4-3 訳アリの裁神

「裁神《さいしん》……? ビシェイエ……? んんん? 私、この人知らないぞ……? 欠損記憶の中に紛れてるのかな……」

 困惑しきりな様子で、希亜世羅はその深い青に緑みを含んだ皮膚の、その姿を見やった。

 大まかには人間に似ているが、背中には三角形のステンドグラスを組み合わせたかのような翅《はね》めいた突起が一対伸びている。

 額には、それを小型にしたような突起がやはり一対、生えそろっていた。

 青い皮膚に、薄紫色のきらきらしい突起が眩しい。

 

「……どうも、リリキの法の神シシュリの縁者のようですわね」

 莉央莉恵が厳しい視線を眼鏡の向こうから送る。

「我が主が『虚空の繭』を離れておいでの間、人間……神法官の娘に産ませた子供、とアカシャ記憶では」

「ほにゃー? あいつかにゃ。裏表ある奴と思ったけど、まさかそんなことするとはにゃー」

 あいつは特に生々しいにゃー、と伽々羅に付け加えられるところを見ると、そのシシュリというのは人望がないのだな、と、後ろで聞いている冴は判断した。法の神が人望がないというのもどうかと思うが、それは神々の間の判断で、人間にとっては――その星リリキの人間にとっては――違うのかも知れない。

「ほえ? あのおじさんの息子が宇宙海賊の真似事? どうしてなの?」

 希亜世羅は、目をぱちくりさせた。

 

『黙れ!! 貴様らは余計なことは言わずにこのまま立ち去れ!!』

 思念通話チャンネルとやらの向こうで、地球人類で言うなら十代半ばほどに見える姿の少年神が吼える。

 

「……あなた、この船がどなたの船か承知の上でそのような態度を取っていらっしゃるの?」

 傲岸でつんけんした冷徹な声で、莉央莉恵が威圧した。

 思念通話チャンネルの向こうで、ビシェイエとかいう少年神がびくりとしたのが分かる。まあ、経験値と格の差だよな、と、冴はこっそり呟いた。

 

「くっ……何だと!? まさか……神か!?」

 更にぎくりとした様子で、ビシェイエは何かを計器で確認した様子だった。

「それも気付いてなかったのかにゃー。アホにょ」

 はぁあ、と伽々羅にまで言われるのだから、この宇宙の基準がよくわからない冴からしても、あの少年神は「青い」のだとはっきり判断できた。

 

「あのー。主。何が起こってるか分かりますかい? 俺にゃあ、さっぱり……」

 あの少年神とは別の意味で困惑しきりな式神に、冴は軽い溜息と共に推測を述べた。

「多分、あの青っぽいカミサマが、何かの手違いでナワバリの中のよそ者を追い出そうとしてるってとこだと思うぜ? こっちが何者かってのを、全く確認もしないまま、な?」

 これ、うちの星だったら、出くわしたカミサマによっては死亡確定だなあ、と、生暖かい同情の気持ちが湧いてくる。希亜世羅なら、そんなことはしないであろうが……

 

 ふと。

 

「希亜世羅?」

 冴が己の女神の元に歩み寄った。

「おい。まさか、あのアホガキ処分なんかしねえだろ?」

 もしかしたら、立場上、不本意ではあっても厳しくせざるを得ないかも知れない。

 そんな風に思い至った冴は、彼女の耳元で囁いた。

「処分……するとかしないとか以前に、あの子がどういう子で、何でこういうことしてるのか知りたいな。リリキの神の一柱なんだから、多分こっちの事情は話さなきゃならないと思うし」

 その言葉を聞いて、冴はほっとすると同時にやや混乱気味だった頭がすっと落ち着くのを感じた。考えてみれば、自分は希亜世羅の神使なのだから、彼女に関わることならもっと密に情報共有を要請していいのだ。

 

 希亜世羅は、冴、そして莉央莉恵にうなずいて見せてから、自ら思念通話チャンネルの範囲内に入った。

『お前は……?』

 チャンネルの向こうで、ビシェイエが困惑した声を漏らしたのが聞こえた。

「お控えなさい。この方の行く手を塞いだことは、本来なら万死をもっても償えぬ大罪ですよ!!」

 鋭い声で突きつけられ、ビシェイエはぎくりとし、次いで唇を震わせた。

『まさか……?』

 

「初めまして、だね、ビシェイエ。私は希亜世羅。この宇宙と生み出した混沌を作り出した者だよ」

 

 気負いのない希亜世羅の声が伝えられると、ビシェイエの顔が濃い紫色に近くなった。地球の人間で言うなら青ざめたらしい。

「ねえ、ビシェイエ。私たちはどうしてもリリキに行かなくてはならないんだけど、通してくれないかな? それ以前に、どうして君がこんなところを通せんぼしているのかを知りたいんだけど、訳を話してくれない?」

 旧友に話しかけるように穏やかな声で語り掛ける希亜世羅を、ビシェイエはまじまじと見つめた。

『俺は……俺は……』

 半狂乱になる一歩手前かも知れない。

 ビシェイエはがくがく首を振っている。

「ねえ。こんなことしてるの、君のお父さんは知ってるの?」

 やんわり、敵意のないことを示しつつ話しかけると、ビシェイエの顔が歪んだ。

 

『俺は……あいつは……ッ!!』

 

 言葉をまとめられず顔を覆ったビシェイエに、莉央莉恵の叱責が飛んだ。

「我が女神にそのような無礼を働いておいて、説明もできぬと?」

 希亜世羅が、わずかな動作と小さな囁き声だけで、莉央莉恵を制した。

「ね、私の船に来て話してくれない? 何か訳があるんでしょ? どのみち私はリリキに行かなくてはならないから、リリキの神であるあなたが困っているなら相談に乗るよ?」

 

 そのふんわりした声にやや落ち着いたビシェイエは、ようよう呼吸を整えて、改めて思念通話チャンネルの真ん中で顔を上げた。

 

『……ありがとうございます。非礼を心よりお詫び申し上げます』

 両手を地球で言うなら古代エジプトのミイラばりに組んで姿勢を低めるその仕草は、恐らく最敬礼に当たるものだろう、と、記憶のあやふやな希亜世羅は判断する。

『……偉大なる女神希亜世羅様に、この下僕よりお願いしたいことがございます。この愚か者を哀れと思召して、どうか願いを叶えて下さいませ』

 深刻な表情のビシェイエに、希亜世羅は頷いた。

 

「何かの害になるようなことでなければ、叶えてあげられるよ。まず、来て話して? ね?」

 

 その言葉に安心したようにビシェイエは顔を上げた。

『今すぐ、我が主の御許に参ります……』

 

 こうして、数分の後。

 中型魔子エンジン宇宙艇が姿を見せ、そこから放たれた高速偵察艇が、「女神の花籠号」の曲空ハッチへと吸い込まれていった。