1-5 サイド妙羽

「……ああいうのは、かなり高度な退魔師ですにゅう。多分、時代が時代なら、歴史に名前が残ったレベルですにゅう」

 妙羽の部屋の真ん中に陣取った、蒼いモアレ模様の巨大猫が、でろんと四肢を投げ出しながら、そんな風に説明した。

 ふにゃあっと大あくび。牛くらいの大きさだろうと、光の翼が生えていようと、頭に一本角があろうと、仕草や雰囲気は猫そのものである。

「あの、持っていた武器。あの日本刀は、ただの鋼の塊ではなくて、霊子に反応する特性を持たせた、特製の刀ですにゃ。通りのいい言い回しをするなら、ご神刀とか霊剣とかいうアレですにゃー」

 澄んだ少女の声が、特大猫の口から転がり出る。

 

 部屋の隅のベッドに無造作に寝そべってそれを聞いていた妙羽は、すでに人間の姿に戻っている。

 あのあと何事もなかったかのような顔で自宅に帰り、学校の課題を済ませ夕食を取り、風呂に入ってから自室に引き上げてきた。

 彼女の家人――両親と兄――は、彼女が冴が表現したような存在だとは気づいていない。

 

「あんなに若いのに、あれだけやるのって、もしかして凄くない~?」

 妙羽はタオル地のうさぎのぬいぐるみを抱いたまま、頭をその猫に、伽々羅に向けた。

「どういう生まれと育ちの人なんだろね?」

「恐らく、希亜世羅様がお聞きになった情報から推察するに、代々退魔師の家系かその近傍の生まれと思いますにゃあ。幼くして退魔師になるべく、かなり厳しい訓練を受けていたのではありますまいかにゃ。子供の頃から武道全般をやっていたというのは、本人や周りの大人の趣味ではなく、『そもそも退魔師になるべく宿命付けられていた』から、その訓練として、だと思いますにゃ」

 その説明を聞いて、妙羽――希亜世羅と呼ばれた存在が姿を変えた少女の胸に、一抹の寂寥が去来する。瞼に、設楽冴の彫り込んだような精悍な顔立ちが浮かぶ。

 自分は、彼に敵認定されてしまった。

 

 当然ではある。

 彼らが自分に向けて言い放ったあの言葉――「邪神」という定義は、この宇宙のこの惑星の、今日において一般的基準からするなら、全くその通りだと言う他ない。

 

 妙羽……希亜世羅は、この星の生まれではない。

 そもそも、この宇宙にすら属していないのだ。

 

 本来なら、何の関わりもない異なる宇宙から、この宇宙をまるごと手に入れようと――食い尽くそうと、乗り込んできたのは、割と最近だ。

 客観的に言って侵略者だし、この惑星の知的生命体――人類、と彼らは自称している――の基準で言えば邪悪そのものでしかない。

 ただ、そのことそのものについての記憶ははなはだあやふやだ。

 かつてこの宇宙に侵略してきた戦いの時、外なる邪神・希亜世羅は、この宇宙に存在する幾柱もの神々に敗北し、この宇宙の片隅に、わずかな断片だけを残した。

 

「それ」が、今人間として暮らしている祝梯妙羽という少女だ。

 

 人間の肉体を手に入れ、まるっきり人間になりすますのは、そう難しくなかった。

 要するに、意識体のまま人間の女性の体内にある受精卵に潜り込めばいいのだ。

 そうしてこの「祝梯家」に長女として生まれてきたのが、妙羽と名付けられた邪神・希亜世羅の「化身《アバター》」である。

 必要な時以外は力を封じて、妙羽は人間として暮らしてきた。

 それでも、漏れ出るこの世界基準で言うなら「神」の力は、周囲の人間たちに影響を及ぼしたが。せいぜい縁起物扱いくらいで収まっていたので、友人との交流が潤滑になるくらいのささやかな影響だ。惑星の環境に異変を及ぼすような大規模な代物ではない。

 

「しかし、厄介なことになりましたにゃあ」

 伽々羅がふにゃあと溜息らしきものを漏らす。

 希亜世羅と共に、異なる宇宙から侵略者として侵入してきたこの宇宙猫は、正直記憶も本来の力も虫食いだらけの妙羽を、常にサポートしてきた。

「希亜世羅様のお力が完全に引き出せない状態で、退魔師などという人種に目を付けられるとは。あの冴とかいう小僧っ子はともかく、奴にもこの世界の『神』がついているですにゃ。しかも二匹」

 ん、と、妙羽はうなずく。

「自分の霊子包括量でこの惑星の『神』を凌いで主従契約を結ばせてるってこと……二人もって凄いんじゃ? あ、二柱《ふたはしら》って表現するんだっけ?」

 ぬいぐるみのうさぎをくにゅくにゅしながら、妙羽は言いかけた。

「ですにゃあ。ただ、気になるのが……」

 

 その時、ぱたぱたと軽快な音を立てて、誰かの足音が近付いてきた。

 

「あ、やば……」

 妙羽が声を漏らすより早く、伽々羅の体がすいっと縮んだ。

「妙ちゃん!? 誰と話してるの!?」

 がちゃりと妙羽の私室のドアを開けて姿を見せたのは、母の由美子《ゆみこ》だった。

 青と白のマリン柄の、見慣れたトレーナーを身に着けている。

「にゃー」

「あら? もしかしてルイとお話してたの?」

 部屋の真ん中、クッションの上にちょこんと乗っている三毛猫を見て、由美子は目を丸くした。

「そうだよ。誰か普通の人間が来たと思ったの~? そんな訳ないじゃん、ママ~!!」

 ころりと転がったまま妙羽は愛らしい唇を尖らせた。

 

 のほほんとして可愛い娘。

 それが邪神・希亜世羅のアバター・妙羽の表面人格。

 だから、その通りに妙羽は振る舞う。

 この人格を、「妙羽」は決して嫌いではない。

 

 だが。

 この胸を突き刺す棘は、この身になってから覚えた「罪悪感」は、何に対してなのか?

 

「まあ、ならいいんだけど。あんまり猫とばっかり話してたら駄目よ。そのうち化け猫になっちゃうわよ、ルイ」

 にゃあ? と不思議そうに見上げるルイに目をやって、由美子はそんなことを忠告した。

「えー、化け猫!! なって欲しい!! 踊ってくれるんでしょアレ!!」

「馬鹿なこと言ってるんじゃないの!! そうだ、明日お母さん町内会の寄り合いがあるから、遅くなるからね。夕飯、レンジでチンして食べてね」

「はーい」

 それだけ言うと、早く寝なさいよ、と忠告した上で、由美子は引き上げていった。とたとたと階段を降りる音がする。

 

「ふう」

「化け猫どころではないのですがにゃー」

 足音が聞こえなくなったのを確認して、妙羽は「飼い猫のルイ」こと、「宇宙猫・伽々羅が姿を変えた存在」を見やった。

「でさぁ。何が気になったの?」

「あの、月蝕とかいう方ですにゃあ。あれは、どうも一緒にいた棘山というのとは系統が異なるようですにゃ。ちょっと、見た記憶のない霊子干渉パターンですにゃあ」

 珍しく苦い色合いを滲ませて、伽々羅ことルイは口にした。

「あ~、もしかして厄介?」

「かもですにゃ」

「正体は?」

「今のところ不明ですにゃ」

 あっさり返され、妙羽はふう、と溜息をついた。

「本人か、設楽くんに何者か聞かなきゃわかんない、のかぁ」

 再び、妙羽の脳裏に冴の顔が浮かび上がった。

 精悍極まる、戦う男の姿勢と表情。

 あれが幼いころから誰かに強いられて身に着けざるを得なかった戦いの気配だとすると、気の毒なようにも思える。

 特に、「妙羽」という平穏この上ない環境に恵まれた少女として過ごしてきた彼女からすると、なお一層。

 

「……設楽くん、死んでないよね?」

「気になりますかにゃ?」

 

 その問いの答えは、夜の気配に溶け込んで、二人以外の誰の耳にも届かなかった。