9 正体

「……これ、結局何だったんですか? 中に何が入っているの……?」

 

 落ち葉と下生えに覆われた、山の斜面の一角、開けた場所にそっと置かれたそのダンボール箱を、光彩は気味が悪そうに見やる。

 ミカン箱ほどの無地の段ボール箱。

 開け口は、布製のしっかりしたガムテープで封がしてある。

 

 昼前。

 あの葬儀をどうにか終えて、さっさとホテルの部屋に戻った光彩が、薄手のカーディガンとカットソー、キュロットスカートに黒のストッキング、スニーカーに着替えた途端に、玻琉と央に、山の中に連れていかれたのだ。

 央は、段ボール箱を抱えていたのである。

 

「俺は鉱物質のもののあるところになら、どこにでも移動できる。コンクリートも鉱物。砂が原料だからねー。で、あの錯乱してる一果って子の目を盗んで、この『遺品』をかっぱらったって訳だよ」

 

 柄シャツを羽織ったTシャツジーンズブーツで、あっさり種明かしする央に、光彩は呆れるやら感心するやらだったが、しかし、肝心なのは、その「遺品」そのもの。

 

「あの、一果という人物が、葬儀場で喚いていた内容を覚えていますか? 宗助さんが、光彩さんへの思いのたけを書き記した日記やら手紙やらだと。彼女は、城戸にそう言い含められて、この荷物を押し付けられたのですね」

 

 スーツ姿の玻琉は淡々と、そのミカン箱ほどの大きさの段ボールを見据える。

 真上に近い角度から差し込む日差しは、枝葉の影を含んでもくっきりしている。

 が、何かその段ボールが動いたように見えたのは、気のせいだろうか?

 玻琉は更に続ける。

 

「しかし、この段ボールに入っているものは、そんな人間並みの不気味なものではない。もっと直接的な意味で始末に負えないものだ。持てばわかりますが、この中にあるのは、紙の束なんかじゃありませんよ。重さだけなら、現時点ではぎっちりの紙束よりも軽い」

 

 光彩は怪訝そうに玻琉を振り返る。

 酷くひっかかる言い草である。

 どういう意味だろう?

 

「あの、それ……」

 

 言いかけて、光彩はぎくりとする。

 がたり、と音がしたのだ。

 あの段ボール箱が、誰も手を触れていないのに動いたのである。

 中に、何か生き物でも入っているように。

 

「……あなたに受け取らせたいものがあるという話になった時点から、何となく悪い予感はしていました。今は断言できますが、中身は間違いなく、モノの卵だ」

 

 玻琉が鋭い視線を段ボールに向けている。

 光彩は意味が取れない。

 

「モノの卵……って」

 

「塩野谷さんを最初に付け回していたような生き物の卵ですよ。技術があれば、モノは人工的に作ることができ、卵の形で、どこかに仕込んで、特定のタイミングで孵化するように調整することも可能だ」

 

 がたん。

 がたがたがた。

 

 段ボール箱が、押し込められた何かが暴れてでもいるかのように転げ回る。

 いや、「いるかのように」ではなかろう。

 明らかに生き物が箱の中にいる。

 

「塩野谷さん」

 

 玻琉が、静かに、だが強い声で言い渡す。

 

「そこの、岩の陰に隠れていてください。私がいいと言うまで出てこないように」

 

 光彩は言われるまでもなく、恐怖に追い立てられるように、人間より少し大きいくらいの茶色い岩の陰に飛び込む。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「さあて、キタねえー」

 

 央が、ニヤニヤ不敵な笑いを浮かべる。

 下生えを踏みしめて、転げ回る段ボール箱を眺め、今しも攻撃に移れそうな態勢。

 

「かなり念入りに作ったようだな。邪気がとんでもない」

 

 玻琉が言うなり、一瞬でその体が裏返るように変化する。

 そこにいたのは、あの半ば機械にも似た幻獣。

「常世ヌエ」の、あの姿の玻琉である。

 サソリのように、彼は弾丸を射出する長い尾を振り立てる。

 

 段ボール箱が、ついに破れる。

 

 どこに、そんなものが入っていたのか。

 姿を現したのは、巨大な軟体動物にも似た「モノ」である。

 長くて太い、人間の胴体よりも巨大な全身は、おおよそ芋虫のような形である。

 ぬるりとした藍色とピンクと黄色の波模様、ところどころに銀色に輝く斑点がけばけばしい。

 全身から、炎にも似たうねくる触手がびっしりと生え、それはまるでゴムのように自在に伸びている。

 先端に、目まぐるしく姿を変える、鈎爪なのか針なのか、尖った器官が付属している。

 もたげている部分が頭部なのだろうが、顔らしきものは一切見当たらない。

 びっしりと触手が生えているだけ。

 

「さて、攻撃力は高そうだぞ……っと」

 

 央が口にするなり、そのモノの周囲を取り囲むように、人間より大きな白っぽい岩が、地面からそそり立ったのだ。

 白い水しぶきを表現しているかのように、すがすがしい色合いの美しい岩が、その毒々しいモノの気配を中和するかのよう。

 

 同時に、玻琉が、その岩の一つの背後に隠れるように、前足を掛けて飛翔する。

 空中で、尻尾の機関砲から、輝く弾丸を無数に降らせる。

 弾丸は、凄まじい勢いで、触手を削り落とし、モノの巨大な胴体を穿っていく。

 

 と。

 

 モノが、消える。

 

 いや、まるで命を失ったかのように、地面に極彩色の水たまりとなって広がったのだ。

 

「え、やった!? これで終わり!?」

 

 央が、岩の一つから顔を出す。

 

「まだだ、油断するな!!」

 

 幻獣の顔から、玻琉の声が響く。

 

 同時に、極彩色の水たまりが、いきなり命を取り戻したかのように、ぐいっと伸び上がる。

 再び起き上がったそれは、今までのように、一部の隙もなく生えた触手を取り戻している。

 

「あっ、再生すんのか!!」

 

 央が叫ぶ。

 

「何かしらの有機物を取り込めば再生できるのだろうな。奴の足元を見ろ」

 

 玻琉が指摘する。

 ふとその視線を追った央は、モノの真下、地面が大きくえぐれているのに気付く。

 山の土、生き物の死骸も含んだ腐葉土をごっそり取り込み、モノは再生したのだ。

 

 モノが、ざわめく。

 

 触手をざわめかせ、まるで人の声のような音を出す。

 触手の先端が管状に尖る。

 それが何十何百と、空中の玻琉を向く。

 

 轟音。

 

 まるで先ほどの意趣返しのように、モノの触手の先端から、輝くビームのようなものが無数に射出され、玻琉の肉体ごと、山の稜線の上に広がる空を貫く。

 街からその山を見上げた者があれば、まるでまとめて極太の光線のように見えるそれが、山肌から空へ一直線に昇るのが見えただろう。

 

「先輩!?」

 

 央の声が悲痛に響く。

 今までいたところに、玻琉の姿はない。

 光と共に消えたのだ。

 

「先輩!! 先輩!! ちょ……っと」

 

 モノが央が隠れている岩の方に、ぐるりと振り向く。

 まるでなめくじが方向転換するかのように、長い胴体をうねらせて、央に突進してくるのだ。

 

「ナメんなよ!!」

 

 央が叫ぶや否や、そのモノの体が、白っぽく固まる。

 いや、ものの例えではない。

 まるで、軟体組織がにわかに骨細胞にでも変換されたかのように、先端から、乾いた白い組織が、凶暴な軟体を浸蝕する。

 それは、さながら伝説のメデューサの視線のように。

 数瞬ののち、モノは、ほぼ白い骨を組み合わせた彫刻のような何かに変化し、そこにうずくまっているだけとなる。

 

「央!!」

 

 声は、太陽の輝く真上から聞こえたのだ。

 

 玻琉のあの凶暴にして美しい幻獣の姿が、舞い降りてくる。

 彼の尻尾の機関砲が火を噴く。

 乾いた脆い骨へと変化していたモノは、焼き菓子か何かであったように、一瞬で粉々に崩れ去る。

 地面に白い破片が山になる。

 

「央!! 空間を塞げ!!」

 

「はいー」

 

 軽い返事より先に、骨片の上に、輝く小型の太陽のような球体が出現する。

 何か薄青いガラスにも似た障壁が、等間隔に並べられた岩に沿って発生する。

 モノの残骸と、小型の太陽が、そのドーム状の空間に取り残される。

 

 激しい輝き。

 爆発にも似るが、音は低かったのだ。

 

「おおう、きれいさっぱり」

 

 央が評したように。

 そこには、クレーター上の溶けた穴の他には、何もなかったのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 何が、起こっているのだろう?

 

 光彩は、激しい閃光が飛び交う、岩の向こうの光景を、覗き見る勇気がない。

 

 あれは何なんだろう?

 村雲さんと石飛さんは「モノの卵」と言っていた。

 何かが孵り、二人に襲い掛かったのだ。

 

 あれは、私に押し付けられる予定だったもの。

 何も知らずに一果さんから受け取っていたら、自分はあれに食われていたのか。

 一体どこに収まっていたのか、物音や気配、差し込む影からすると、かなり巨大なものとしか思えない。

 自分は本当に命拾いしたのだ。

 

 大きく息を吐いた光彩の肩に、何かが触れる。

 

 人の指?

 

「鍵体質さん、鍵体質さん、びっくりですねえ」

 

 聞き覚えのある声に振り向く。

 

 そこにいたのは、あの不自然な笑みを張り付けた、中江宗助の主治医。

 砂原である。

 

「ようやく捕まえましたよぉ、鍵体質さん。私が目を付けたのに、何で勝手によその人なんか呼ぶンデスカァ?」

 

 声は、途中から人間のものではなくなる。

 はりつけたような肉厚の笑顔が、いきなり縦に割れる。

 あの喪服のままの砂原の全身が、別の生き物に侵蝕されたかのように、巨大な牙の生えた「口そのもの」に変化していく。

 光彩は咄嗟に悟る。

 黒幕は、こいつだったのだ。

 

「鍵体質カギ体質カギタイシツカギタイシツゥ」

 

 巨大な口と化した砂原が覆いかぶさろうとした時。

 光彩の中の、どこか遠い場所から、鈴の音が響いた気がする。

 

 光彩の前の空間に、輝く光の幕が展開する。

 そこから、まるで雲のような色合いの、狼にも似た巨大な生き物が数匹、砂原に殺到する。

 砂原は牙の波以前に、狼たちがまとった神聖な輝きに弾き飛ばされるように、光彩から引き離される。

 連れていかれた先は。

 

 ぞっとする音が、耳に触れる。

 

 光彩は、はっと顔を上げる。

 

 あの化け物の砂原の体を、巨大な爪が貫いていたのだ。

 あでやかな幻獣、あの禍々しいまでに美しい玻琉が、突き出した前肢の剣のような爪で、砂原にとどめを刺している。

 

「村雲、さん……」

 

「失礼。鍵体質には完全に目覚められたみたいですね」

 

 光彩は、どういう意味かは判断できなかったが、もう安全なのだということは、はっきりと理解したのだった。