6 友情とごまかし

「大丈夫? 少しあったまった方がいいよ」

 

 やや寂れた、どこか事務所の客間めいた部屋。

 赤さび色のソファに沈み込んだ小柳友麻の前に、小野寺雅がホットミルクを持ってくる。

 生成り色のマグカップからは湯気が立つ。

 

「うん……ありがと」

 

 友麻は雅が置いたマグカップを手に取り、口に運ぶ。

 少し前まで真っ蒼だった顔に、どうにか赤みが差している。

 

 どういう目的の部屋かわからない、恐らくどこか小さな事務所であろうという部屋だ。

 応接間を思わせるのはソファセットが鎮座してあるからだが、隣にごついスチール机が陣取っており、狭苦しい印象。

 窓にはまだブラインドが下りていないが、外には街の灯。

 そして都会のすすけた夜空。

 色とりどりの灯火は暖かく思えるが、少なくとも友麻にはそれを味わう余裕はない。

 

「……うん。ちょっと変わった子だと思ってたけど。あの子。璃南」

 

 雅が小さく溜息をつく。

 友麻と反対側のソファに、そっと腰を下ろす。

 

「そんなはっきりしたの幻覚とは思えないし、やっぱりあの子、人間じゃなかったんだなあって」

 

 友麻は不思議そうに顔を上げる。

 

「やっぱりって、何か前もってあった訳?」

 

 雅はためらいがちにうなずく。

 

「こういうことに詳しい人がいるんだけど。その人が教えてくれたの。あなたのお友達の村雲璃南さんは、どうも普通の人と違う、”人外”の疑いがある、って」

 

「人外……」

 

 友麻は目をゆっくり瞬かせる。

 数時間前までなら笑えただろう言葉。

 

「なんていうのかな。お化けっていうか妖怪っていうか。人間と同じ知的生命体の一種だけど、人間社会を脅かしかねないくらいの力を持った生き物っていうのがいるの」

 

 言葉を選びながら、雅は友麻に告げる。

 友麻はごくりと生唾。

 

「……それが、璃南ちゃん……?」

 

「彼女だけじゃないけど。彼女のご家族も当然そういう血筋なんだって。つうか、沢山いるんだって、人外って。人間に紛れてるの。……司祭様がそう言ってた」

 

 雅の言葉に、友麻は身震いする。

 一見魅力的な新しい友人のその皮の下にはあんな……

 

「璃南ちゃん……仕返しに来るかな? 私のことを殺しにくる?」

 

 友麻はくしゃりと顔を歪める。

 風変わりな友人の薄皮一枚の下は怪物だった。

 怪物なら、私を殺す可能性があるだろう。

 

「大丈夫、そうならないように司祭様が考えてくれて……」

 

 雅が息せき切るように言い募った、その時。

 いきなり空気を震わせるメッセージアプリの着信音が響き渡る。

 友麻は思わず隣に置いていたバッグをまさぐる。

 自分の設定した着信音だ。

 

「……!!」

 

 表示された名前を見て、友麻は固まる。

 

「……璃南ちゃんから……」

 

「……不審がらせないように。とにかく出て。適当にあしらって、向こうがどういう状況か訊き出さないと」

 

 雅とは思えないような強い言葉でせっつかれ、友麻はおろおろとうなずき、電話を受信設定する。

 

『友麻ちゃん?』

 

 電話の向こうからは、聞き慣れた、耳に心地よい女の声が流れ来る。

 いつもなら落ち着ける声なのだろうが、今の友麻には戦慄をもたらすバンシーの悲鳴。

 

『今、どこ? わたし、璃南だけど。死んでないよ』

 

 ああ、彼女らしい奇妙な言い草。

 落ち着いてしまいそうになる自分の心を、こいつは怪物だぞという理性の声がけっとばす。

 

【今、どこにいるか訊き出して】

 

 雅は手元にあった大きめのメモ帳に、そう書き付けて見せて来る。

 友麻はうなずくしかない。

 

「私は……自分の部屋。璃南ちゃんはどこ?」

 

 声がやや震えているが、この場合、相手も奇妙に思わないだろうと友麻は踏む。

 というより、相手が全然動揺していないことが不可解だ。

 正体を見られたのに。

 人外はこういうものなのだろうか?

 

『私はあの後、調べものがあって。あの姿のまま、外にいる。ちょっと話があるんだ、友麻ちゃん』

 

 璃南のやや緊迫したようにも思えるセリフに、友麻はぎくりとする。

 何を調べたというのか。

 音声をスピーカーに変えた友麻は、雅と目配せする。

 

「話って……何?」

 

 どぎまぎしながら、友麻はさりげなく話を訊き出す体勢となる。

 

『友麻ちゃん。「贄(にえ)の教団」って知ってる? ただ単に教団、ともいうけど』

 

 友麻の心臓がばくばくと存在を主張しだす。

 この人は知っている。

 

【知らんぷりして】

 

「いや……わかんないけど、それ、なに?」

 

 友麻は努めて平静に受け答える。

 

 電話の向こうで、静かな声。

 

『「贄の教団」っていうのは、その名前の通り、分類するならカルト教団。もっとも、カルトっていうと外聞が悪いのと一般人からは忌避されるのとで、今の活動は色んな普通の団体の皮を被ってる』

 

「へえ。怖いっぽいね。それ、何かした訳?」

 

『被ってる皮は色々。政治団体から始まって、どこぞのカルチャー教室やSNSのグループ、果ては……大学のサークルなんてよくあるところ』

 

 璃南は、意味深に言葉を切る。

 沈黙。

 

「……へえ。でも、私はみたことないけど、それ、うちの学校にもあるの?」

 

 振り返っても、いつの間にか雅が消えており、友麻は動転しつつも、とにかく向こうの情報を引き出すことを考える。

 

『「贄の教団」の正体は、邪神を崇めているカルト以外の何者でもない。しかもまずいことにその邪神ってやつはこの現実世界に影響を及ぼせる。そいつの力の源は、名前の通り、「贄」。生贄だよ。そいつは、信者が自分に生贄を捧げるほど強くなっていき、現世にも深く介入できるようになる』

 

 だから、と璃南は言葉を継ぐ。

 

『私が生贄に選ばれた訳だ。そうでしょ? で、友麻ちゃん。あなたは、生贄の方? それとも信者の方?』

 

 ガチャ、という音がやけに大きく響く。

 

 友麻は弾かれたように立ち上がり、部屋の出入口のドアノブにとりつく。

 耳にスマホを当てたまま。

 

「……璃南ちゃん」

 

 泣きそうな声。

 

『友麻ちゃん? 生贄だったことに気付いたみたいな声だね?』

 

 璃南の声音はどこまでも平静。

 

「……そうだったみたい。私は生贄だったんだ。閉じ込められちゃった」

 

 へたりこんだ友麻の見上げる夜景は、どこまでも穏やかで美しく、真珠の柔らかさで輝いている。