7 共鳴者たち

「マガツヒ」というのは、古くからの表記法で言うなら「禍津霊」となる。

 

「災いをもたらす霊的存在」というほどの意味である。

 日本神話に、冥府の穢れから誕生した神として登場するのは「大禍津日《おおまがつひ》」「八十禍津日《やそまがつひ》」の二柱であるが、実際に存在するのは、この二柱だけではない。

 

 更に下位、かつ、普遍的な存在として、「マガツヒ」はいずこにも存在しうる。

 その正体は、魂と知恵ある生き物の悪意と怨念が凝《こご》り、それに星の魂である「世界霊魂」が反応して生命を与えたものである。猛烈な悪意や怨念を元に生まれるため、生まれたばかりでも強力な存在であり、厄介なことには、似たような性質の「マガツヒ」と合体して、より強大な「マガツヒ」へと進化する、という性質を持つ。

 

 この「マガツヒ」は、人間など「知恵と魂ある生き物」を襲って、なるべく残虐極まる方法で殺そうとする性質がある。

 それというのも、マガツヒに嬲り殺された人間の魂は、その時の恐怖をきっかけにマガツヒの怨念で汚染され、マガツヒを構成する要素として取り込まれてしまうのである。

 

 つまり、人間を殺せば殺すほど、マガツヒの力は増大する。

 もし、どこかでマガツヒが発生してしまったら、速やかに「共鳴者」の手による排除が必要である。

 さもなくば、マガツヒの力は際限もなく増大し、そしてそのために人間が殺され続ける。しかも、殺された人間の魂がマガツヒそのものの一部として取り込まれ、死後の世界での安らぎや転生の機会すら奪われる、邪悪で絶望的な流れが出来上がるのだ。

 

 

「……『世界霊魂』っての、もっといいものかと思ってた。そんな悪いものも生み出すんだ……怖いな、そんなのに力をもらってるのって」

 

 困惑気味に述べるチカゲの顔は暗い。

 周囲は薄い街灯の明かりが、夜闇にまだらを作っている。公園を取り囲む闇は深く、その奥、ぽつぽつと立つ公園内の街灯からこぼれる光が遠く見える。

 チカゲは、空凪と百合子と共に、その公園の外周部の一角に姿をひそめていた。

 彼女の脳裏には、昼間「いろいろ屋」で説明された、「マガツヒ」の正体と発生の仕組み、性質についてのあれこれがリフレインしている。

 

「世界霊魂ってのは、人間の霊魂とかとは、根本的に違うんだ。人間的な基準で、善悪の判断を下す訳じゃない」

 空凪は、静かにそう説明した。

「例えば、世界のどっかではしょっちゅう自然災害とかが起こっているけど、あれは『世界霊魂』の悪意って訳じゃない。人間に例えるなら汗を流したり髪が伸びたりするようなもので、ごく普通の生理現象みたいなもんだ。人間様基準で良い、悪いって言っても仕方ないことなんだよ。マガツヒも、自然災害みたいなモンなんだ」

 そう言われては、チカゲは納得するしかない。

 

 なんだか、一色くんって本当の魔法使いみたいだな。

 なんとなく、チカゲはそんな風に思った。

 同い年の高校生に過ぎないはずなのに、空凪には、奇妙な神秘感が漂っていた。自分が絶対知りえぬことを知り、絶対にできないことを指先一つで神のように行う。

 昔見た映画の魔法使いは、魔法が使える以外はその年齢相応の子供だったが、空凪はなんというか、逆な気がする。恐ろしい威力を持った魔法使いが、たまたま日本の男子高校生の皮を被ってる感じ言うべきか。

 分かっている。

 きっとこれはチカゲのひいき目で、実際には彼が「共鳴者」としての活動を、チカゲより大分早く始めたから、知識も経験も豊富なだけであろう。

 聞けば、空凪が涼に「共鳴者」として見出されたのは、中学生の頃だそうだ。その幼さで、数々の戦いを潜り抜けてきた。

「魔法使い」みたいに見えるのは、空凪の霊性事物――「万象のコンパス」のお陰だ。

 これは、「あらゆるものの方向性を操る」ことを可能にする「霊性事物」だ。

 チカゲの破壊された部屋を修復したのは「破壊→通常」という、「物事の在り方の方向性」を操った結果だという。あの鉄骨恐竜の化け物をズタズタにしたのは、「力の方向性」を操って、あの鉄槍を射出してきた鉄骨恐竜に集中させたからだ。

 そして、普段、どう見ても目立つ方の容姿である空凪が周囲の注目を引かないのも、「万象のコンパス」で、他人の意識の方向性を、ほんの少しだけ操っているから、だそうだ。普通の人間には――チカゲ自身でさえも少し前までは――空凪の姿を認識しても、彼に「注意」や「興味」を向けることができなかった。見慣れた風景のように、意識が素通りしていたのである。

 

 こんな彼をして、百合子は「若いのに器用だよね。ちょっと悔しいな。私、戦うしか能がないから、年上なのに脳筋野郎みたいじゃん?」と評していた。

 それに返した空凪の言葉は「脳筋がいてくれないと、俺だけじゃパワー不足ですよ」だった。

「あらまあ!! 嫌味なこと言ってくれちゃって、絶対パワー不足とか思ってないでしょ、この野郎!! こいつめこいつめ」

 と百合子にこめかみをぐりぐりされるうっそりした空凪を眺めてから、はや二時間。

 

「あいつらが呼び出された……」

「間違いない。うちの学校の奴らが混じってる」

 百合子の問いに、空凪が答える。チカゲにも、闇の重なった木陰越しに、その姿がはっきり見えた。

 人数として、5~6人。

 全員男子で、いかにもなヤンキースタイルだ。チカゲと空凪の通う学校には、露骨にヤンキー風味の生徒は少ないのだが、いない訳ではない。加えて学校では猫かぶりしているが、外では凄いという噂のある者も何人かはいた。そういう奴らが、他校の「露骨ヤンキー」に混じっている感じである。

 

 百合子が、手元に彼女の「霊性事物」を取り出す。

 ぎょっとすることに、それはずぶの素人のチカゲが見ても古い型だと分かる、角ばった拳銃だった。

 あの「いろいろ屋」で初めて見せてもらった時は、チカゲは露骨に悲鳴を上げてしまった。一瞬モデルガンかと思ったが、古びたその感じからするにそうではない。ちょっとだけ持たせてもらったが、ずっしり重かった。

『私のひいじいちゃんて人がね、旧日本軍の、将校だったのよ。この九十四式自動拳銃っていうのは、そういう連中に支給されてたものなんだって。ひいじいちゃん、戦後もこの拳銃を大切に隠し持っててね、時々、子供の私に見せてくれてた』

 某大学の医学生だという百合子は、色っぽく髪をかき上げながら、そんな風に説明した。

『ホントは、こんなもの隠し持ってたらいけないのよ。当たり前でしょ。でもね、ひいじいちゃんが亡くなった時、私はひいじいちゃんが生涯の大冒険の記念に大切にしてたそれを、誰かに渡すのは嫌だったの。で、コッソリ形見分けに先駆けて、ガメた訳。こいつが「霊性事物」として目覚めてくれたのも、私のそういう意思をくみ取ってくれたのかな?』

 ニヤニヤしながら、百合子はその旧式の銃を構えて見せた。

 瞬時に、彼女の姿は、あの真珠色の髪と目の、奇怪なハンドキャノンを構えた姿に変化していた。どうも、彼女の「霊性事物」は、そのもの自体が特殊な武器に姿を変えるようだ。

『ほんとはいけないんですよ、ほんとはね? 法に思いっきり触れてますからね?』

 苦笑しながら、涼はこぼしたものだ。

『でも、「霊性事物」として一旦目覚めたものを、持ち主から取り上げるのもね。どんなに離れても勝手に帰ってきますから、取り上げること自体に意味はないし』

 そう言えば、この「お守りの石」も、なくしたと思ったら意外なところからひょいと戻ってきたなあ、と回想するチカゲであった。

 

「おい」

 空凪の低い声が、チカゲをわずかな回想から引き戻した。

「奴が来たぞ?」

 

 チカゲ、空凪、百合子の三人が息をひそめる。

 木立と茂みの形に切り取られた間隙から、劇場の舞台のように、街灯に照らされた公園の一角が見える。ヤンキー風味の少年たちは、そこで輪になっていた。

 その輪の中に、襟首を掴んで引きずられるように、誰かが連れてこられる。

「……荻窪くん……」

「ああ。間違いないな」

 チカゲも空凪も、声を抑えて呟いた。

 確かに、引きずってこられたのは、あの荻窪正太郎だった。

 

「テメー。なんのつもりだよ。俺らに何の用だ?」

 ヤンキーの一人が声荒く叫んだ。何となく気が引けているように感じるのは、正太郎が身に着けた「マガツヒ」の力だろうか。

「本当に……荻窪くんは『マガツヒ』に乗っ取られてるの? あそこにいるのの中身は荻窪くんじゃないってこと?」

 昼間「いろいろ屋」で涼から聞かされたことを、チカゲは繰り返した。記憶にある限り、あの幽霊じみた陰気さは、一年の時から知っている正太郎と変わっていないのであるが。

「花影さんが、マスターが『霊性事物』の力を使って確かめたのよ。恐らく間違いないわ」

 答えたのは百合子だった。

「マスターの『霊性事物』は鏡。ご神鏡《しんきょう》。あらゆるものを見通すわ。あの荻窪って子が『マガツヒ』と一体化した様子は、はっきり見えたわよ」

 

 それは、チカゲも見せてもらった、涼の霊性事物が映し出した真実だった。

 近隣の山中に、「触れてはいけない、見てもいけない」という言い伝えのある塚があった。偶然かそれとも最初からその気だったのか、正太郎はその塚を破壊し、そしてその中に封じてあった「マガツヒ」にその身を乗っ取られた。伸びあがった異様に歪んだ人体のような影が、正太郎に吸い込まれていく様子を、チカゲも確かに見た。

 輝く水面のような、古代に作られたはずの銅鏡は、確かにその様子を映し出したのだ。

 

「何の用だって? それは君たちに言いたい奴が沢山いるんじゃないかなあ?」

 ニンマリとした笑いを含んだ正太郎の声が、闇をすり抜けるように、チカゲたちの耳にも届いた。

「君たち、誰でも彼でも、弱そうな奴を見つけてはお金巻き上げてるだろ。女性にだったら、もっと酷いこともしたことあるよね?」

 

 急にぎょっとする事実を突きつけられ、ヤンキーたちはぎくっとした。

「なんだてめえ、喧嘩売ってんのか!?」

 輪の中の一人が怒鳴った。やや声が上ずっているのは、どうしてそれを、と思ったからか。

「喧嘩? 買ってくれる? こいつらも一緒に頼むよ」

 ねっとりした声と共に、ヤンキーたちの周囲の茂みが、ざわりとざわついた。

 葉が、無数に舞い上がる。一時の竜巻のような緑に、そのあたり一帯は覆われた。

 巨大化し、組み合わさり、それは見る間に、昨日の昼間にチカゲを襲った、あの葉っぱの獣となった。二十数匹いるそれは、狼が獲物を取り囲むようにヤンキーたちを取り囲んだ。

 

 絶叫が上がった。

 現実感覚を暴力によって踏みにじられる人間の、身も世もない叫びだ。薄っぺらい知識と、だからこそ強固な思い込みによって形作られたヤンキーたちの日常は、あっさり破壊された。

 じり、と葉っぱの獣が包囲の輪を縮める。

「なんだよ!! なんだよこれぇ!!!」

 泣き言が夜闇をつんざいても、誰も答えを返すものはいない。

「荻窪!! やめてくれ、もう二度としな……」

「身勝手だね。君らの誓いに価値があるとでも? 罪のない人間をさんざん踏みにじってきておいて、自分がヤバくなったらその態度。見苦しいね。やっぱ、万死に値するよ」

 嬉しそうに笑いながら、正太郎は宣言した。

「逃げるものなら逃げれば? こいつらの包囲、突破できるかな~~~?」

 あひゃひゃと笑い声。

 十重二十重の葉っぱの獣の包囲など、人の身では突破できないと分かり切っている。

 

「行くよ!!」

 百合子が瞬時に魔銃の魔人の姿に変じて叫んだ。

「戦うぞ、油断するな!!」

 空凪も、スチームパンク魔人の姿に変じる。

「くっ!!」

 チカゲは蒼い魔人の姿を思い浮かべ、ポケットの「お守りの石」に念を送った。

 髪が目が、あの青に転じて、衣装が変わり、手の中に石刀が現れた。

 力がみなぎり、チカゲは地面を蹴って、魔物のように茂みを飛び越えた。

 

「そら、どけーーー!!!」

 

 チカゲが突進し、葉っぱの獣の群れに向けて石刀を打ち振ると、剣風に巻き込まれたようにそいつらの一角が舞い上がり、ばらばらに砕け散った。

 

 何が起こったのか分からないヤンキーたち、そして唖然とする正太郎の前に、三人の魔人が揃い踏みした。