27 領主の城へ

「常世の国の使いの方々よ、よくおいで下さった。私は、この地の領主で、アーヴィングと申す」

 

 エメラルドで飾られ、精緻な彫刻の施された玉座に座った大柄な妖精が、優雅に挨拶する。

 長い金髪で、先端だけが黒くきらめくように染まった、ほれぼれするような美丈夫である。

 一夜明け、百合子たち一行は、領主の城へと招かれたのだ。

 夜空のような碧と白の石で作られた城は、ケルト風の彫刻をそこここに施された珍しい造りで、妖精郷の穏やかな空に浮かび上がっている。

 細工を施された謁見の間の窓から差し込む日の光で、妖精領主の、黒ダイヤモンドでできたような翅が虹色の幻を見せる。

 彼の隣に、ヤグルマギクのような碧の翅を持つ妃が、安堵を隠せない様子で、グレイディを見守っている。

 

「グレイディ。無事で安心しました。もう駄目だろうと、捜索も打ち切られていたのですよ」

 

 公妃は久しぶりに見る義理の甥の姿に安堵と共に、疑問も隠せないようだ。

 

「一体、あなたに何があって、遠い国の方々と一緒に帰って来たのですか?」

 

 グレイディは、明らかに親戚である領主夫妻の元で落ち着いた様子を見せている。

 逆に落ち着かない様子のアンディに、大丈夫だから、と耳打ちする余裕まである。

 

「……アーヴィング様……マリアム様……ご心配をおかけしました……。実は、俺の乗っていた船は、慈濫という妖術使いに襲われて、俺だけが生き残ったのです……。その時に、須弥山世界に飛ばされて、そのままそこに滞在して、慈濫を探していました……」

 

 グレイディは、おおよその事情を、領主夫妻に説明する。

 須弥山世界の勝身州南部の風放の湊の顔役、夜叉女のソーリヤスタに拾われて、そこで働きながら仇の行方を探っていたこと。

 アンディは何かと協力してくれた、戦友であり相棒だということ。

 慈濫はどうも、伝説の邪神が変じた「神封じの石」を使っていたらしいということ。

 その「神封じの石」の行方を捜して、常世の国の使いであるナギと協力関係を結んだ天名たち一行が、勝身州までやってきて、共に慈濫を倒してくれたということ。

 この妖精郷の中に、慈濫の共犯となっていた裏切者がいるらしいということ。

「神封じの石」自体は見つかっておらず、恐らく慈濫の共犯者が保管している可能性が高いこと。

 

「『神封じの石』……話には聞いたことがあるが、そんなものを実際に使おうとする者がいるとは……すると、この度のキノコ獣の騒動は、『神封じの石』を使った魔術だということか」

 

 アーヴィングが、鋭く息を吐く。

 グレイディは、真砂たちを振り返って示す。

 

「……真砂とナギは、『神封じの石』の気配を感知できるのです……確かに、あのキノコ獣から、『神封じの石』の気配がしたと……『神封じの石』を使った神器を媒体に、邪悪な魔術を行使しているとすれば、今回のことに辻褄が合う……」

 

 公妃マリアムが思わず身を乗り出す。

 

「しかし、誰が何のためにそんなことをしているのですか? それについては何かわかっているのですか?」

 

 と、天名が一礼して前に進み出る。

 

「常世の国の主宰者、伊邪那美命の曾孫に当たる、天名と申す。それについては、どうも、匂うことがある。そもそも、『神封じの石』を盗みだした疑惑のある男が、倒される直前まで続けていた行動だ」

 

 アーヴィングの目が底光る。

 

「そいつは、何をしていたのだ?」

 

「奴は、人間として生を受けたのだが、生まれつき病んだ心を持つ殺人鬼だった。『神封じの石』を使ってかなり昔に作られた疑惑のある神器に取り憑かれて、人間ではなくなったという経緯のある男だ。倒される直前まで、人間を持っていた神器で襲っていた」

 

 領主夫妻どころか、広間に集められていた、妖精の重臣たちの間から驚愕のざわめきが湧き上がる。

 百合子も、横にいた冴祥と顔を見合わせる。

 その腕の中のナギが緊張で羽毛を逆立てている。

 

「いや、しかし……妖精郷には人間は、ごく限られた例外以外は」

 

 アーヴィングは納得いかないようだ。

 天名は説明を続ける。

 

「妖精郷を凶暴なキノコで覆って、何をしているのかと思っていた。どうも、妖精の方々を、この安住の地であるティル・ナ・ノーグから追い出そうとしているかのように見えるのだ。領主として、あなたはそのように感じたことはないか?」

 

 アーヴィングは、衝撃で一瞬言葉を失う。

 重臣たちのざわめきが大きくなる。

 ようやく、アーヴィングが言葉を取り戻す。

 

「しかし、妖精を妖精郷から追い出してどうしようというのか。大昔のように人間界に戻る訳にもいかぬ」

 

「いや、人間界に戻そうとしているのだろう。妖精も人間も、昔と違う、人口も生活様式も……考え方も戦い方も全く違ってしまった今になって、両者を強引に交わらせようとしているとすれば、奴らの行動の筋道が通る」

 

 アーヴィングは目を見開き、マリアムは気絶しかねない表情で玉座にすがり、廷臣たちは悲鳴じみた叫びを上げる。

 

 それは天名の同行者たちにしても、同じようなものだ。

 百合子は思わず真砂を見上げたが、彼女はぎゅっと唇を噛んでいる。

 ナギが哭き、暁烏はうろうろした視線が百合子とぶつかってますます困惑。

 冴祥は腕の中のナギを撫でながらも、鋭い目で何かを思い出しているよう。

 グレイディとアンディの顔は真っ青で、アンディがグレイディの袖を掴む。

 

「そんなことを……そんなことをすれば地獄どころでは」

 

「その通り、奴らの目的は、地上の地獄化だろう。どんなに温和に移住できるよう努力しても、何せ人間も妖精も数が多すぎ、今や違い過ぎる。人間同士の移民でさえ、上手くいかないことが多いのに、異種族が過密にせめぎあったら、殺し合いが発生するしかない」

 

 最初は魔法を心得た妖精が優勢かも知れないが、人間はすぐ対抗手段を思い出すだろう。

 人外がみんな妖精種族な訳でもないしな。

 人間に倍する妖精が殺され、地上は事実上戦争のような状態になる。

 

「何せ、お互いが今や経験したこともないくらいの異種族同士。殺し合いに躊躇はないだろう。人間界のどこかに、『神封じの石』を隠してあるとするなら、それにたっぷり血を吸わせれば。邪神は喜ぶだろう、封印を破って目覚めてくるくらいにはな」