「グレイディ。こいつのことは知っているか?」
天名が、空中でグレイディをちらと振り返る。
彼は、半月の淡い光の只中で、怪訝な顔を見せる。
「……いや……初めて見る顔だ……誰だお前は……?」
夜の王都上空に、これもキノコ獣の一種であろう、翼の生えた獣、まるでキノコに食われたグリフォンのような奇怪な生き物にまたがっているその男に、グレイディは目をやる。
奇妙な男である。
派手なリボンの結ばれた山高帽を被り、つややかな生地の、これも派手な縞のスーツを纏う。
オレンジと透明の柄の珍しい蝶の翅が背中に見える。
キノコ獣にまたがっているところ、そして周囲に小悪魔のような奇怪な人型キノコ獣を引き連れているところからするに、まるでサーカスの猛獣使いだ。
「グレイディだっけ? いいお友達を連れて来たなァ。遠い国の神性だ。俺にはわかるぜァ、高位の奴だろ? このままお付き合いしてたら、かなり厄介なんじゃねえかなァ?」
その山高帽の妖精が、含みを持たせてニヤリと笑い、グレイディも天名も眉をひそめる。
「……天名が何者かは正確には知らないらしいな……だが、全く無知でもない……お前は誰だ……」
グレイディは慎重に詰問を続ける。
「王宮に多少のコネはある。だが、機密を自在に引き出すとまではいかないような立場が、貴様……もしくは、貴様の主、か」
天名はひんやりとした口調で、グレイディの詰問を補助する。
山高帽の妖精は、ますます笑みを深くする。
「俺ァ、オリヴァー。サーカス『緑色の風』団の、オリヴァーだ」
オリヴァーの名乗りを聞いて、天名もグレイディも納得する。
本当に、キノコ獣の種菌をあちこちの森に植え付けて回っていたのは、全国を回るサーカスだったということだ。
グレイディなら知っていることだが、妖精郷のサーカスは、人間界のそれよりもっと身近だ。
妖精郷で暮らす誰もが、その団員が周囲をうろついていても、不審がりはしない。
だが。
「グレイディ。いいことを教えてやる。俺の二つ名。『取り換え子のオリヴァー』だ」
急にオリヴァーがそんなことを言い出し、怪訝さが深まったグレイディだが、彼の背後で、キノコ獣の数体が動き始めたのを、しっかり感知している。
同じく察知していた天名とちらと目を見交わす。
「取り換え子……? お前が取り換え子だったら何だって言うんだ……?」
グレイディは腰の鞘に手を当てている。
「やっぱり、ご理解くださらねえかヨ!! 血筋正しいおぼっちゃまはナァ!!」
いきなりオリヴァーが怒鳴り出し、グレイディたちの背後と横に位置していたキノコ獣の頭部が、大きく開く。
いや、花が咲いたのいではない。
網でできた覆いのようなものが、グレイディと天名を捕える。
まるで手の込んだ民芸調の照明の傘のようなキノコに、彼らはすっぽり包まれる。
「貴様」
今度は天名が、その籠に捉えられたまま、オリヴァーを見据える。
「随分、取り換え子に思い入れがあるようだな。グレイディがそうでなかったら、何か不都合でもあるのか?」
オリヴァーは声を上げて笑う。
「おめえは、よそから来たから、取り換え子ってのがどんな深刻かわからねえよな? 要するに、こりゃあ、妖精と人間の違いをいいことにした捨て子なのヨ」
妙な匂いのキノコの傘の中で、天名とグレイディは顔を見合わせる。
「それは事実か、グレイディ?」
と天名。
「……事実の場合もあればそうでない場合もあるだろう……。取り換え子は、妖精郷に帰っても苦労しがちとは聞いているが……」
グレイディは、次第に狭まっている気がする傘を気にしているようだ。
「たまたま運のいいひと握りを、平均みたいに言うなよなァ。大抵、取り換え子は、妖精郷での基盤を失っているんだよォ。苦労しがちどころじゃねえってのによォ」
なるほど。
それで捨て子かと、天名は納得する。
「貴様は、その憤懣から、妖精郷も人間界も壊してやろうとしていた、という訳か」
天名は、低いがはっきり聞こえる声で、オリヴァーに迫る。
オリヴァーは地獄の悪魔のような大きな笑みを見せ、背後に合図を送る。
ぎょっとした天名とグレイディが振り向くと、そこにはひと際奇怪な生き物がいる。
キノコ獣の一体であろうが、頭が巨大な漏斗状に広がっている。
それが、その巨大な漏斗で、グレイディと天名を包んだキノコの籠ごと飲み込み……
「俺の理由なんかどうでもいいだろォ? まあ、それだけ引き出した後食われるんじゃあなァ」
けらけらと、オリヴァーが蠢くキノコ獣を見て笑った瞬間。
凄まじい轟音が轟く。
まるで至近距離に雷が落ちたかのような轟音と同時に、無数のキノコの断片が降り注ぐ。
唖然としたオリヴァーが、突如巻き起こった衝撃波が、グレイディたちを拘束していたキノコ獣たちをまとめてぶち砕いたのだと認識したのは、数瞬も経ってから。
見る間に、周囲のあれだけいたキノコ獣が、出現した巨大な竜巻に呑まれて、瞬時に粉々になっていくのを、オリヴァーはなすすべなく見つめるしかない。
「ひっ……!? うあァッ……!?」
「……月よ、呪われしものを浄化せよ……!!」
グレイディが、いつの間にか、台風の目のような静かな空間に浮かび、頭上の半月に、手にしたレイピアを掲げている。
その瞬間。
「ぐがぁ!?」
オリヴァーのまたがっていたキノコ獣が、突如塵となって消失する。
咄嗟に翅を広げたオリヴァーを何かが包む。
「風よ翼よ、封じよ!!」
一瞬のことである。
無数の真紅の羽毛に包まれたオリヴァーが、巨大な鎌首を揺らす龍のような自在な風に巻かれて、宙を運ばれていく。
見る間に、天名の手にしていた小さな壺に、風ごと飲み込まれ、一瞬でつやつや光る絹の紐と錦の布によって、厳重な封をされる。
「こっちは終わったぞ」
天名が風を収めてグレイディを振り向く。
グレイディは、月に向かってレイピアを掲げた姿勢を保持する。
降り注ぐ月光を抽出した帳のような清らかな光が、眼下の王都も、取り囲む森の木々も平原も、そしてちらちらする海にも降り注ぐ。
小さく悲鳴が聞こえた気がする。
その瞬間、王都の守りは完成したのだと、天名ははっきり認識したのだった。