9 クグツの街

「そらそら!! 踊りなっ!!」

 手にした銃型霊性事物をフルバースト仕様にし、一気にエネルギー弾をばらまくと、蔓と葉っぱでできた獣の群れがあっさり爆散した。土煙と粉みじんになった植物の破片が飛び散る。

 

「散れ」

 胸に下げたコンパスに手を当ててスチームパンク魔人となった空凪が命じると、鉄骨で形成された恐竜数体が、まるで巨人の手に潰されたかのようにぐしゃりとひしゃげ、圧潰した。

 

「さて、あんたはこっち。私が相手だよ」

 蒼い魔人に姿を変えたチカゲが相対しているのは、建設重機とダンプカー、乗用車を組み合わせたかのような、鋼の巨人だった。何なら、子供向けヒーロー番組にありそうな合体式巨大ロボットの少々小さめ、と言って良いかも知れない。

 それでも、高速道路の片側三車線分を占有して、チカゲたちの前に立ちはだかっている。包囲してくれた葉っぱの獣と鉄骨恐竜を排除しても、こいつはなまなかではない。

 

 車巨人が、頭に当たる部分にあるショベルカーのショベルを出鱈目に見える動きで振り回した。

 

「くっ!!」

 空凪は、一瞬空間を薙ぎ払った見えざる巨腕を、自分の霊性事物で力の方向性を逸らして避けた。

 百合子は背後にとんぼを切ってとんでもない距離を跳んで避け、着地と同時に霊性事物の弾丸を放った。車巨人の胴を構成していたダンプカーの荷台が大きくひしゃげる。そもそも、普通のやり方では傷もつかないほど頑丈になっていた鉄の塊だというのに。

 チカゲはといえば、相も変わらず涼しい顔をしている。確実に見えざる腕の薙ぎ払いに巻き込まれたというのに、避けるでもなく無効化したようだ。そういえば、周囲のアスファルトは陥没してガタガタだというのに、チカゲの周りだけ損傷が少なく見える。

 

 奇怪な音と共に、車巨人は乗用車で構成されたその腕を振るった。

 周囲の空間から、渦状の炎の塊が飛び出して、周り中を薙ぎ払いながら共鳴者三人に押し寄せた。

 

 炎の方向を変え、放った車巨人に跳ね返して避ける空凪。

 特大エネルギー弾を放ち、衝撃波で炎を散らす百合子。

 そしてチカゲは――そこにいなかった。

 

 一瞬で車巨人の足元に移動したチカゲは、動きがかすむくらいの速度で石刀を振るった。

 無数の輝線に沿って炎が散らされ、周囲のアスファルトや分離帯を焦がす。どろりとアスファルトが溶けた。

 

 同時に、車巨人のいい加減ぐにゃぐにゃに歪んだ巨躯に、蒼い輝線が無数に奔る。

 刹那。

 無数の鉄の塊となって、切り刻まれた車巨人が分解する。

 人間の胴体ぐらいもあるあれこれの部品がばらばらと雨のように降った。

 炎でとろけたアスファルトに鉄塊がめりこみ、すぐにウィンナーコーヒーの泡に沈んだチョコレートのように傾き、消えて行く。

 そこには、もう、車巨人の影もなかった。

 

 

「ああいうの、クグツって言うんだね」

 チカゲが、人気のない道で呟いた。

 いつもは宅急便の車や社用車、そして通行人も切れ目のないにぎやかな東京郊外の街には、まるで人間が逃げ出したかのように人影がない。

 

 いや。

 人間の気配はする。

 

 あちこちの窓から、閉め切った扉の奥から、誰かが息をひそめている気配。

 人間はいるが、建造物――主に自宅や、安全な宿泊施設――に閉じこもっている。

 理由は簡単、先ほどのような化け物が街をうろつきだしたからだ。

 

 最初は、誰もが何が起こっているのか分からなかった。

 だが、外に出ていた人間が次々と「マガツヒ」が生み出している化け物に殺されていくのを見て、皆が震えあがり、自宅や安全だと思われる屋内に閉じこもった。

 正体不明の敵の大量襲来に、日本国政府は震えあがり、東京郊外のこの街は、自衛隊によりただちに封鎖された。

 

 彼らには、敵の正体が分からない。

 対抗する手段もごく限られる。普通の重火器がほとんど通用しないのだ。

 それでも、もっと無力な一般人のため、自衛隊は出動し、街は事実上戒厳令が敷かれたようになった。

 

 逃げることも、入ることもできなくなったこの街で、共鳴者の三人は戦っていた。

 

「『クグツ』っていうのは、『マガツヒ』が生み出した下僕《げぼく》だ」

 何度目か分からない、化け物――「クグツ」との戦闘を終えた後、空凪はチカゲに説明した。

 恐怖の張りつめた住宅街、いつもなら穏やかな空気が広がっている古びた住宅が立ち並ぶ一角だ。広めの庭から張り出した枝が、道路にまだらの影を作る。

 気候は気持ち良い時分なのに、人間と見るや襲う「クグツ」襲来のせいで、さわやかな空気に白々とした恐怖が混じり、何とも不安な雰囲気が醸し出されていた。ある種のホラーゲームに似ているが、恐怖の源に襲われて死ぬのはキャラクターではなく現実の人間だ。

「『クグツ』っていうのは、古い言葉で『操り人形』って意味だ。文字通り、『マガツヒ』の魔力によってかりそめの生命を吹き込まれて操られている人形なのさ。普通はその辺にある植物とか建材とか、そんな日常的なものを生き物の形に組み上げて作られる」

 いつものひんやり落ち着いた表情を崩さぬまま、空凪はそう説明した。魔人の姿のせいか、どこか禍々しい雰囲気も漂っているが。晩春の日差しに、首から下げた霊性事物であるコンパスが、鈍く輝いていた。

「……だから、木の葉っぱだったり、鉄骨だったりするんだ……」

 チカゲは感心したように銀色の目を瞬かせた。蒼い和装で蒼い巨大な石刀を担ぐチカゲは、神の使いめいた神秘性をたたえている。

 

「ただね、『マガツヒ』に生命を吹き込まれた時点で、普通の材質ではなくなっているのが厄介なのよね。ただの葉っぱが鉄みたいになるし、鉄骨なんかの金属は、非常識な強度を持つようになるの」

 百合子が悩まし気に説明の後を受けた。まるで人気アドベンチャーゲームの主人公のような彼女の華奢な腕の中に、巨大なハンドキャノンが異世界感を醸し出す。

「そういうことだ。普通の人間が使う武器なんかは、なかなか通用しなくなる。俺たちみたいな『共鳴者』が、『霊性事物』で対処しなくちゃならなくなるんだ」

 空凪が更に説明を補足した。

 

「……一体、こいつらどのくらいいいるんだろ」

 チカゲは、またもや襲い掛かってきたクグツ、葉っぱの獣をあっさり蹴散らしながら、そうぼやいた。

 もう、大分戦っている気がするが、まだクグツはうろついているようだ。

「お前のせいではないが、あの時とどめを刺しそこなったのはまずかったかも知れない。荻窪は、傷を癒す時間を稼ぐのと自分の隠れ家を隠蔽するために、滅多やたらに『クグツ』を作りまくって、街に放った」

 ふう、と空凪が溜息を落とす。

「あの荻窪って子と融合したマガツヒが、これだけクグツを作り出すのを得意とするタイプだってのは、予想外だったわ」

 百合子がふっくらした唇を噛む。

「そうと分かってたら、私たちとしても対処が違っていたかも……チカゲちゃんのせいじゃなくて、これは私たちの見込み違いが大きいわ」

 慰めではなく、自分をも切り裂くような冷徹な分析を述べる声で、百合子が呟いた。

 

「……見込み違いは、多分あっちも同じだ。あいつは、宇津の力を見誤っていた。まあ、俺らもだが」

 

 その空凪の言葉に、チカゲはきょとんとする。

「え?」

「お前、気付いてないのか? 共鳴者としてそれなりの戦歴を持ってる俺らより、昨日今日共鳴者になったばかりのお前の方が強い」

 指摘され、チカゲの心臓が跳ね上がる。

「え……そんなこと」

「あるわよ。明らかに、共鳴者としての器は、私たちよりあなたの方が大きいの。あなたに才能があったせいもあるけど、その霊性事物は並のものではなかったってことでしょう。勿論、使いこなせるあなたの技量を含めた話でね」

 

 ふと、空凪、百合子が立ち止まる。

 

「お前の霊性事物って、もしかしたら『世界霊魂』と繋がってる訳ではないのかもしれねえな」

 唐突な空凪の指摘に、チカゲは固まった。思わず、ふところの中の「お守りの石」を押さえる。

「ええ。私たちも初めて見る――『宇宙霊魂』と共鳴できる霊性事物なのかも知れないわ」

 真顔でそんな言葉を繰り出す百合子に、チカゲは目を白黒させた。

「宇宙霊魂……」

「滅多にお目にかかれない霊性事物だけど、存在することは知っていたわ。我らの住んでる世界を飛び越えて、宇宙と共鳴する特別な霊性事物。世界中でも、数えるくらいしか確認されていないはずよ。そして、その引き出せる力は『世界霊魂』と共鳴する一般的な霊性事物とは比べ物にならないって言われてる」

 不意に、百合子は、手をチカゲの肩に置いた。

「あなたが、私たちの希望なの。あなたの力なしでは多分、荻窪って子に有効打を与えられない」

 

 どくどくと、大きな音を立てて心臓が脈打つのが、チカゲに感じられた。

 本当か、それとも二人の勘違いかは分からない。

 だが、どちらにせよ、チカゲは自分の力が正太郎の弱点になっていることは認識していた。

 ならば、戦わねばならぬ。

 しかし、敵は。

 

「……荻窪くん、どこにいるんだろう……」

 なるべく平静な声で、チカゲは呟いた。

「彼が無事な以上、いつまでも『クグツ』と戦っていても、いたちごっこなんじゃないかな……彼自身を倒せば、クグツも消滅しない?」

 

 空凪と百合子が顔を見合わせてうなずいた。

「今、マスターが霊性事物を駆使して探してくれている。マスターの術を、そういつまでもごまかし続けられるとは思えないんだが」

 まるで、チカゲがその結果を知っているように、空凪は彼女をじっと見つめた。

 

「ねえ。何かおかしくない?」

 百合子が声をひそめた。

「変な音が」

 

 はっと、チカゲは振り返った。

 キシキシと奇妙な音を立てながら、何かの影が近づいてきた。