「はっ!? あの……!?」
急に机の上に真っ白な手を置かれて、チカゲは泡を食った。
しげしげと、その人影を見上げる。
何となく、ぞわりとする。というのが、第一印象だった。
それは妙に生っ白い印象の、男子生徒だった。校章の色から、同学年だと判別できる。
身長は並くらいだが、細身で手足がひょろ長い印象のせいで、やけに縦に長く思える。
抜けるように色白というよりは、水死体のようなどよんとした白い肌が不健康そうな印象だ。やや細面の顔は、黙っていれば整っているように見えたかも知れない。しかし、実際こうして向き合うと、ねっとりした絡みつくような視線と酷薄な笑顔のせいで、ぞっとさせられる不気味さがあった。
「あっ、凄い!! C組の荻窪くんじゃん!! チカゲ、知り合い!?」
振り返った菜穂のきゃわきゃわ声で、チカゲはその名を思い出した。
クラスの女子の間で、評判になっていた名前だ。最近、イメチェンしたのか、急にかっこよくなった注目株だとかなんとか、菜穂を始め数人のおしゃべりに付き合わされたことがある。
一応、チカゲも名前は知っていた。一年の時に同じクラスだったのだ。その時は妙に暗く影の薄い印象で、特にどうとも思っていなかった。確か同じクラスの男子にいじめられていたとかで、可哀想に思っても、チカゲにはどうすることもできなかった。
それが、二年になってしばらくしたら、急に女子生徒から「かっこいい」と騒がれ始めた。
チカゲ自身はクラスが違うこともあり、特にそんな噂に浮かれることもなかったが。というより、「そうかなあ?」というのが正直なところだ。
荻窪正太郎《おぎくぼしょうたろう》は、見た目がとにかく陰気であるために、チカゲに言わせれば到底「かっこいい」「イケメン」の部類に入るような人物ではなかった。確かにこうして目の前で見れば、制服の着崩し方などに工夫はしているようにも思える。が、それでも亡霊じみた印象が先立つ。
チカゲは、見た目で人を差別することには反対だが、正太郎には何だかじとっと他人を恨みがましく見据える陰湿で不気味なところがあって、見た目云々以前の、態度の端々に、得も言われぬ不快感が拭えないのだ。
「宇津さん」
くぐもった声が、チカゲを呼んだ。
「はい……えっと、荻窪くん? い、一年の時以来だね。久しぶり」
何の用だろうと訝しみながら、チカゲはそう受け答えた。
ニタァッとした笑いが、正太郎の満面に広がった。一瞬、チカゲはぞっとしてしまう。
「……昼休み、空いてるかな? 話があるんだ」
虚を突かれて、チカゲはきょとんとした。
「……えっと、あの。ちょっと約束が」
何だか悪い予感に駆られて、チカゲは断りの言葉を口にしたが。
「え、あたしとのご飯の約束なんていいから!! 折角荻窪くんに声かけてもらってるんだから、ご一緒しなよ!!」
恐らく、全くの親切のつもりであろう、菜穂がチカゲの退路を断つ。冷や汗が流れた。
ニイィッと笑う、正太郎の顔が間近に……
「おっと、悪いな。俺が先約だよ」
長身の影が、チカゲと正太郎の間に割り込んだ。
「一色くん!?」
目の前にいたのは、昨夜確かにチカゲの命を助けた、あの一色空凪だった。
一瞬、凄まじい表情を浮かべ、正太郎が空凪を睨みつけた。
「ほら、約束だったろ、宇津。さっさとメシに行こうぜ」
手にした弁当箱の包みを持ち上げ、当たり前のように空凪が促す。
無論、昼休みに約束などしていない。約束したのは、放課後校門で、だ。その後、彼の仲間に引き合わせられる予定なのだが。
ぎろぎろと空凪を、あのいつもの恨みがましい目つきで睨みつつ、正太郎は無言で足音荒く立ち去った。
「……あ、あの、ありが……」
「見にきて良かったよ。おう、さっさとメシ行こうぜ」
注目を集めるのを嫌うためか、空凪は早くチカゲを連れ出したいようだった。
「え? チカゲ、この人、誰?」
さっきの正太郎の時とは打って変わって冷めた様子で、菜穂が怪訝な目を向けてくる。
「あ……B組の、一色くん。昨日、ちょっと助けてもらったことがあって」
「ふーん……」
胡乱な様子で空凪に目をやる菜穂に、チカゲは不審な思いを拭えない。はっきり言って、菜穂はかなりの面食いだ。なのに、あの亡霊じみた正太郎には黄色い声を上げ、パッと見て美形の部類に入る空凪には冷淡。彼女の好みが特に偏っているわけではない。ごく、オーソドックスなのは、チカゲも把握している。
「さ、行こうぜ、宇津」
チカゲが弁当の包みを取り出すのももどかしく、空凪はチカゲを連れ出した。
「あの、昨日は……ありがとう、さっきも……助かった、何だか……怖かったから」
中庭で弁当を広げつつ、チカゲはそんな風に切り出した。
「あいつ、な」
むっつりしたような顔で、勢いよく弁当を広げた空凪は、ふと手を止めた。
「え?」
「あいつ。C組の、荻窪。あいつ、ヤベェから、気を付けろ」
突然の警告に、チカゲは怪訝そうに空凪を見た。
「ヤバイって……どう、ヤバイの?」
ヤバイという言葉の意味が取れない。確かに説明のできない不気味な人物ではあるのだが、影でなにか「ヤバイこと」をやっているとか、そういう意味なのだろうか。一年の時の印象は、ひたすら暗くて教室の隅にいて、とてもそんな大それたことをするようには思えなかったのだが。
「手っ取り早く言うと」
空凪は箸で、大ぶりなから揚げを突き刺した。そのまま口に運ぶ。
「あいつ、昨日お前を襲ってきたようなのと、なんか関わりあっかも知れねえ」
突然の宣言に、頭が真っ白になる。
「え……それは……どういう……え……」
どういうことなのだろう。昨日襲ってきたのは二種類。木の葉の獣と、鉄骨の恐竜。どっちも見たことのないバケモノだった。人間とは思えないし、普通の動物とも思えない。第一、自然の生き物なら、なんで倒した後に体が消えるのだ。
「|ふぁいふふぁ《あいつは》、|ふぉひふぁふふと《もしかすると》、|ふぃんへんへははいふぁもひんへえ《人間ではないかも知れねえ》」
「……え?」
何となく意味が取れたが、脳みそが受け入れるのを拒否したのか、思わず訊き返してしまう。
「……あいつ、もう、人間ではないかも知れねえんだ。なんで、そんなことになったのか、よく分からねえが」
口の中のから揚げを飲み込んで、空凪は言い直した。
「……人間じゃないって」
確かに幽霊っぽいが、それは失礼ではなかろうか。一瞬そう思ったチカゲだが、空凪の目が一片の悪ふざけもない真剣なものだと気付き、思わずまじまじと彼を見つめた。
「お前を襲ったようなバケモノを、作り出せる生き物ってのがいるんだよ……まあ、生き物って表現が適当かははなはだ疑問だけどな」
空凪が、眉間にしわを寄せた。
「……バケモノを、作り出せる生き物?」
チカゲは軽く混乱した。
「えと、それと荻窪くんと、どういう関係が……」
「あるんだよ。おめえ、荻窪って、おかしいとは思わねえのか?」
真剣なまなざしで詰め寄られ、チカゲはどぎまぎした。
「確かに……なんか違和感……本人も雰囲気が変だけど、それ以上に周囲の反応がおかしいっていうか」
どう見ても人気者の要素皆無の正太郎がスター扱いされている。《《まるで自分の見ている正太郎の姿と、他の生徒たちの見ている正太郎の姿が、全くの別物であるかのようだ》》。
「周りは、あいつにまやかしを見せられてるんだ。はっきり言ってキモイ奴なのに、アイドル扱いされてたろ。みんな、俺やおめえが見てるみたいには、あいつの姿が目に映ってねえんだよ」
ど、ど、ど、と、重苦しい心臓の音がする。これは恐怖の音だ。
「……それって」
「他の連中にゃ、イイカンジに影のある、超絶イケメンに見えてるらしいな。女ばっかじゃねえ、男にも、教師連中にも、それどころか俺たち以外の人間全部に、そう見えてるんだよ。ついでに、無条件のカリスマ性ってやつも感じさせるんで、好意を持たねえでいるのは凄ぇ難しいって話だ。《《あいつは、そういう認識を歪めちまう術を使ってる》》」
「術……じゅつ? なにそれ、魔法みたいなものだってこと?」
あまりに突飛な話に、チカゲの目元が歪んだ。いくらなんでも、現実離れが過ぎるというものだ。あのお化けでさえおなかいっぱいなのに、魔法使いときたものだ。
「ま、分類すんなら、似たようなモンだ。あいつは、やべえモンに手を出したんだろう。それでああいう怪しげな力を使ってる。自分に関する認識を歪めたり、化け物を生み出して手下にしたり」
くいっと、空凪は水筒の茶を飲んだ。
「……あの、私を襲ってきた化け物……作り出したの、荻窪くんなの……?」
チカゲの周囲の空気が、土のように固まっていくかと思われた。