魔だもの」

 

 きっぱり断言されて、修哉は黙り込む。

 

「もし、あいつが傷治しを持っていたら、あいつのそばであの宇留間ってお姉さんを攻撃する訳ないでしょ? 助けを呼べない状況を選んで殺すわよ」

 

「……まさか同姓同名の別人……という線は」

 

「あるわけないでしょ。和可菜って下の名前はまだしも、宇留間ってけっこう珍しい苗字じゃない?」

 

 さらにきっぱり。

 こうなっては、現実逃避はしていられない。

 

「……確かめる方法は、一つだな」

 

 修哉が本をテーブルに放り出してうなると、天虫は、当然だというようにうなずいた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 《《そこ》》に口を開けていた「異界」は、今までの異界と違っていた。

 

 路線沿線の首都郊外といった場所、コーヒーショップとささやかな書店に挟まれた路地に、それは唐突に出現していた。

 

「異界」。

 

 周囲は宵の口、まだ人通りは多いが、それでも、その書店ののぼりに隠れたその異界の入り口を見つける目ざとい者はいなかった。

 

 修哉と天虫も、霊器持ちと妖魔の超感覚でようやく見つけたのだ。

 

「ここは……!! 『あやかしの森』!?」

 

 珍しいことに、天虫が息を呑んだ。

 

「……天虫?」

 

 今日は警察官の制服ではなく、私服のカーゴパンツとTシャツという簡素な姿の修哉は、怪訝な顔をした。

 

 なんだか目の前の異界は、今までとどこか違う気がするが、なにかあるのか。

 不思議な森の光景だ。

 夜の森だが、森の木々が光っていて足元は怪しくなさそうだ。

 空中を泳ぐ魚の群れが、優雅に木々の間を通り抜ける。

 相変わらず、現世の空間に亀裂が入ったように、不自然にはめこんだように《《その異界》》が見えているのは、変わらないのだが。

 

「亜血殻神王様に頼ったほうがよかったかも」

 

 あははという、ブレザー姿の天虫のこぼした言葉も乾いている。

 

「天虫?」

 

「ここ。多分、波重大霊《なみかさねのおおち》を封じた場所だよ」

 

 さらりと放たれた言葉に、息が止まる。

 

「そんな……そんな馬鹿な!! 奴らがそこに至ったというのか!! 亜血殻神王《あちがらしんのう》様が気づかないわけがない!! 《《あの方が封じたのではないのか》》!?」

 

 思わず声が大きくなり、はたと修哉は声をひそめた。

 周囲の通行人のちらちらする視線。

 

「とにかく、亜血殻神王《あちがらしんのう》様にご報告を」

 

「必要ないよ」

 

 さらりと、天虫は返した。

 

「亜血殻神王《あちがらしんのう》様は、もう中にいらっしゃる。あたしらにも『来い』って心の声で伝えてこられた」

 

 修哉は息を呑み。

 覚悟を決めた。