5-3 イルシャーの事情

「うらぁああぁあぁっ!!!」

 冴が紅神丸を一閃させると、眼下にいた巨大な灰色の獣の首と胴が、あっさり斬り離された。

 

 朽ちた石のところどころに転がる、それは地球で言うなら荒野とでもいうべき一角だった。

 頭上には岩盤のような闇が広がっている。

 下層の大地が上層の大地の影に入る「下層の夜」だ。

 その上層の影の下に、希亜世羅一行と、イルシャー、そしてお付きの二人がいた。

 イルシャーたちは戦えないので、莉央莉恵の反衝撃結界に包まれている。

 

 それは、全身が隆起した筋肉に覆われ、巌のような印象を与える、4~5mあまりもある獣だった。

 この惑星クレトフォライの陸生動物の多く同様、肢は六本ある。地球の獣に置き換えるなら前肢と後肢のちょうど間辺り、胴体半ばに別の関節の隆起があり、図太いぞろっと爪の生えた肢が突き出している。滑らかな濃い灰色の皮膚の下で、肉体の凹凸は凶暴な陰影を帯びていた。

 巨大な頭の大部分を占める口からは肉食恐竜めいた牙が覗き、逞しい尻尾の先端は、昆虫の翅めいた透明な突起で覆われ発光している。

 そんな巨大な獣の、並のクレトフォライ人の胴体よりも図太い首を一刀両断し、冴は次の目標に向かった。

 

 そんな戦いのさなかにいる、冴始め女神一行。

 ただ、問題は。

「凄い、冴、こんなに強いだなんて!!」

 きゃっきゃっと無邪気に騒ぎ立てるのはイルシャーだ。

 実際には、彼女は「さえる」ではなく、クレトフォライの一地方風の発音であるシャイエルと発音しているのだが、冴にも他の誰にも、彼の名前だと認識できているような状態だ。希亜世羅の施す心理的変装術及び神使化は、こんなところにも効果を現す。

 まるで状況の緊迫感を分かっていないような彼(彼女)に、お付きの二人は頭を抱え、彼らのために結界を展開している莉央莉恵はそっと溜息をついた。

 

「んんん、数が多くてめんどくさいねえ。えいっ」

 軽い調子で口にした希亜世羅の頭上に、光輝く光球が現われた。

 まるで太陽が爆発でもしたかのように、光球から無数の光条が迸り、二十近くも残っていた獣の群れに降り注いだ。さながらうねくる光の洪水だ。

 命中した光の矢は、その時点で大爆発を起こし、周囲一帯を爆風と熱、そして大音声が薙ぎ払う。

 それが収まった時には、地上にわずかな残骸を残して、凶暴な獣の群れは消えていた。

 

「ふぃー。やれやれ」

 希亜世羅がすっと伸ばした腕を下げると、いきなり背後から、どん!! という衝撃と共に暖かい感触が伝わってきた。

「すごーーーい!! 高等神想術だよねそれ!! ねえ、希亜世羅、あなたってどこでそんな術覚えたのぉ!?」

 振り返ると、イルシャーがきらきらした目で希亜世羅を見つめていた。希亜世羅という部分も、実際にはキアシェーラというクレトフォライ風の発音に翻訳されているが。

 希亜世羅はふふっと微笑んで、用意していた言い訳を口にする。

「私の親の一人が教育熱心でね。子供の頃から、魔力を高める訓練にはお金を惜しまなかった。その成果かな。感謝しなくちゃ」

 これは「親」を「伽々羅」や「莉央莉恵」に置き換えると全くの嘘という訳ではない。神としての記憶定かならぬ人間に転生したての頃から、希亜世羅は訓練を受けさせられていた。

 

 イルシャーはますますきらきらした目で希亜世羅に体を摺り寄せる。いい匂いがした。

「……ねえ。希亜世羅。それだけ魔力が高いんならさ。高等司祭とか狙えるんじゃない?」

 まるで睦言でも呟くような甘い声音で、イルシャーは小さな頭を、希亜世羅の肩にもたれかけさせた。そうされている希亜世羅はきょとんとするばかりだ。

「……うちの住んでるところの神殿、万年司祭不足でさ……並の魔力の人はいるんだけど、秘儀を伝えられるほどの高等司祭の後継者が見つからないって、大分前から……」

 ほっそりした指で背中を撫で回され、希亜世羅がどうしたものかと思案している時に。

 

「おい。さっさと街に辿り着かなきゃならねえだろう。何してんだ」

 明らかにむっとした表情で、冴が割り込んできた。

「あ、冴!!」

 イルシャーは、冴の腕も取って自らの腕に絡ませ、希亜世羅と冴に挟まれるような格好になった。

「冴も凄いね。かっこよかったぁ!!」

 うふふと微笑みながら体を擦り付けるイルシャーに、硬派なタイプである冴は困惑しきりだ。思わず希亜世羅に目配せしたが、彼女からは「外にいる間は適当に合わせて」という思念が謝罪の気配と共に返ってくるばかりだ。

 

「ね。二人とも、巡礼が終わったらどうするか決めてるの……?」

「ん、故郷に帰るけど……」

 希亜世羅が無難な答えを返す。

「あ、ねえねえ、故郷変えるって手段はどう? あたしの地元、気候いいし賑やかだし。あたしんちも結構条件いいよ? 三人で一緒に、どう?」

 思わず、希亜世羅と冴は顔を見合せる。

「あたしが冴に子供あげて、冴が希亜世羅に子供あげて、希亜世羅があたしに子供くれるっていう風にしない? 同時にはまずいんだったら、時期をずらしてでも」

 いきなりそんなことを言われ、冴は固まる。

 希亜世羅も目をぱちぱちさせていた。

 

「姫(若)様っ!! なんということを仰っているのですか、破廉恥な!!」

 イルシャーのお付き、タイプCのクレトフォライ人、カニネスが目を白黒させながらイルシャーをたしなめた。

「だってさ、こういうことは早い方がいいって」

「そういう問題ではありません!! こんな状況で何を仰っているのですか!!」

 今度はタイプAクレトフォライ人の方のミディワルが釘を刺す。

「皆様、ありがとうございました。このお話はまた後ほど改めて……」

 カニネスが胸に手を当てる仕草をしてとりあえず場を収め、一行は改めて最初の目的通り、宗教施設と付随する小さな町へ向かう目的を思い出したのだった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「いやぁ、しかし。困ったなあ」

 街に着いて間もなく、宿の希亜世羅の部屋に集まった女神一行の中、棘山が嘆息した。彼はちなみに、周囲のクレトフォライ人にはタイプCに見えているはずだ。

 このクレトフォライ第三層の宗教施設にまで危険を冒して降りてくる巡礼者は多くない。特に危険が増したこの頃は。という訳で宿はガラガラで、比較的スムーズに女神一行は部屋を確保できたのだ。

 旅に同行することになってしまったイルシャーたちに完全に聞きとがめられないように話し合いをするには、メンバーの誰かの部屋に集まる必要がある。

 

「ええ。困りましたよ。まさか、あそこまで希亜世羅様と冴さんが気に入られるとは……」

 ふう、と部屋の中央のカウチに寄りかかって同意するのは、莉央莉恵だった。ちなみに彼女はタイプAクレトフォライ人に見えているはずである。

「にゃんか、あのイルシャーって子、故郷に希亜世羅様と冴にゃんを連れて帰って結婚するってもう決めてるみたいにゃあ。クレトフォライの大体の人はそういうことオープンだって聞くけど、あの子はオープン過ぎにゃー」

 ふにふにと目の前のテーブルに置かれたお菓子を頬張るのは伽々羅。ちなみに彼女はタイプCクレトフォライ人に偽装できている……はずである。

 

「なぁ……俺、何かもうついていけねえ感じがしているんだが」

 ベッドに力なく座り、心なしかげっそりした冴が、莉央莉恵と伽々羅、棘山の座っているカウチセットにむかって呟いた。彼の側にある窓からは、「下層の夜」が明けかけている様子が見える。濃紫から明るさを増すラベンダー色の空。

「しょっちゅうしなだれかかられるのはまだしもな、性別が三種類あって、異なるタイプはもちろん、同じタイプ同士でも繁殖できるとか、地球人類には難しすぎる……」

 基本的に肉体的性別は二種類しかない惑星で生まれ育った冴に、そういったクレトフォライ人の性的な観念は奇怪で抵抗を覚えざるをえないものだった。もう少しオープンな家庭環境で育っていたら多少違っていたのかも知れないが、冴の家庭はあいにく古風で厳格だった。

 ちなみに冴は周囲のクレトフォライ人からはタイプAに見えているはずの彼だが、少しの間、タイプAを「地球で言う男みたいなもんか」と気軽に判断していた。が、「本物の」タイプAであるミディワルの様子を見て、そういう訳でもないのだと気付いてからは、いささかアイデンティティが揺らいでいる。

 

「んでもさー。事情を聞いちゃうとねえ。邪険にする訳にもいかないなあ。大変そうじゃない、彼女」

 希亜世羅が、冴の隣のベッドに寝そべって足先をぶらぶらさせながら、そんな風に呟いた。イルシャーを一目惚れさせた凶悪なタイプBクレトフォライ人に偽装している彼女だが、そのことでアイデンティティなど欠片も揺るがない辺りは神様である。

「兄弟との家督争いとか。あんまりそういうことしてほしくないんだけどねえ。一応の神様としてはねえ。だけど、力技でぶった切ったりする訳にもいかないし」

 この星の秩序的にもね、と、希亜世羅は呟く。

 あまりに干渉しすぎては、この星を平穏に治めているウィデルヌの秩序にひびを入れかねない、との判断もある。

 

「今更、改めて家族で話し合えなどという訳にも参りませんからね。そういう手段でどうにもならなかったからこそ、こういう不埒な『競争』をするのでしょうし」

 莉央莉恵がふう、と再度の溜息。

 

 

『何で、私が第二層なんて危険な場所にまで行くか、って?』

 出会いの直後、今や魔照獣の脅威が高まり、クレトフォライ各国政府からも降下を控えるよう通達の出されている下層、第二層に行く訳を、イルシャーはそんな風に話した。

『決まってるじゃん!! 兄弟姉妹に勝つため!! あたしの人生、この勝負で決まる!!』

 むふんと鼻息荒くした彼女が語るのは、こういうことだった。

 

 イルシャーには、六人の「親」と、九人の「兄弟姉妹」が存在する。

 クレトフォライでは珍しい訳でもない平凡な家庭だ。変わったところと言えば、平均よりはかなり裕福だというところだろうか。

 だが、問題は、そろそろ成人と認められるはずのイルシャーたちが受け継ぐ、親のうち二人の事業のことだった。

 新規事業に当たりこの事業を子供のうち誰かに継がせたい「親」から、打診を受けたのがイルシャーともう一人の兄弟姉妹。

 どちらも譲らず、事業の取り合いになってしまった。

 スキル的には二人とも高度な教育で十分成長させており、そういう意味での問題はない。

 ただ、全く対等の力を持つ者二人が存在するのが問題なのだ。

 共同経営、という訳にはいかない。

 もう一人の兄弟姉妹にはすでに婚約が決まっている二人がおり、彼ら(彼女ら)と共同経営を行う意図があった。イルシャーの入り込む余地はない。

 しかし、イルシャーにしても、この事業を受け継ぐことを念頭に人生設計を行ってきたという状況があり、簡単には譲れない。

 

 そこで、勝負として提案されたのが、

「どっちが高度な巡礼者となるか」

 という、いささか不埒な内容。

 

 この惑星クレトフォライは、最上層の第五層とそのすぐ下の第四層が人間の生活圏とされている。

 それより下……第三~第一の層には、惑星の魔力を受けて戦いに特化した生き物、一般には「魔照獣」という危険な生物が多数存在し、そこに存在する数少ない遺跡や宗教施設に「巡礼」を行うには少なからず困難が伴う。

 ちなみに実際に巡礼に赴けるのは第二層が最下層で、惑星の核に最も近い第一層は、ウィデルヌの名の下に封鎖されている。

「巡礼者」のランク付けでは、より高度とされるのはより下層の、赴くのが困難とされる層の宗教施設や遺跡に巡礼することだ。

 つまり、事実上人間にとって最下層の第二層の施設への礼拝を実行すれば、それは最上級の巡礼者の証。

 地球の概念に翻訳すれば、生きたまま聖人の資格を手に入れるような社会的地位を約束される。

 そのために、イルシャーは危険を冒して第二層の宗教施設を目指す。

 しかし、足りないのが魔照獣からの護衛の手。

 目を付けたのが、希亜世羅たち女神一行、という訳だ。

 ちなみに、彼らが今いるのは第三層。

 状況を見れば、まあ、間違ってはいない選択……だが。

 

 問題は、イルシャーが希亜世羅と冴を「家族」にしてしまおうとしていることで。

 

「おめえさー、『自分を神と知らず手助けを乞うてきた人間には必ず助力する』とか、何で訳わかんねえ条件付けてんだよ……これ、セキュリティとか関係ねーだろ……」

 思わずぼやいた冴に、希亜世羅が言葉を返そうとした時。

 部屋のドアに付けられた鈴が鳴った。