「よう。こんな街中で、ずいぶん思い切ったことするじゃねえか」
突然の展開に、驚いているというよりは不快そうな顔をしている正太郎に、空凪が威嚇するようにそう呼びかけた。
ほぼ円形に光の環が広がる色レンガの広場、哀れなヤンキー連中を取り囲む葉っぱの獣は、周囲の闇からにじみ出てきたかのように見える。
恐怖にひきつるやさぐれ者どもと、それを取り囲む異形の化け物、そしてそれらを統べているかのように中心に立つのは、一見貧相な少年だ。
彼らに対峙しているのは、胸にタリスマンのようにコンパスを下げたスチームパンク風の少年、そして忘れられた文明の遺産のような銃を構えたトレジャーハンター風の女、そして、蒼い和パンク装束に蒼い石刀を構えた魔的な少女。
「お前らは……ああ、宇津さんか」
じろりと嘗め回すように「共鳴者」たち三人を見た正太郎は、チカゲに目を留めるとニンマリした。ぞわりとしたものがチカゲの背に這い上がる。
違う、とチカゲは思った。
こんなに荻窪正太郎にぞっとするのは、単にこいつの態度や見た目が「なんとなくキモイ」などという単純な理由からではない。
明らかに人間とは異質な、ぞっとする瘴気を放っているからだ。
《《コイツは人間じゃない》》。
そのことが、はっきりチカゲにも分かった。その違和感は何というのか、気配というほどあやふやではなく、目にこそ見えないが手で触れそうなほど明白な「何か」だ。熱や毒ガスのように、その禍々しい「違和感」はあった。
「荻窪くん。ずいぶんおかしな犬飼ってるね?」
チカゲはややもすると恐怖にすくみそうになる自分を叱咤し、果敢に正太郎に呼びかけた。思いのほか、強い声が出る。
「手下引き連れて、まるでゲームの中ボスだ。君ねぇ、ひょっとして、人間じゃないよね?」
うっとりする美しい蒼の陰影を見せる石刀を構えて、チカゲは詰め寄った。
一番近くにいた、葉っぱの獣の一匹が、驚くほど素早くチカゲに飛びかかってきた。チカゲの体がほぼ反射的に動き、石刀が蒼い軌跡を描いて振るわれた。瞬時に葉っぱの獣はバラバラになり、地面に着くなり消えていく。
「ああ……宇津さん、こんな形で会いたくなかったよ……」
呻くように、正太郎が呟いた。
「君、僕が君のこと、こういうのを操って襲ったって思ってるんだろ? 違うんだ、あれは事故なんだ、あそこにいたのが君だと気付いていたなら、絶対にあんな真似はさせなかったのに……」
懇願するように、骨ばった指をワキワキさせながら言い募る正太郎に、チカゲは怪訝な顔を向けた。
「それはどういう……」
「宇津!! だまされるな!!!」
空凪の叫びで、チカゲがはっと我に返る。
空凪が葉っぱの獣の方位の一角を指さした。
「散れ」
途端に、とんでもない突風にあおられたかのように、葉っぱの獣が吹き飛ばされた。宙を舞い、バラバラに飛び散る。緑の嵐が光と闇の領域を荒れ狂った。
「おい、お前ら、今のうちに逃げろ!! そっちから逃げられる!!!」
空凪の叫びに、呆然としていたヤンキーたちが破裂するような悲鳴を上げて逃げ出した。公園の出口に殺到する。
それを追おうとした葉っぱの獣が、百合子の銃撃によって塵に還る。
火薬のものではない機械的な銃撃音が、ヤンキー連中を追って行こうとした数匹を次々に吹き飛ばす。緑の葉がほとんど目に見えないくらいの粉塵に帰す。
「なめてんじゃないわよボウヤ。私らが来たからには、こんなのくらいでどうにもならないわ」
ビシッと銃を構えながら、百合子が警告する。
正太郎の返した笑みは、憎悪に歪んでいた。
「さて。これで邪魔者はいなくなったな?」
空凪が正太郎に向き直る。
彼は、残った十匹ほどの葉っぱの獣と共に、うっそり「共鳴者」たちを睨んだ。
「荻窪くん。君が『マガツヒ』なんだって聞いた」
チカゲは、巨大な石刀を、いわゆる正眼の構えに取ったまま、そう尋ねた。
「君、本当に、人間じゃなくなったの?」
正太郎はニイィと笑う。
「ああ、そうか。君も知ってたんだ。でもまあ、ちょっと違う。宇津さんは、僕がアイツに乗っ取られたんだと思ってるんだろ?」
くすくすと笑い声。
「違う、チガウ、ちがうんだ。あいつに乗っ取られたんじゃない。僕が僕の中にアイツの居場所を作ってやったのさ、乗っ取られたりしてないよ」
正太郎のぬるっと白い肌に、無数の極彩色の筋が、走り回る血管のように浮かび上がった。
「来るよ!!」
百合子の叫びと同時に、正太郎の体が爆発的に膨れ上がった。
「ふわぁっ!! なにこれぇ!?」
チカゲは思わず叫ぶ。
次の瞬間、そこにいたのは、どろりとヘドロのような濃緑色の肌の、極彩色の筋が全身に走り回る巨大な「もの」だった。
立ち上がると4mほどもある。ゴリラのように腕が長くたくましく、それに反比例して胴体は貧相に思える。太い脚はねじ曲がっており、なのになぜか危なげなく地面を掴んでいる。
顔に当たる部分には、不揃いな穴から地獄の火を覗き込むような奇怪な、恐らく目に当たるものが点々と散らばっている。鼻は見当たらず、口はただのくぼみみたいに見えた。
これが、「マガツヒ」か、とチカゲは戦慄した。世界を蹂躙する意思を形にしたような、その異形に、胃の腑が締め付けられるような恐怖と嫌悪が湧き上がってくる。
「この姿になると気持ちいいんだ。何でもできるしね」
あの正太郎のくぐもってざらついた声が、そいつから聞こえるのが信じ難い。
「こんな風なこともできるんだよ」
正太郎だったものがくぼみでしかな口から奇妙な唸りを上げると、周囲の空中に黒く燃える火の玉としか言えないような何かが、無数に生まれた。
それは出鱈目に思える軌跡を描いて、追尾ミサイルのように「共鳴者」たちに殺到した。
「くぅっ!! 止まれ!!」
空凪が空中に乱舞する火の玉を止めようとした。
しかし、無理だった。幾つかの玉の動きが鈍っただけで、大部分がそのまま速度も軌道も変えずに、「共鳴者」たちに突っ込んできた。
百合子がいくばくかを銃撃し、チカゲが石刀を振るったが……
悲鳴は、爆発するような音にかき消された。
そこに転がっているのは、ズタボロの空凪、百合子の体だった。
わずかに指先は動いているが、本来普通の衣装ではないはずの「共鳴者」の装束がボロボロだ。露出している肌は血まみれで、変色していた。黒っぽいカビみたいな染みが、じわじわと広がっていく。
「一色くん、百合子さん!!」
叫んだのは、チカゲだ。
彼女はなぜか立っている。服も破れず、傷もない。その周囲を覆っていた光のドーム状の壁が、すうっと消えて行こうとしていた。
「なんで……? なんでなの? 宇津さん……!?」
困惑した声が、「マガツヒ」になった正太郎から上がった。
「なんで、僕の攻撃が通じない……」
チカゲには、その声も耳に入らない。
彼女の目には、今しも「死」に侵食されつつある、百合子、そして、空凪が映っていた。
「……許さないから!!」
一気に、チカゲは地を駆けた。ほとんど瞬間移動のような速度と共に、蒼い光が一閃した。
凄まじい絶叫。
「おぉっ!!? あぁぁぁあああぁ!?」
切り落とされた丸太のような右腕の切断面から、奇怪な液体をまき散らしているのは、元正太郎だったもの。
チカゲは、まるで破壊を司る神のような冷厳とした表情で、血らしきものにまみれた石刀を再び振り下ろした。
胴体の、半ばまで斬り込まれる。
「あぁあぁあぁあぁ!!!」
尾を引く悲鳴を上げて、奇妙な形になった正太郎は上空へと逃れた。
まるでワイヤーで吊り下げられでもしているように、ぐんぐん夜空に上昇し、そのまま流星のようにどこかへ流れていく。
チカゲは、あえて追わなかった。その表情は深手の弱者を見逃す蒼い修羅のそれ。
「……一色くん!?」
かすかな呻きに、チカゲははたと我に返った。
「……百合子さん!! しっかり!!!」
チカゲは、悲惨な有様の仲間を前に、悲嘆と困惑に囚われていた。