その人外はこの上なく美しい。
ライラック色の異色肌。
燃えるように妖艶な青緑色の鉱物質の角が頭部を飾る。
髪は月の蒼白を示している。
露出の多い衣装に、手足の先は宇宙の深みの碧の毛皮に覆われた獣のそれだ。
驚くことに尻尾は大蛇になっており、もたげた鎌首の先端には毒牙が見える。
何より目を引くのは、角と同じ鉱物質のナイフ状のものが肉体の周囲を惑星軌道のように取り巻いており、ゆっくり回転しながら周囲を警戒しているように見えること。
友麻は机の影から改めてその人外を覗き見る。
間違いない。
雰囲気が違っているが、目鼻立ちは確かに璃南のもの。
この人外は璃南なのだ。
確かに神秘的というか、ちょっとエキセントリックな変わった子だったのを思い出す。
本人は変わったことをしている気はなかったのであろう。
こんな生き物が本体なのでは、あの程度の「風変わり」など、変わってる内にも入らない。
「なんでもそう。一から十まで都合の良いものなんてない。あなたはここに死にに来たの?」
璃南の声で、その人外が声を張り上げる。
呼び掛けられたもう一体の人外は、ごそごそ蠢きながら起き上がる。
およそ薬物中毒者の幻覚もかくやという奇怪なその生き物は、蠢くネズミの群れを引き連れながら、璃南に向かい合う。
おぞましい思いをこらえながらも、机の陰から、友麻は視線を反らさずに見詰めるしかない。
『璃南ちゃん。こんな形で会いたくはなかったな』
いきなりのことに、友麻は思わずきょろきょろ周囲を見回す。
雅の声だ。
どこにいるのだろう。
『でも、璃南ちゃんにはわかって欲しいな。これは必要なことなの』
友麻はきょろきょろ探し……そして、見つける。
歪んだ怪物の右肩に相当する部分。
そこに、棘だらけのネズミが乗っている。
そのネズミが口を開くと、雅の声がするのだ。
と、璃南が声を上げる。
「雅。意外だったけど、ちょっとそうかもって思ってた。あなたは『贄の教団』の一員だね。しかもそれなりの地位。そして、友麻ちゃんを撒き餌にしてから贄にしようとしていた。そういう企み」
ネズミが雅の笑い声を立てる。
『言ったじゃない。必要なことだって。誰もが生きていく上で「贄」を必要としている。私たちはその自然の摂理に従っているだけだよ』
「日々の糧を得るのは生贄じゃない。でも、心ある生き物を犠牲にするのは生贄でしかない。区分をあいまいにしても、子供も騙せないよ」
璃南が、肩のネズミに向かって続ける。
「あの合コンの相手も『贄の教団』の連中だったんだね? 友麻は知らなかったよね。多分コミュニケーション理論の研究員だけど、表向きはデザイナーだって嘘を掴ませてたってところ。いい面の皮」
ネズミが更に笑う。
『友麻って素直なんだもん。私の言うこと何でも信じてさ。表面のことしか見えない、単純で可愛い女の子』
その言葉を耳にした時、友麻ははっきり悟る。
自分は最初から騙されていたのだ。
ちょっと人と違う、複雑なことも打ち明けてもらえてたと考えたのは、愚かな思い込みでしかなかったということ。
「雅は、こんな奴を操るくらいだから、教団でそれなりの地位にいる奴。女子大生が聞いて呆れる。邪教幹部の女子大生って二次元みたいね」
璃南が揶揄するや、雅の笑いが髙くなる。
『今はいい時代だよね。女の子の大学生だって、別段珍しくない。昔は女だと地位とか誤魔化すのも大変でさ。知ってるでしょ?』
友麻は、一瞬意味が採れない。
「昔は」?
「昔は」ってどういうことだ。
女子大生が全く一般的ではなかった昔。
半世紀くらい前だろうか?
雅は幾つだっけ、同じ年で、誕生日も近いとはしゃいだのが十年も前に思える。
「もういい。こいつらを始末して雅を探しに行く」
璃南が両手を広げると、体の周囲に浮かんだ鉱物ナイフが大きく軌道を変えて広がる。
と、棘ネズミたちが弾丸となって璃南に殺到する。
カタパルトで発射されたように、棘を外に体を丸め……
どぶ色の洪水に、友麻が思わず身を縮めた時。
まばゆい輝きが空間を圧する。
はたと顔を上げた友麻の見たものは、恒星のようにまばゆい帳が、璃南の体を取り巻いている様子だ。
バチバチと弾ける球電が無数に重なり合い、間を光が埋めている。
嵐の夜みたいなオゾン臭。
今まさにその光の帳に突っ込んだ棘ネズミが蒸発するところ。
グロテスクな怪物が吼える。
上半身が奇怪な花のように裂け、おぞましい内部が露わになる。
渦巻く汚液が、璃南に向かって噴出された、その瞬間。
璃南を取り巻く輝く帳が開き、更なる光の洪水が、極太の光線となって怪物に発射される。
一瞬である。
怪物の巨躯の粗方が、この世から消滅している。
周囲のネズミもなにもかも、すでに見えない。
見えるのは、人間がくぐれる大穴と化した、元は部屋の扉があった壁のあたり。
「……」
友麻はあまりのことに言葉を失う。
もう心配ないのだろうとか。
この壁の穴はどうしたもんかとか。
何も頭に思い浮かばず、ただ目の前の驚異的な光景を反芻するだけだ。
この子は、璃南だったはず。
他の何だったの?
「友麻、もう大丈夫」
璃南が、いつの間にか近くに来ていた。
「出ておいで。心配ないから」
友麻はふらふら立ち上がり。
璃南にしがみつくと。
堰が切れたように泣き出したのだった。