「私は信じないわ」
青ざめた表情で、だがきっぱりと、百合子はまぼろし大師に宣言する。
目の前の無残な立体映像をぎろりと睨んでから顔を逸らす。
「馬鹿なことよ。『“まぼろし”大師』なんて名乗っている人の見せる映像を信用するなんて。これが事実だって証拠がどこにあるの?」
百合子は、自分の内心が言葉になると、より一層その認識で勇気づけられる思いだ。
そうだ。
こんな取って付けたような「仲間の危機」に、信憑性がどれだけあるのか。
可能性はゼロではないにせよ、あまりにまぼろし大師に都合が良過ぎる。
真砂も天名も強い。
こんな風に、絵に描いたように「二人まとめて倒されている」状況になる可能性はどれだけあるのか。
どう考えても、百合子の動揺を誘う幻覚であろう。
しかし。
「気持ちはわかるがの。これが単なる幻でないと断言できるのか? 本当にできるかの?」
まぼろし大師は、百合子の精神を巧みに揺さぶる言葉を使う。
「忘れたのか、そなた。この高月城下は、わしの精神が具現化した世界、つまり、何でもわしの思い通りになる世界じゃ。この二人がいささか並みの人外より歯ごたえがあるからと言うて、この世界でのわしに逆らえるはずもない」
百合子はぎくりとするが同時に何かが引っ掛かる。
何が引っ掛かるのだろう?
百合子は物凄い速度で思考を巡らせる。
「さあ、どうする。この二人、辛うじて息があるぞ。差し向けた眷属に手加減を命じておいたからの。そなたの対応によっては……」
まぼろし大師が畳みかける。
しかし。
「本当にこの世界でなら何でも思い通りになるって言うんなら、何でこの邪神は眠ったままなの?」
百合子は、それに思い至る。
同時に一瞬、まぼろし大師が苦い表情を浮かべたのに気付いてしまう。
「おかしいわよね。この石になっている邪神を目覚めさせるために、あなたは色々やってるんじゃないの? 本当にこの世界では何でもあなたの思い通りになるんだったら、ちまちま私の刻ノ石をほじくり出そうなんてしなくていいはずなんじゃない?」
明らかに、まぼろし大師の表情は強張っている。
やはりそうか、と百合子は得心する。
この「高月城下」でも、まぼろし大師の力が及ばないものがあるのだ。
例えば、確実にまぼろし大師よりも強い力を持っているであろう邪神。
好き勝手に目覚めさせる訳にはいかず、恐らく他の世界にあるのと同様の手順が必要になるのだろう。
まぼろし大師がこの神封じの石をこの世界に持ってきたのは、邪神を目覚めさせる行為を、他人に邪魔されないようにするという都合だけに過ぎない。
「アーーー!! 百合子さぁん!! 冴えてるぅ!!」
冴祥が手にしている鏡の中から、ナギの喜悦の声が聞こえる。
思わず、百合子は振り返る。
「ナギちゃん!? 大丈夫!?」
冴祥が抱えている鏡の中で、ナギがぱたぱた羽ばたいているのが見える。
「わたしは大丈夫です!! ビックリしたのと、割り込むタイミングが掴めなかった遠慮深いウミネコゆえの沈黙でしたッ!!」
ナギがしゅたっと翼を上げる。
百合子ばかりか、冴祥も暁烏も思わず首をかしげる。
遠慮深い……んん……???
「百合子さん、それですよそれ!! このまぼろし大師さんって、他はともかく、この神封じの石は、強力過ぎて自由にはできないんですよ!! だから百合子さんの刻ノ石を奪うつもりでいましたし、現世で騒乱を起こすつもりだったんです!!」
百合子はニャアニャア聞こえるナギの言葉に、一瞬怪訝な表情を浮かべる。
「そうだ、妖精郷ではそうするつもりだったんだもんね。でも、何で現世で騒乱を起こすの? この神封じの石に、そういうことで流された血が流れ込むようになってる……とか……そういう……?」
百合子は、思わず激しい動きで、まぼろし大師を振り返る。
奴は、満面の禍々しい笑みを浮かべていた。
「この娘、思いのほか賢いのう」
「そうですねえ。自分であらかた仕組みを読み解いてしまわれた。いやあ、怖い。こういう察しの良い人が、一番怖いですよ」
冴祥が、手にしていたナギ入りの鏡を、神饌の置いてある手近の台の上に置く。
「あーあ。気付かない方がいいこともあるよなあ。どうする、大将?」
暁烏が、腰の太刀を鳴らす。
「……まぼろし大師様。私と暁烏の二人で、天名と真砂の二人を仕留めて参ります。虫の息の彼女らを百合子さんの目の前に連れて来れば、事実も幻もありますまい」
百合子は、ぎょっとして冴祥を振り返る。
「冴祥さん……あなた本当に」
「仕方ないことなんです。世の中って、こうなんですよ。そして、私は世の中の仕組みを利用して儲ける商人」
なだめるように、わざとらしい同情の色を浮かべる冴祥に、百合子は目もくらむような怒りを覚える。
傾空がここにあったら。
真っ二つにしてやるのに。
「冴祥さん!! そういうことしていいと思ってるんですか!! 私の主から、後で酷い目に遭わせてもらいますからね!!!」
ナギが外敵を警戒するウミネコそっくりに、騒々しくニャアニャア鳴き騒ぐ。
「まあ、その、あの二人には、色々良くしてもらってきたからさあ。なるべく、殺さないようにはするよ」
暁烏が、言いにくそうにぼそぼそ口にすると、百合子の燃えるような目が、彼を射すくめる。
まるで本当に刺されたかのように暁烏は身をすくめる。
更に打ち据えるように、ナギのニャアニャア声。
「では」
出現した巨大な鏡面に、冴祥と暁烏が吸い込まれるのを、百合子にせよナギにせよ、なすすべなく見送るしかなかったのだ。
◇ ◆ ◇
「しかし、ここは高月城のどのあたりだ」
すっかり変わった周囲を見回しながら、真砂が形の良い顎に手を当てる。
豪勢な城の廊下や庭ではなく、かなり荒れたように見える一角。
城の一部には違いないのかも知れないが、長年誰も近づいていないように見える。
古い時代の破れ寺の雰囲気に近く、漆喰の壁は剥げ落ち、秋草というには野放図に過ぎる草が地面を覆う。
「見た目からするに、城主のいる中心部からはかなり遠いだろうな。この世界そのものを城が覆っているのだ。こういう打ち捨てられた区画もあるだろう」
天名が息を整えて背筋を伸ばし、建物に近付こうとする。
「しかしなあ。どうやってまぼろし大師のいる場所まで近づいたもんか。空で行こうと城の中を行こうと、まぼろし大師に放り出されてしまう。いつになったら百合子やナギに会えるやら」
真砂が、はあ、と空の月を見上げた時。
きらきらと。
二人の間に何かがきらめきだす。
「おや、これは?」
「奴が来たか。裏切者が」
天名と真砂、二人の周囲を、月を反射する無数の鏡が、狙いを定めるかのように取り巻いたのだった。