2-5 邪神の言葉

「設楽くん……」

「今の話は……本当なのか?」

 龍と人の合いの子のような異形の「神使」であり冴は、再び繰り返した。

「……どこから、聞いてたの?」

「はっきり聞こえたのは、この宇宙に侵攻して云々ってとこからだが……気になってるのは骨蝕がナントカいう星の神だったとか、そこからだ……どういうことなんだ?」

 強張った声で、冴はかつてのクラスメイトを、希亜世羅を見詰める。

 

 外の移り変わる幻の泡がもたらす光のゆらぎが、だだっ広いその空間を照らし出した。

 希亜世羅と冴の間に遮るものはない。

 

 冴は、一瞬言葉を失った希亜世羅を見、次いで自分の肉体に目を落とした。

 ごつい金属のような鱗と甲殻に覆われた、異界の龍のようなその姿を。

「何か、覚えてたのと違うな……。骨蝕に術をかけられて、ヤベェって思ったら妙な姿に変わったとこまで覚えてるんだが……こういうのじゃなかったな……」

 彼は、恐ろしく真剣な目で希亜世羅を見つめた。

「……お前、祝梯、だよな……?」

 希亜世羅はこくりと幼い仕草で頷いた。

「教えてくれ。何が起きたんだ? さっぱりわからねえ。ここはどこで、お前は本当は誰で……骨蝕は結局何者だったんだ?」

 喚き散らしたい自分を鋼の自制心で抑えているのであろう。冴は瞳を揺らせながらも、一言一言、きっぱりと切り出した。

 

「ふにゅー。難しい質問にゃあ。このにーちゃんに全部説明するとなると、あの星で言うなら石器時代の人に因数分解教えるようなもんにゃー」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、伽々羅がこぼした。

「そう馬鹿にしたものでもないわよ。もっと錯乱されるかと思っていたのに、感情を抑えて現状把握に努めようとなさる意思がある。むしろ、こういう方だからアレに利用されたとも言えるわね」

 わずかに憐れむような目で、莉央莉恵は異形の肉体を手に入れた冴を眺めやった。眼鏡がきらりと光る。

「……あんたらは」

 冴は、希亜世羅からふと目を上げて、背後の二人に視線を移した。

「……人間じゃねえのは分かる。祝梯の配下か。祝梯自身もそうだが、今まで感じたことのない霊気だ。何者なんだ」

 ふにゅー。

 ふう。

 伽々羅と莉央莉恵が困惑した顔を見合せた。

「これはどこからご説明したら……」

 

「……私が設楽くんに説明する。最初から」

 

 希亜世羅が、すいっと冴に歩み寄った。

 彼が腰かけている力場のベッドにぽんと座り、彼と並んで視線を合わせる。

 冴は、まるで初めて彼女に合ったようにまじまじと見つめた。

「……いわ、はし……?」

「私の本当の名前はね、希亜世羅《きあせら》っていうの」

 さらりと、その言葉が冴の耳に滑り込んだ。本来の地球の言語体系にはない発音だが、今や神使となった冴の耳と脳は、それを理解できる形に翻訳して認識する。

「……変わった……名前だな」

「うん。私は、設楽くんたちのいうところの神様に当たる者だけど、地球の神様じゃないの。それどころか、設楽くんたちが元々いた宇宙の神様でもないんだ。違う混沌に属する、違う宇宙を作った神ってことになるかな」

 冴が目を見開いた。

「……違う混沌……創造の神ってことか。骨蝕には、昔封じられた邪神だと聞かされていた。全然違うじゃねえか。騙しやがってあの野郎……」

 苦々しい怒りを凶暴な自嘲で覆い隠した笑みが、冴の顔に広がる。

「……本当のことなんか話したら、設楽くんをたきつけられないからね。設楽くんの実力なら『勝てる』って判断するようなレベルの相手ってことにしたんだって思うよ」

 言いにくいけど、設楽くんは最初から囮だったんだよ。

 そう告げた時の冴の目は怒りと屈辱に燃えていた。

「……設楽くんがまるっと騙されていたのは私も面白くないからね。嘘を全部ひっぺがすために、一から十まで全部説明する。長くなるけど、聞いてくれる?」

 

 冴はじっと、希亜世羅を見つめた。

「お前、変な奴だな。俺を殺さないのかよ」

「私は設楽くんに元気で生きててほしいもの」

 死んだら死んだで、別の道がある。

 でも、生きてるってことはそれだけで凄いことでさ。

 私は生きてて元気な設楽くんが、やっぱりいいよ。

 そう告げると、青みを含んだ肌色を見せる冴の頬が赤らんだ。

「……俺、お前を殺そうとしたんだぞ?」

「殺す、じゃなくて従わせようとしたんでしょ? いきなりなんでも殺すような人だとは、私は思えないよ」

 冴の頬がますます赤らんだ。

 

 おいてきぼり感もそっちのけで、伽々羅と莉央莉恵は主とその新たな神使となった少年を眺めた。

「どうしたことかしら。いい雰囲気だわ!!」

 声を落として莉央莉恵が囁く。

「言ったにゅう。我が主は重症だにゅう。あのにーちゃんが好みだったらしいにゅう」

 長年仕えてきたのに、初めて知ったにゅ。

 ふにょふにょしながら、伽々羅は猫のような仕草で顔をこすった。

「……ふう。飲み物でも出しましょう」

 莉央莉恵は、どこからともなく飲み物の入った盆を取り出し、主と新たな仲間になるかも知れない少年に近づいた。力場のテーブルを実体化させ、その上に甘い香りの飲み物を置く。

 ああ、どうも、と礼を言われて、莉央莉恵はいえいえと愛想笑いして伽々羅の元に戻ってきた。

「考えてみると、あの人、いい度胸してるわね。まるで自分の軸がずれてないようだわ」

 彼女独自の感覚で何かを感じ取ったのか、莉央莉恵は感心したように呟いた。

「アホだけど、大物なのは認めるにゅう。さて、我が主にほんとのこと話されても、ちゃんと自分でいられるのかにゅう?」

 ニヤリとチェシャ猫よろしく微笑んだ伽々羅の目の前で、希亜世羅は冴に話し出した。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 設楽くんと私たちがいるここはね、設楽くんが今までいた宇宙とは、全く別の場所なんだ。

 設楽くんは、元いた世界……属していた宇宙が、どんな風に成り立っているとか、聞いたことがある?

 時間も空間も、あらゆるものが交錯する十一次元の真空の中に、無数の宇宙が互いを生み出し合いながら生まれたり消えたりしているって、聞いたことない?

 

 え? 俺は物理選択じゃないから、そういうことには詳しくない?

 でも、実家で見たテレビ番組でそういうの見たような気がする?

 うん、今のところはそんなくらいで大丈夫。

 

 とにかく、設楽くんが属していた宇宙って、そういう風にできてるの。

 で、私たちが今いる場所、だけどね。

 設楽くんたちを包んでいた真空とは、また違う、かけ離れたものが、別の場所に存在するんだ。

 設楽くんたちが使う言葉では、「混沌」とかいうもの、かな。

 あらゆるものが存在している。

「全て」かも知れないね。

 何次元かって?

 そういうものも全部呑み込んで、見方によっては何次元にも切り出せるから、そういう区分もあんまり意味ないんだよねえ。

 これが、私の箱庭。

 そんで、その中に無数の宇宙が生まれては消えて行く。

 周りの、泡みたいなの見て。

 あれは、全部私の生み出した宇宙だよ。

 

 ここは、混沌の中に浮かぶ、私の城であり玉座。

「虚空の繭」って名付けているけどね。

 

 とにかく。

 この混沌の中では、私が存在してほしいなって思ったものがいくらでも生まれてくる。

 まあ、私は、設楽くんたちの使う言葉や概念で言うところの「創造主」ってヤツ?

 

 ……え?

 気が遠くなってきた?

 ま、落ち着いて。

 ジュースでも飲みなよ。そうそう。

 

 そもそも、何で私がああいう姿で、設楽くんたちと同じくらいの歳の子供として地球って星にいたかって言うとね。

 ……嫌われると思うけど。

 私ね、ちょっと前に、設楽くんたちの属していた宇宙に侵攻したんだ。

 侵略者だったの。

 

 ……え?

 本当か? そんな話は聞いたことがない?

 

 うん。確かに地球みたいな、中心から外れた、被害がほとんど出なかったような場所ではあんまり語られないかも知れないね。

 具体的に言うと、私は自分の作り出した宇宙丸ごと一つ持ってきて、それで設楽くんたちの宇宙一つ丸ごと、呑み込んで支配しようとしたの。

 設楽くんたちのいうところの「物理法則」って、なかなか魅力的でね、欲しくなっちゃってさ。

 私が新しく作り出した宇宙に取り込んで、混ぜ合わせたら素敵だと思った訳。

 

 ……流石に呆気に取られるよね。うん。

 でもさ、悪いことって上手くいかないもんで。

 設楽くんたちの宇宙に属する神様連中が激しく抵抗してさ、結局、私はその喧嘩に負けちゃって、切れっぱしだけになっちゃった。んで、戦いの余波でかき回されていなくて、それで生き物も生息している場所……地球って星に紛れ込んだの。

 それが、設楽くんたちの認識できる時間軸で言うところの十七年前ってことになるかな。

 今のお母さんのお腹に入り込んで、普通の人間として生まれてきたの。

 切れっぱしだから、前の力は断片的にしか使えないけど、それでも、あの惑星の大概の生き物は凌駕できるからね。

 ま、そんな物騒なことも考えなくていいほど、あそこの暮らしは穏やかだったけど。

 嫌いじゃなかったよ、うん。

 

 で、話はようやく、あの骨蝕ってことになるね。

 聞いてたと思うけど、あいつは地球の神じゃない。

 私の引き起こした騒乱に紛れて、封印を免れて故郷の惑星を逃げ出して地球に逃げてきたはぐれ神なの。

 設楽くんには、あいつ、自分のことなんて言ってたの?

 え? はるか昔に神様同士の戦いで負けて、封印されていた「忘れられた神」だって?

 私を屈服させたあなたに従いますって、一年前くらいからずっと仕えてくれていた、と。はあ。

 ……うん。100%の嘘でないところが上手いね。

 言いにくいんだけど、設楽くんとあの棘山って人に負けたのは、完全に演技だと思うよ。

 もしかして、私のこと、設楽くんに教えたの、あの骨蝕って人だったりしない?

 ……やっぱり。

 最初から設楽くんを人間の盾として使って、私を従わせるのが目的だったんだと思う。

 設楽くんも、私も、舐められたもんだよね。

 

 ま、でも、私がこのくらい力を取り戻していたのを確認できなかったのがあの骨蝕って人の誤算でさ。

 設楽くんを上手く丸め込んで自分の神使《しんし》に仕立てるのまでは上手くいったんだけどね。

 神使って、設楽くんみたいな退魔師の人なら分かるよね、上位の神様のお使いの役割を果たす下級の神様たち。宇迦御魂《うかのみたま》さんのとこの狐さんたちとか、そんなの。

 そう。

 設楽くんは、あの骨蝕って人に騙されて、あの人のお使いにされてたの。

 だから人格まで侵害されて、指示された相手を滅多やたらに攻撃する、狂犬みたいな存在にされてたんだよ。

 

 ……今の、設楽くんのその姿はね。

 あの骨蝕の支配から設楽くんの人格を解放するために、設楽くんを私の神使に作り替えたの。

 そうすれば、あいつとの霊的リンクが切れるから。

 私との霊的リンクは生じるけど、私は設楽くんを霊的に支配しようとか考えてないから、安心して。

 

 ……私は結構好きだよ。

 そのままの設楽くんが。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 冴は、希亜世羅の話が終わると、しばらく何事か考え込んでいたようだった。

 

 やがて。

 ゆっくりと、彼は、自分の龍めいたごつい手を眺めた。

「……この力は」

「?」

 希亜世羅は、軽く首を傾げた。

「お前が、与えてくれた力なのか」

 ゆっくりと、冴は指を屈曲する。

 その内側に秘められた力を確かめるように。

「俺は、今までかなり修練を積んできたつもりだが。『人間にしては、まあ上等』くらいでしかなかったんだな。この力を手に入れてよくわかる」

 苦々しい笑み。

「設楽くん。今は、その姿で我慢して。あいつを始末し終えたら、元に戻すから。今は、この姿でないと」

「いや」

 

 いきなり、冴は希亜世羅の腕を掴んで引き寄せた。

「……!?」

「……お前さ。俺の属してる世界、侵略したこと、どう思ってる?」

「どうって……」

 やにわに真剣な目で貫くような視線を浴びせられ、希亜世羅は目を彷徨わせた。珍しいことだ。

「そりゃ……うん。悪いことはできないなあって」

「悪いって、思ってるんだな?」

「……うん」

「なんでそう思った……?」

「それは……」

 希亜世羅は、口ごもり、目を逸らせた。

 

「なんかいい雰囲気。ご馳走様ですわ……!!」

 感激の面持ちの莉央莉恵がぐっと拳を握った。もちろん雰囲気を壊さぬよう、声は抑えまくっている。

「しーーーっ!! 黙って見物するにゃー!!」

 更に声を抑えて、伽々羅は食い入るように主と新入りを見据えた。

 

「……俺が、そうしてほしくないって言ったら、お前はもうそういうことしないか……?」

 冴は、希亜世羅の耳元に口を寄せて囁いた。

「……希亜世羅」

 その呼び声に、希亜世羅は、ほんのり頬を染めた。

「……うん」

「……俺が、この姿で、ずっとお前の側にいれば、お前はもう、悪いことしないんだな?」

 念押しするようなその言葉に、希亜世羅は更にうなずいた。

「……なら、ずっと俺はお前の神使だ。お前が馬鹿な真似をしないよう、ずっと俺がお前の側にいて、手を引いてやる」

 そっちの二人は、お前を甘やかすばかりみたいだからな。

 俺がいないと、お前、駄目だろ?

 希亜世羅の背中に、ごつい腕が回された。

「いいの?」

「ん?」

「人間じゃなくなるけど……」

「構わねえ。俺だって、一応退魔師の端くれだ。人間が案外簡単にそれ以外になることもあるくらいのことは、見聞きして知ってる」

 けろりと、冴はそう受け答えた。

「それに、どうせ死んでたんだ。単なる死霊になるより万倍マシだ。かなり格が高い存在だな、今の俺」

 冴は快活に笑った。

「割と気にってるぜ、この姿。……お前が、最初に俺にくれたモノ、だしな?」

 耳元で囁かれて、希亜世羅は得も言われぬ幸福感に包まれた。

 

 この人が、特別だと思うようになったのは、どうしてだろう。

 人間の女の子なんかに、なったから、かな?

 

「設楽くんは」

「冴でいい」

「……冴くんは、ずっと、私の神使。誓いを立ててくれる?」

 希亜世羅がじっと見つめると、冴は黄金の目で見つめ返した。

「……俺はずっとお前の神使として仕えることを誓う。その代わり、お前もずっと俺のもんだ。それで、いいだろ?」

 希亜世羅は、じっと冴を見つめ。

 誓いの印に、彼の唇に自らの唇を触れさせた。