「はいはい!! ホラッ、羽毛布団干しますから!! もうそろそろしまわないと暑いでしょ!! 毛布も洗濯しますね!! 新しいの出しときますから、あの珈琲色のやつ!!」
黄緑色と白の縞柄のエプロンをつけた百合子が、ばたばたと上等の羽毛布団を抱えて、その屋敷の庭、広げられた布団干し用の物干し台に向かう。
広い庭のある、広い屋敷である。
多少庭木が野放図であるが、最低限の手入れはされているようだ。
低い木瓜の茂み、土塀傍のあじさいの茂み、つやつやした葉の椿は花が落ちてしまっているが、池の傍のカキツバタの花の紫色は鮮やかだ。
なだらかな裏山を背負った蔵造りの日本家屋は、日差しが降り注ぐ庭に、三人の人影を抱えている。
即ち、御園生百合子、翼を引っ込め人間に見える神巫天名、そして、この屋敷の主らしい、深石桃子姿の真砂。
「うんうん、やっぱり家のことしてくれる人がいると、片付くなあ。布団干したの、何か月ぶりだろうな」
人間の姿に変じた真砂が、庭の腰掛石の上で、本を読んでいる。
「ここ何年も読みたい本が積もるばっかりだし、仕事も忙しくてねえ……」
くいっと、眼鏡を差し上げる。
「ええ!? 一年とか干してないんじゃないでしょうね!? 駄目ですよ、病気になりますよ!! いくら人外だからって!!」
百合子が、日差しに温められ始めた羽毛布団を、布団叩きで軽快に叩く。
「安心しろ、人外は人間と違って、身体を多少手荒に扱ったところで、すぐさま病気になるというものではない」
天名が、藤棚の下で、その色彩の滝のような花房を見上げる。
木製のベンチで、同じく木製のテーブルに乗せた茶をすする。
「いや、だからといって、自分を手荒に扱っていいものじゃないでしょう!? 人外の人たちだからって、身体に悪いことは悪いことです!!」
百合子は、エプロンの腰に手を当てて、天名、そしてぐるりと、真砂を振り返る。
「とにかく!! 私がこのお家に来たからには、真砂さんには健康的な生活を送ってもらいますからねー!! 天名さんも、お家でどうしていらっしゃるんですかぁ!? かなり不安なんですけどぉ!?」
どうやら、百合子は、真砂の自宅で、住み込みの家政婦の類を務めることになったらしい。
電光石火の展開である。
まあ、非正規司書の薄給の、実に四倍近い給与を提示されては、百合子としても文句はない。
あの「傾空」のことも教えてもらわねばならない、鵜殿は取り逃がして、いつ復讐に来るかわからないのでは、実家を出るしかないのは理の当然である。
かくして、百合子は真砂に雇われた住み込み家政婦として、この刻窟市の山際にある広大な屋敷で、二人暮らしをすることになったのだ。
「おいおい。百合子は、天名がどんな奴か、説明しただろ? 彼女、これでも天狗のお姫様なんだぞ? しみったれた私や君と違って、身の回りのことなんか、御付きの天狗さんがやってくれるに決まってるだろ」
真砂がけらけら笑うと、天名はじろりと彼女に視線をやる。
「まあ、この屋敷を、天狗一族にとっても拠点に使わせてもらっているのは感謝しているが。手伝いを寄越そうという申し出は断ったのに、百合子は雇い入れたな。よほど気に入ったと見える。まあ、わからんでもない」
天名のその言葉を聞いて、まだ雇われて二、三日の百合子は、すでに人間に姿を変えた天狗が出入りしているのを目撃している。
それでもあまり違和感のない、屋敷の規模なのだ。
到底、まだ若い女性――人間の目にはそう見える――が一人暮らししているとは思えないほど。
富豪が一族を抱えているような規模なのだ。
時代が時代なら、平城のよう。
それを支える、真砂の収入源がいまいち謎なのが、いかにも人外らしいと言える。
しかも、その山ほどある部屋の幾つかが、本で埋まっている――しかも、マニア垂涎の稀少本が圧倒的に多い――とあっては、百合子にこの家での住み込みを断る理由はなかったのだ。
と。
インターホンの音が、暢気に鳴り響く。
「あ、お客さんだ」
百合子は、布団叩きを縁側に置くと、庭用サンダルを脱いで、廊下を早足に玄関に向かう。
「おや?」
百合子の背中を見送って、真砂が眉を跳ね上げる。
「この気配、奴か。相変わらず、情報の早い奴だな」
天名が顔を上げ、大儀そうに立ち上がって屋内へと向かう。
「ま、いずれ来るとは思っていたけどね」
変な詮索されないためにも、一応彼女にも面通しさせておく方がいいな。
真砂も、読んでいた本を抱えて、屋内へと向かったのだ。
◇ ◆ ◇
「はいはーい」
百合子は、豪壮な屋敷の玄関に出て、上品な引き戸を開く。
そこにいたのは、見慣れない男性が二人。
つやつやした黒髪を長めに整えた、ちょっとぎくりとするくらいに、変に色っぽい男性。
いかにも高級そうなスーツ姿だ。
そして、パーカーとスニーカーを無造作に着込んだ、年上の男性とは明らかにそぐわないいでたちの、百合子とそう変わらないくらいの若者。
「どうも。冴祥(さえさか)と申しますが、真砂さんはご在宅でしょうか? こちらは連れの暁烏(あけがらす)と申しますが」
その耳を撫でる、深い響きの甘い声に、百合子は幻惑されそうなふわふわした気持ちになりながらも、はっと気を引き締める。
「深石桃子」ではなく、「真砂」と彼女を呼ぶからには、この人は人外としての真砂を知っている人物、つまり、この二人も、人外である可能性が高い。
「あ、はい、真砂はおります。あの、冴祥さんと暁烏さんは、真砂とどういう」
「あ!! 君さあ、傾空と波長が合ったっていう子でしょ!? いいねえいいねえ、手合わせしたいねえ」
百合子は、いきなり陽気な声で放たれた、その暁烏という若い男性の言葉に、いささかぎょっとする。
ずいぶん好戦的だ。
しかも、表情に陰りがない。
物語や伝承に登場する、戦いを本能とする種族のような。
「ああ、怪しい者ではありません。私は、ごく《普通の》商人ですよ」
聞きほれてしまうような、深く快い響きの、冴祥の声は、ただそれだけではなく、まるで眠りに誘うような、幻惑の響きを帯びている。
現実感が遠くなる。
あ、危ない、と百合子が思った時には遅い。
自分を包む世界が甘くかぐわしい花のように思え、それに包まれて、百合子の意識は、空の遠くに昇っていく。
◇ ◆ ◇
「冴祥くんさあ。早速、うちの家政婦を幻惑しないでくれるかな?」
真砂の声で、百合子の意識は戻る。
はっとする。
そこは、朝方掃除した覚えのある、この屋敷の客間の一つ。
百合子は、高級そうな彫刻の施された座卓の前に、ぼうっと立っている自分に気付く。
座卓には、冴祥と暁烏が着き。
反対側に、呆れ顔の、真砂と天名が腕組みしていたのだ。