6-2 だってそんな日々

「ふふふ!! うらー!! 猫ぱーんち、にゃっ!!」

「身の程知らずめっ!! ウリ坊あたっくをくらえっ!!」

 

 ちょこちょこと突進してきた? 言葉を喋るウリ坊の小さな頭を、同じく言葉を喋る三毛猫の肉球付き前肢が、わしっ!! と止めた。

 ウリ坊がぷぎっ、と小さな鼻を鳴らす。

 

 間もなく夏になろうという田舎家の庭、生垣で囲われ更に周囲に雑木林が取り囲むその静かな庭では、あらぬ人物に目撃される心配はないだろうが。

 

 

「おい、おめーら。ちゃんと荷物はまとめたのか? もう明日出発だぞ?」

 庭に面した縁側、式台代わりの平たい石にサンダル履きの足を乗せて、冴は伽々羅と棘山に呼びかける。

 彼はいつもの、大柄な高校生の姿を取っている。

 無論、三毛猫が伽々羅。

 そして、希亜世羅に新しい体をもらった棘山がウリ坊だ。

 

「ふふふ。わたいらのことを心配している場合かにゃー?」

「そうですよ。東京で、あらゆる身内に彼女を紹介する心の準備は良いのですかな、純情硬派な主様?」

 しゅた、と三毛猫とウリ坊が、揃って振り返った。

 視線の先には、Tシャツとジーンズのラフな格好の冴。

 そして、その隣でほっそりした足をぷらぷらさせている、チュニックにキュロットスカートの希亜世羅がいた。こちらも、もちろん女神姿ではなく、ゆるふわ系女子高生姿だ。

 

「んー。私は冴くんのお仕事場見学とお手伝いの準備はいいよー。楽しみだね、退魔師のお仕事見学」

 うふふ、と希亜世羅は楽し気に笑う。

「悪いな、めんどくさいことになっちまってさ……」

 冴は、いささか決まり悪そうに呟いた。

「ううん。私は嬉しいよ。冴くんのお仕事の後を見て回れたり、冴くんのお身内の方に会えたりするの。怖がらせたかもなのは、心苦しいけど……」

 紅茶をすすりながら、希亜世羅はそんな風に答えた。

 元の創世の女神の力を取り戻しても、希亜世羅の態度は全く変わらなくて、冴は内心胸を撫でおろしていた。

 

 冴は、故郷の東京で退魔師の仕事を行っていた。

 しかし、仕事を本格化させた一年くらい前からは、あの悪質な骨蝕を伴うことが多かった。

 骨蝕の、あの悪辣さを考えた場合、一緒に仕事をした場所や人物に何らかの細工をしているかも知れない。

 その確認のため、冴は希亜世羅の助力を乞うて、故郷に一旦戻り、骨蝕を伴って行った仕事のチェックをしようと思っているのだが。

 希亜世羅に何か感知できるか尋ねたところ、確かに骨蝕が何か細工した霊気が感じられる、と告げられた。

 大部分は無視してもいいくらい微弱なものだが、しかし、あの凄惨な事件の後では慎重にもなる。

 まして、骨蝕は式神の常として、冴の実家に同居し、生活雑事の補助もしていた。

 万が一、冴の家族に何かされていたら。

 

 かくして、希亜世羅と冴の東京行きが決まった。

 同行者として、希亜世羅は伽々羅、そして冴は棘山を伴っていくことになっている。

 

 骨蝕の策略のせいで一旦は肉体を失って死亡した棘山だが、希亜世羅が本来の力を取り戻した時点で、新しい高性能な肉体を設えられて、あっさりと復活。

 戦闘力始め、各種神としての能力がバージョンアップしたばかりではなく、ささやかな補助機能も手に入れてご満悦だった。

 その補助機能の中に、変身の幅を広げる能力――具体的には、普通の猪ばかりか、可愛らしいウリ坊にも変身できる能力を手に入れ、事あるごとに変身しては楽しんでいた。冴が弟に、冗談でウリ坊棘山の写メを送ったら、可愛いもの好きな彼に悶絶され、もっとくれとねだられたため、棘山はすっかり気を良くしている。

 

「おめえなあ。ウリ坊バージョンを見せに帰るんじゃねーんだから……」

「え? 俺のウリ坊バージョンを披露しに行くんでしょ? 御父君も弟君も、この可愛さに悶絶間違いなしだ!!」

 ぷきゅっ、と鼻を鳴らしてウリ坊棘山が力説する。

「弟は確かにそうかもだが、親父は苦笑すると思うぞ……」

 

 それより問題は希亜世羅と俺だよ、と内心冴は呟く。

 最初は骨蝕の計略にまんまと乗せられて、「邪神退治に行く」と家族には説明していたのだ。可能なら、式神の列に加えると。

 それが逆に、自分が希亜世羅の神使になったのだ。

 電話で父にかいつまんで事情を話しただけで、卒倒せんばかりに驚かれた。

 すぐに帰ってきて事情を説明しろとせっつかれ、希亜世羅に相談したら、なら一緒に東京に行こう、冴くんのご家族に挨拶して害意のないことを分かってもらいたいし、冴くんの仕事場も見たい、とねだられた。

 

「うふふ、東京楽しみー。まだ二回くらいしか行ったことないなあ。あそこ、霊気の流れが独特だよねえ」

 希亜世羅が、皇居と寺社仏閣の配置と霊気流について興奮気味に語ると、冴はくくっと笑った。

「親父、喜ぶだろうなあ。こういう話できる若いやつって、俺や弟の他にはごくわずかだからな。案外、すぐ受け入れてもらえるかも知れねえ」

 家族に事情を説明するのに、最大のネックになるのが、あの骨蝕に家族丸ごと騙されていたという事実である。

 希亜世羅も、骨蝕のように自分たちを騙しているのではないかという疑惑を晴らすには、どうしたらいいだろう。

 それに加えて、神使形態の自分を受け入れてもらえるか。

 ましてや、異なる宇宙を旅した話など、何か幻覚を見せられていたのではと疑われそうな気もする。

 

「ね、冴くん。きっと大丈夫。お父さん、冴くんの選択を怒ったりしないと思うよ?」

 希亜世羅が冴の広い肩に、そっと小さな頭をもたせかけた。

「なんとなく分かるの。お父さんも弟さんも、びっくりはしているだろうけど、あんまり深い不信を抱いてはいないと思う。骨蝕が何となくおかしいなあって、お父さん薄々思ってらしたんじゃないかなあ。むしろこういう事件になって、さもありなん、て」

「……なるほど」

 冴は、昨日の父との電話でのやり取りを思い返し、確かにその推測と合致する部分を見出した。

 いや、これは推測ではなかろう。

 多分、究極女神たる希亜世羅には、少し先の未来や、何らかの形で多少なりとも縁がある人間の考えなど、さっくりお見通しであろう。

 何だかあまりに距離が近すぎて、愛しすぎて忘れているが。

 希亜世羅には、不可能なことの方が少ないのだ。

 冴はそっと、希亜世羅の滑らかな髪に手を滑らせる。

 彼女のイメージは、最初にあの教室でよろしく、と微笑んでくれた、あの「祝梯妙羽」という少女のまま。

 

 ふと。

 妙な視線を感じて、冴は庭の方に目をやった。

 

「ほりほり。そこでちゅーっとしなくてどうするにゃ」

「うちの主、今時珍しい純情硬派だからなあ。観察し甲斐あるけど、ぷぎゅっ」

 

 無責任なことを言いながら、無遠慮に観察してくる三毛猫とウリ坊。ご丁寧に、三毛猫は香箱ポーズ、ウリ坊は小さな蹄をちょこんと突き出すあざといポーズで、並んでそれぞれの主を観察していた。

 

「……お前ら……」

「主の観察も、神使の役目の一つにゃ」

「式神としてお仕え申し上げてるんですから、これくらいは役得として認めて下さいよー」

 それぞれ勝手なことを言う両名に、希亜世羅と冴は、顔を見合せて笑った。

 

 世界は変わる。

 新しい「日常」がやってくる。

 互いのこの目は今までの目ではない。

 見たことのない、新しい景色を見ることができるのだろう。

 

「ねえ」

 希亜世羅は、冴の耳元で微笑みながら囁いた。

「伽々羅たちのリクエストに答えてもいい?」

「案外ノリいいな、お前」

 冴はそう言って、愛しい女神に口付けた。