1 死剣士と吸血娘と平凡な男

  引き攣るような悲鳴が、都会のぼんやりした夜闇を裂いた。

 

 まだ若者と言えそうな年ごろの男性が、狂犬病のネズミのような痙攣的な動きで路地に転がり込み、何歩か進んだところで盛大に転んだ。

 すっかり色の褪せたプラスチックのゴミ箱が転がる。

 

 まだ三日月にもなっておらぬ細い月の下、路地裏には表通りからの街灯の明かりがスポットライトのように差し込む。

 

 それが、いきなり陰った。

 

 路地の入口に、すらりとした不思議なシルエットがどこからともなく現れたからだ。

 まるで大河ドラマの中から抜け出て来たバサラ者のような、金糸銀糸の鮮やかな刺繍で蝶と瑞雲を縫い取った、派手なことこの上ない若衆小袖(わかしゅこそで)を身に着けている。

 ゆったりした衣装の上からでもうかがえる女の体つきだったが、なぜかその顔、白い磁気のような顔の下半分を、髑髏を模した不気味な面頬で覆っている。

 垂れ気味の色気ある目元が余計に強調されているが、のんびり鑑賞する気分には到底なれないのは言うまでもない。

 なにせ、その同じく白い手には、身の丈に余るような、長大な太刀が握られているのだから。

 太刀が、差し込む人工の光を跳ね返して禍々しく輝いた。

 

「お前に神がいるなら、祈るがいい。何か言い残す相手がいるなら、ここでその言葉を告げるがいい。伝えてやるくらいの慈悲はある」

 

 滑らかでひんやりした声が、髑髏の面頬の奥から聞こえた。

 死神じみた女が、ゆっくりと転んだ青年に近付く。

 取り立てて鍛えているようにも見えない、平凡な青年は、振り上げられる太刀を呆然と見上げ……

 

 突如、激しい光と爆発音が轟いた。

 

 光に目を焼かれて思わず固く目を閉じた青年が再び目を開けると、そこには見慣れぬ影がもう一つ、増えていた。

 

 いや、その存在を「人影」と表現して良いものか。

 確かに、大まかには人間だ。

 それも、かなりの美少女の部類に入る、金髪のコーカソイド系の美少女。

 だが、その背中には緋色に輝く大きなコウモリの翼が、マントのように広がっており。

 更には、頭部には優雅な曲線を描いた同じく緋色の角が王冠のように伸びている。

 衣装は背中を露出するベアーバッグのキャミソールに、短いミリタリー風味のミニスカート。

 

 あまりにとんでもないことが連続しすぎて、もはや麻痺した青年の耳に、悪魔めいた娘の、流暢な日本語が響いた。

 

「あなた、逃げなさい。今のうちよ、早く!!」

 

 見ると、あの死神女は、光と熱で目をやられていたのか、ゆっくりと顔をかばった袖を下ろすところだった。

 

 青年は、もつれる脚を叱咤して立ち上がった。

 そのまま悲痛なうめき声の尾を引いて、弾丸のような速度で、路地の反対側に逃げ去る。

 

「さて。これで邪魔ものはないわね、死剣士(しけんし)さん!?」

 

 悪魔めいた娘は、死神めいた女をそう呼んで、にっこり笑いかけた。

 

「吸血鬼か」

 

 死剣士の答えは、そんな言葉となって、夜の風に乗った。