6 いろいろ屋にて

「さ、ここだ」

 ひんやり落ち着いた空凪の声に、チカゲは顔を上げた。

「ここ……神社……?」

 まずは、濃い緑の連なりと、古びてくすんだ朱色の鳥居が目に入る。数段の石段と、そこから続く丁寧に掃き清められた石畳の道。木漏れ日の差す奥に、古い本殿が見えた。

「じゃ、ない。隣だ」

 空凪がさらりと指さしたのは、その神社の、分厚い鎮守の森の一角にぽかっと口を開けた小さな入口だった。神社の本殿に続くものよりはささやかだが、それでも趣きのある石畳の小道が、緑に覆われた奥へと続いている。繁茂した榊の茂みに阻まれて、奥にあるものはよく見えない。

 

「空凪くん、仲間の人って」

 困惑と共に、チカゲは問いを重ねた。「自分たちと同じ力を持った仲間に引き合わせてやる」という話で、放課後、空凪について来たのだが。

「……この奥に、ちょっとした店があるんだ。まあ、関係ない一般人は滅多に来ない店だが。ほら」

 空凪の指さした先に、木立の影に隠れるようにして「骨董・雑貨・喫茶 いろいろ屋」と記された三角看板がつくねんとたたずんでいた。これでは、あまり看板の意味がない。よほど物好きか、注意深い人間でないと、見落とすだろう。

「骨董品や趣味の雑貨なんかを上等の紅茶とか飲みながらゆっくり選べる店……とか、そういう感じ? へえ」

 チカゲはしげしげその看板を覗き込んだ。

 喫茶店が主で、ついでに洒落た食器類やカトラリー類も同時に扱っている雑貨店兼喫茶店、というのも近所にあるが、こちらはそれより敷居が高そうだ。これだけひっそりと営業しているにも関わらず商売が成り立つというのだから、いかにも「一見さんお断り」な匂いが漂う。本来、チカゲのような高校生の子供がノコノコ来て良いものではないのではという、気後れがしてしまう。

 

「行くぞ、ほら」

 が、しかし、案内してきた空凪はけろりとした足取りで、緑に覆われた小道に進んでいった。

「あ、待って……」

「なんか、コーコーセーぐれぇじゃ、入りにくいなあって思ってるか? 大丈夫だって。雰囲気ほど、敷居高くねえ。それに、お前は招かれて入るんだ、堂々としな」

 内心を見透かされたようにそうつつかれ、チカゲはとりあえずうなずいて、空凪の後についていった。

 

 ひんやりした木陰の間を縫う小道を少し進むと、小ぢんまりした木造平屋が見えてきた。

 まるで古い時代の商家のような趣で、入口に垂れ下がった木製看板に、浮彫に白塗りで「いろいろ屋」と記されている。

「ここだ。入るぞ」

「う、うん……」

 空凪はちらりとチカゲを振り返り、緊張する彼女に配慮してか、殊更気楽な調子で、木製格子と強化ガラスの嵌まった、和風のサッシ扉を引き開けた。

 

 しゃらん、と軽やかな鈴の音と共に、店内の様子が目に飛び込んできた。

 

「わあ……」

 チカゲは小さな声を上げる。

 その店内はやや薄暗く、壁一面に、奇妙な品物が並べられた棚が設置されていた。

 それは、そういう専門知識など欠片もないチカゲの目から見ても、恐らく骨董品に入るのであろう、年季の入った品が多かった。

 

 年代ものの手鏡。

 時代劇で見たような香炉。

 華麗なアラビアのランプ。

 レトロなブローチ。

 瑪瑙の数珠。

 古めかしい輝きの万年筆。

 中には、恐らく本物であろう、白鞘に収められた日本刀などもあった。

 

 いわゆる骨董品とは言い難い、更に妙なものもある。

 どこか外国の土産物らしい、アンモナイトの化石があった。

 華やかな色彩の、チカゲには種類の判別のつかない小石。

 

 古いもの特有の、少し埃っぽいようなパウダリーな香りが空気の中に混じっている。

 同時に、もっと強く感じるのは――とびきり上等な、コーヒーと紅茶の匂いだ。

 

「いらっしゃい。待ってたよ、空凪くんと――僕らの新しい仲間」

 その声に、チカゲは顔を上げる。

 店の奥、設えられたカウンターの中で、一人の若い男性がこちらに顔を向けていた。

 まだ25~26だろう。

 つやつやした長めの黒髪を撫でつけ、銀縁の眼鏡をかけた、上品なイメージの若者だった。白いワイシャツに黒のパンツとベスト、それに白の前掛けの、いかにも喫茶店のマスターといったスタイルだ。

 カウンターを挟んで反対側には、グラマーで色っぽい若い女性が座っている。髪の毛も、目の色も違うが、チカゲには一目で、百合子だと分かった。彼女は二人に気付くと、嬉しげに大きく手を振った。

 

「ほら、座れよ」

 10席ほどのカウンターの中ほど、百合子の隣のスツールに、空凪はチカゲを押し込んだ。

「ああ、良かった、元気だった!? 昨日はあの後ちゃんと眠れた?」

 百合子は、白のサマーニットにレース編みのカーディガン、ベージュのミニスカートという出で立ちだった。とびきりの胸の形がニットの上からはっきり見えて、ちょっと同性でもどぎまぎする。

「ありがとうございます。実は、興奮してあんまり……」

 正直、ちょっと眠いなという実感を遠回しに口にすると、百合子は分かるよという風にうなずいた。

「だよねぇ。みんな、最初はそんな感じよ」

「とにかく、ご無事で良かったですよ。宇津チカゲさん、でらっしゃいましたか」

 ニコニコしてそう話しかけてきたのは、カウンターの中にいる、この喫茶店のマスターらしい若者。

「コーヒーと紅茶、どっちになさいます? おごりますよ?」

 自然に警戒心の溶ける穏やかな笑顔で、マスターはチカゲに話しかけてきた。

「あ、ありがとうございます、コーヒーを……」

 喫茶店の中に漂う、コーヒーの良い匂いに惹きつけられていたチカゲは、即座にそう答えた。

 

「宇津さん、私は、この辺りの『共鳴者』をまとめている者で、花影涼《はなかげりょう》と申します」

 チカゲにコーヒーをすっと差し出すと、マスターはまず丁寧に自己紹介した。

「この、隣接した『花影神社』の跡取り息子でしてね。境内にこういう『霊性事物』を扱う店を開いて、『共鳴者』の拠点にしているんですよ。今日はまず、宇津さんにお詫びしなければなりません」

「……えっと、はい……?」

「共鳴者」? 「霊性事物」? と不可解な単語に目を白黒させていたチカゲは、急に大人に深々と頭を下げられてぎょっとした。

「あのっ……!!」

「私の判断で、一時とはいえ宇津さんを危険に曝したことを、心よりお詫びいたします。申し訳ございませんでした」

「え……その」

 ゆっくり、下げていた頭を上げて神妙な表情を浮かべている涼に、チカゲは思わず尋ねた。

「あ、あの、あれって、一体何だったんですか? 本当は何が起こって、なんであなたが私に謝るんですか?」

 謝る前に、事情を説明してほしい、というのがチカゲの本音である。大人としてのけじめであろうことは推測できるが、訳の分からないことで頭を下げられても混乱するだけだ。

「……そうですね。まず、きちんとご説明申し上げないことには、宇津さんもお困りになられるだけでしょう。ちゃんと、ご説明します」

 静かな口調で、涼はチカゲに向き合った。

 チカゲは、ごくりと唾を飲み込む。

 

「『霊性事物』のことは、空凪や百合子から聞かれましたか?」

 そう切り出されて、チカゲは、こくりとうなずいた。

「……なんていうか、世界や神様みたいなものの力を引き出せる……特別な道具だって」

「その通りです。我々の住んでいるこの世界……地球という惑星そのものの魂や、宇宙の霊性、そして、場合によっては神々。そういう、『巨大な霊性』と繋がって、その力を引き出すことを可能にしてくれる特殊な道具が、『霊性事物』と呼ばれるのです」

 涼は店内の陳列棚をぐるりと指し、

「この店で扱っている道具類は、全て『霊性事物』です。もっとも、『霊性事物』というものは、波長のピッタリ合った『共鳴者』と出会うまで、普通の道具と見分けが付かないのですがね」

 一旦、チカゲの理解を待って、涼は更に続ける。

「ほんのちょっとしたものなんですよ。ささやかなマテリアル、それが世界を開く鍵になる。おじいさんの形見の折り畳みナイフ、河原や海岸で拾った小石、貝殻、動かなくなった時計、年季の入ったビーカー、誰かの思い出の染み込んだバット……そうしたものが、何かのきっかけで世界の魂に共鳴するようになる。そうすると、それに選ばれた人間は、世界と共鳴して力を引き出せるようになる」

 要するに、世界とのチューニング装置が『霊性事物』ですね、と涼が付け加える。

「あの、そこがちょっと分からないんですけど……世界とか、宇宙とか、魂なんてあるんですか?あと、神様になんて、道具一つで簡単に繋がれるものなんですか?」

 神様なんて本当にいるんですか? と訊きたかったのだが、神社でその質問はなかろうという分別は働き、チカゲはソフトな表現に置き換えた。

「そうですね。納得いかないのは分かります。科学的な見解では、この惑星は、たまたま生命の生まれる条件を満たした岩石の塊のはずですし、宇宙は話しも笑いもしません。神々など、見たことのある人はいないのですから。しかし、そういうものは存在するのですよ。知ってる人は、昔から知っていました」

 

 涼は、再度言葉を区切った。

「昔から人々は、そういった地球や宇宙の霊魂を、神の形で表現してきました。ガイアとか、ブッダを悪魔の手から守った、宇宙の女神とか、そういったものですね。神道でも宇宙は天御中主神《あめのみなかぬし》という神として表現されています。この神から全てが始まる、ということです。実際、こうした存在に助けられる人は存在したんです」

 聞きなれない名前を繰り出され、チカゲはぽかんとするしかない。

「地球はただ表面に生き物の住んでいる岩の塊ではないし、宇宙もただあちこちでガスや塵が化学反応や衝突を起こしている広がり、ではない。宇津さんも昨日振るわれたような、霊的なエネルギーを秘めていて、それがあらゆることの原動力になっているんです。ただ、人間はそれを観測する術がないんですね、少なくとも、今はまだ……ね」

 静かに語る涼の声は穏やかで理知的で、たまに見かける宗教の勧誘のような、胡散臭い熱狂とは程遠かった。しかし、それでもチカゲには納得できない。

 

「……でも、そういうものがあるのだとして」

 ごくっと、チカゲはつばを飲み込んだ。

「なんで、『霊性事物』なんていうもので、その力が引き出せるんですか? 私が一色くんに指摘された……『霊性事物』って、ただの石なんですけど。きれいで大切にしてますけど、ただの……」

「本当に、『ただの』石ですか? おかしいと思ったことが一度もない? 例えば、化け物に襲われた時に?」

 

 涼に指摘され、チカゲはぎくりとした。

 あの、葉っぱの獣に襲われた時、あの「お守り石」は、光っていなかったか。まるで、何かに反応しているように。

 

「それがどんだけ価値があるか、とかは関係ねーよ。世界霊魂や宇宙霊魂や、神々とどれだけリンクしてるかってことだから。見たとこ、ただのガラクタってこともあり得る。例えば、これ」

 急に、空凪が制服の胸元から、鎖に吊るされた、真鍮製のアンティークコンパスを引っ張り出した。

「これさ、俺のじいさんがイギリスだかどっかの蚤の市で買ってきた、ただの野歩き用の、特に手が込んでるって訳でもない量産品なんだ。親父やお袋は、またガラクタ買ってきて、なんて言ってたらしいけどな。でも、俺に、お前も見たような力を与えてくれるんだぜ?」

 チカゲはまじまじと空凪を見、そしてコンパスに目を落とした。

 昨夜のことが思い出される。

 まさに、魔術師としか思えなかった、空凪のあの力。

 

「空凪、ありがとう。……そういうことですよ、宇津さん。『霊性事物』がコンセントで、力の源になる世界霊魂や宇宙霊魂、神々が電源だと思えばいい。コンセントに接続しているのが、ゲーム機なのかパソコンなのか、それともレーザー発振器なのか。『共鳴者』の種類の差って、そういうことです。まあ、大体の『霊性事物』は何らかの武力は発揮しますけどね」

 涼は穏やかにそう付け足した。

 

 チカゲは、ポケットの中から、大事にしまっておいた「お守りの石」を取り出した。

 自分を守ってくれた、とてもきれいだけど、それ以外なんてことないただの石。

 おばあちゃんは、神様からの贈り物だと言ってたけれど、本当にそうなのかも知れないという気がしてきた。

 自分の、あの蒼い魔人としての姿が思い浮かぶ。

 もし、あの姿になれなかったら、今頃……

 

 そう思えば、どんな非常識なことでも、許せる気がしてきた。

 別に宇宙や地球に魂があったり、神様がどこかに存在したりしていて、なんの不都合があろう。

 自分を守ってくれるのだから、有り難がりこそすれ、胡散臭がるなど本末転倒であろう。

 

「納得いただけましたか? そうした『霊性事物』と共鳴して、その『霊性事物』を介して力の源泉から力を引き出せる人間を、『共鳴者』と呼びます。『霊性事物』とも共鳴していますが、その力の源泉とも共鳴しているとも言える存在です。どういう人間が共鳴者になるか、それはまだはっきりとは分かっていないのですが、こうして確かに存在する」

 涼はぐるっと手を巡らせた。

「ここにいる人間は、全員『共鳴者』です。百合子も、空凪も。宇津さんも――そして、私も」

 この人も、ああいう魔人の姿になるんだ。

 チカゲは、なんとなく興味を引かれて、涼を見据えた。

 

「……あの」

 チカゲは頭をもたげた疑問を、素直に言葉に乗せることができた。

「私を襲ってきた、あの怪物……同じ学校の、荻窪という人が操ってるって、一色くんに聞いたんですけど」

 ちらと、チカゲは空凪を見た。目が合う。

「あの人も、『共鳴者』なんですか? 『霊性事物』を持ってるから、そんなことできるんですか?」

 

 思い切った質問に返ってきたのは、真剣のように鋭い切れ味を秘めた、暗い視線だった。

「違います。あの荻窪くんという人物は、『共鳴者』ではありえません」

 きっぱり断言され、チカゲは首を傾げた。

 こういう超自然的なことをすることができるのは、「共鳴者」以外に誰がいるのだろう。

「では……」

「彼は」

 涼がすっと息を吸い込んだ。

 

「『共鳴者』の天敵。『マガツヒ』です」

 

 マガツヒ。

 その不吉な響きは、チカゲの胸に、冷たい針を突き刺すように突き刺さった。

 

「彼は、あなたを狙っていた。それが分かったんです。引きずり出すために、私はあなたを一時『囮《おとり》』として使う判断をしました。それが、昨日の襲撃です」

 静かに、一言一言区切るように断言され、怒りより先に、チカゲは、自分に本当は何が起こっているのか、それが知りたくなった。