8-4 二つの光

 メイダル王宮より回された優雅な飛空船は、伝説の神々の船のように、三日月形の曲線の中に屋根がかけられ、その下に玉座と見紛うばかりの椅子が、二列に並んで据えられていた。

 

 最前列にオディラギアスとレルシェントが座ったのはいいものの、二列目には、スリュエルミシェルと、何故か護衛であるはずのゼナスフィールが並んで座った。

 

 一体何事かと、オディラギアスなどは訝しく思ったものだが、何故か母はもう何年も前からの知己のように、ゼナスフィールと親しく談笑している。

 ひっそりと耳を傾けるに、ゼナスフィールは地上の様子に興味があり、そしてスリュエルミシェルはメイダルの有様に興味があるようで、互いに情報を交換して楽しんでいるようだ。

 

 ゼナスフィールが、

 

「失礼ながら、地上の龍震族の方に、これほど知的な方がおいでとは。彼らは戦いや武勇ばかりを重んじ、知恵を軽視する悪癖を持っている、とはうかがったことがあるものですから」

 

 と口にすると、スリュエルミシェルは溜息をこぼした。

 

「戦いほど、知恵をふりしぼらなくてはならないものもないのですが、主も他の王族も、そのことを理解していないのです。彼らに囲まれていると、自分がおかしくなったのではないかと思い込みそうになるくらいでした」

 

 はふ、と更なる溜息。

 

「いやいや、聡明なあなたがおかしいなどということはあり得ませんよ!! 幸い、このメイダルには、知識ならいくらでもあります。あなた様の興の赴くまま、好きなだけ取れば良いのです。僕で良ければ、いくらでもそのお手伝いをさせていただきますよ」

 

 そうだ、女王陛下の許可をいただいて、王立図書館に参りましょう。

 ゼナスフィールにそう申し出られ、今まで龍震族の俗臭の中で自分を抑えつけてきたスリュエルミシェルは、幸せそうに笑った。

 

 しかし。

 少々穏やかならぬのは、彼女の息子オディラギアスで。

 

『レルシェ。そなたの幼馴染だというあの御仁は、もしや、その、いわゆる誑(たら)しというやつなのか?』

 

 オディラギアスは、声をひそめて、隣のレルシェントに尋ねた。

 

『いえ、彼とは長い付き合いだけど、そんな話を聞いたことは全くないわ……』

 

 そうは言うレルシェントだが、彼女にしても幼馴染の見せる意外な積極性に、軽く驚いてはいるようだった。

 

『多分、ゼナスフィールは本当にスリュエルミシェル様を心に住まわせてしまったのよ……拝見していると、スリュエルミシェル様もまんざらではないような……』

 

 魔力の波長で、ある程度その相手の表面上の思考を読めるレルシェントが、そんなことを囁く。

 メイダルの人間は、無闇に心を読まれないよう、体外に放出される魔力波長を調整する訓練は受けるそうだが、スリュエルミシェルにその心得はないはず。

 つまり、ゼナスフィールはともかく、スリュエルミシェルは確かにまんざらでもないのだろう。

 

 オディラギアスは、改めて不審がられないように、母の顔を見る。

 あんなに無理なく笑っている母を見るのは、どのくらいぶりだろう。

 オディラギアスの冷酷無残な父親では、決して与えられなかった幸福な表情。

 何年囲っていようとも、父が母に与えられなかったものを、たやすく与える青年。

 彼の心を読む魔法の心得などない自分が残念でならない。

 彼は、本当のところ、母をどう思っているのだろう?

 すぐに旅立ってしまうちょっと綺麗な女くらいだろうか?

 

『そんなに心配することはないわ、オディラギアス』

 

 甘く優しく、レルシェントが囁いた。

 白い手が、そっとオディラギアスの更に白い手に触れる。

 

『ゼナスフィールが酷い人ではないのは、あたくしが保証するわ。今後どういう展開になるにせよ、一時的にせよ、スリュエルミシェル様に心の癒しに、彼がなってくれると思うの』

 

 その可能性は高い……とオディラギアスは確かに思う。

 もし、ゼナスフィールという寿龍族の青年――青年、と言っても、霊宝族基準であり、字際には母より年上であろうが――が、見下すべき下劣漢であったなら、レルシェントのような女性が幼馴染として遇しているとは考えられない。

 

「ああ、綺麗でやすねえ」

 

 ジーニックの感動の声が、オディラギアスを現実に引き戻した。

 

「本当に魔法の国でやすねえ……元の世界の夜景より、大分綺麗じゃないでやすか」

 

 船から眼下に視線を落とせば、そこにはもう一つの星空のように輝く光景。

 魔法の光で彩られたその風景は、前世の記憶にある電気的な照明によって形作られた夜景よりも何倍も幻想的で、思わず言葉を失う引力があった。

 多少の文才のある人間ならちょっとした短編が数本描けそうであるし、画才と画材が揃った絵描きなら、涙を流しながら感動をキャンバスにぶつけるであろう。

 

「魔法の国なんだから当たり前って言われるかもだけど、流れてくる魔力が純粋で強いよねえ。これなら、ここに住んでいる人は、みんな物凄い魔法使いになるのも、当然って気がするよ」

 

 霊宝族に次いで魔力に敏感な妖精族であるマイリーヤが、まるで魔力を呼吸するかのように、大きく息を吸った。

 確かに彼女以外の者たちにも、何だか視界が明瞭になるような、いわゆるナチュラルハイになるような不思議な感覚があるが、これは純粋で強い魔力の影響なのだと、言われて初めて気付く。

 

「確かになあ。何か、都会の上空なのに、空気が澄んでる感じがするぜ」

 

 ゼーベルがそういう形容で表現したのも、要するにマイリーヤと同じ、魔力波長の澄明さだ。

 

「ありがとうございます。外国からおいでになられた方にお褒めいただけると、このメイダルの民として、私も誇らしいですよ」

 

 マーゼレラーンが、船の庇の脇に立ったまま、そう応じた。

 

「それもこれも、現在の女王陛下が賢明に治められ、人心が安定しているのも大きいでしょう。二年前、あまりに若くしてかの方が即位された時、私も含め多くの人民が心配したものですが、今となっては先代女王陛下の指名は正しかったのだと確信できます」

 

 人心が乱れると、環境中に放出される余剰魔力も淀んで質の悪いものになり、いわゆる「雰囲気の悪い」状態になりますし、それは更に人心をより悪く押し下げますからね。メイダル全体の魔法の質を左右するのも、統治者次第なのですよ。

 更にそう付け加えると、一行の間に、好奇の雰囲気が湧き上がった。

 

「ねえ、マーゼレラーンさん。この国の女王様って、どんな人なの? そんなに若いの?」

 

 イティキラが、いい加減きになっていたのだろうことを尋ねた。

 

「ええ。お若いのです。実際、お会いになられたら、かなり驚かれると思いますよ。イティキラ様よりお歳が下でいらっしゃいますから」

 

 その言葉に、イティキラは目を丸くする。

 

「えっ、ということは……」

 

「陛下は、今年で十五歳になられます。二年前、即位された時は十三歳になったばかりであらせられました」

 

 ほぇえ!? と珍妙な声を出したのはイティキラだけではなかった。

 

「なんと……そんなにお若くていらっしゃるのか!!」

 

 唸ったのはオディラギアス。

 ここより大分文明の遅れたルゼロスでも、統治者には一通りの事情、知識に通じているのが求められるものだ――彼の父は、そんなことには見向きもしないからこその暗君だったのだが――。

 これだけ高度な文明の統治者となると、把握しなければならない情報というものは格段に増えるだろう。

 本当にマーゼレラーンの言う通りの年齢で女王になったのだとすると、かの女王の才覚は人類離れしているレベルだ。

 

「確かに、子供と言えば子供に見えるくらいのお歳でいらっしゃるのだけれど」

 

 にわかに、レルシェントは表情を引き締めた。

 

「でも、決して中身は子供ではないわ。語弊を恐れずに言うなら、怪物とすら言えるわ。……そして、個人的な事情を持ち出せば、アイルレーシャ女王陛下の統治下でなければ、あたくしの旅は決して許可などされなかったでしょう」

 

 あなたに会えたのも、元はと言えば、あの方のお陰なの。

 もし、少しでもあたくしに会えて良かったと思ってくれているなら、決してあの方が年若いからと言って、愚弄するような態度を取らないで欲しいの。

 

 そうレルシェントに頼み込まれ、オディラギアスは大きく溜息をつく。

 

「明君を戴くニレッティア組ならともかく、この私が何故、この凄まじい文明を滞りなく支える女王陛下を愚弄できるのか。あの暗君に対して、一人では何もできなかった私が、だぞ?」

 

 条件も何もかもが違い、比べることも間違いであろう。

 しかし、入って来る情報の端々からうかがえる現メイダル女王アイルレーシャの名君ぶりは、到底「年若い」などというつまらぬ理由で否定できるようなものではない。

 

 同時に、オディラギアスは希望を抱く。

 レルシェントの、事情を理解せぬ者が端から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言えないような理由の旅を、許可した先進的な気質の若い女王。

 地上種族である自分たちとの交流にも、もしかしたら忌避感がないのかも知れない。

 誠意を尽くして事情を話し、ルゼロス王国との交流、それに伴うルゼロス領内の遺跡の無害化のメリット――例えば食糧増産による、メイダルへの農産物輸出の可能性など――を理解してもらえれば、彼女は決して、古い時代の遺恨などを理由に、自分の申し出をおざなりに扱わないだろう。それは確信があることだった。

 

「ああ、王宮が見えて参りました」

 

 シエマローシュが前方の輝き渡る芸術品のような、華麗な建造物を指して告げた。

 

 皆が沸き立つ中、オディラギアスは自らのなすべきことを反芻していた。