8-22 収穫祭

 春だった。

 収穫を待つ黄金の麦穂が、風に揺れていた。

 

「いよいよ、この時がきたのですな」

 

 元は遺跡だった、その石造建造物のテラスに出て、サイクゥゼルスは眼下を見下ろした。

 

 今や太守の城塞兼居住地及び農地の管理センターとなっている元遺跡は、長年の傷みが修復され、古雅な雰囲気を放つ神殿めいた建物へと生まれ変わっていた。

 

 その、最上階近く。

 城主、つまりサイクゥゼルスの執務室の外に張り出したテラスに、六人の英雄とサイクゥゼルス本人が集っていた。

 

 城塞の眼下すぐには、石造の重厚な建築群が龍震族の感性からすると、ちょっと不思議な建築様式で立ち並んでいた。

 かつての粗末なクジャバリの街から、この新しいクジャバリ居住棟群に引っ越してきた住人たちの住まいは、星暦時代の技術に支えられ、快適なものであった。

 

 それぞれの個人、及び世帯ごとに与えられた農地が、街の外には延々と広がっている。

 夏に種まきし、翌年の春に収穫する種類の小麦の時期、見渡す限りの黄金を刈り入れているのは、かつてはここの住人の敵だった、機獣の一種だ。

 元は近付く異種族の命を刈り取っていた前腕の鎌は、今は茎の半ばまでびっしり実った香り小麦を刈り取る作業に活かされている……というより、本来、この遺跡の機獣の役割はこれだ。農業用機器なのだ。

 

 畑の間を、武器を手にした龍震族が数人組になって、のんびり見回っている。

 この美味極まる農作物をめがけては、噂の「肉の山」ボーダコーダ始め、草食の魔物が押し寄せる危険が常にあるため、刈り入れが完全に終わるまでは見回りは欠かせない。

 当然、戦闘用に流用できる機獣を魔物や野生動物の食害防止に役立てることもできるが、できれば美味い農作物を触る機械を、生臭い生き物の血で汚したくはない、というのは共通認識だった。

 それに加え、何よりも龍震族たちは適度に戦いに触れていた方がいいのだ。

 

 収穫は香り小麦ばかりでなく、様々な冬越しの野菜に及んでいた。

 まるでキャベツと白菜とほうれん草を足し合わせたような、大粒のパリフェ菜も、今まさに収穫されている。

 元の世界なら、菜の花にあたるのであろうルージリーの花。

 そして大豆に似た栄養価の高いコロラ豆。

 果物もある。

 柔らかく芳醇なホールジュベリーも、日の当たる斜面の畑で収穫を待っている。

 

 遠くから機獣に大きな車を引かせて運んでいるのは、まさに解体された大型のボーダコーダであろう。

 肉の小山の脇に樽が寄せられているのは、ボーダコーダの血も、ソーゼージに混ぜるなどして食材になるからだ。

 そのボーダコーダを仕留めてきたのであろう四人ほどの男女混合のチームが、畑の見回り組と何やら言葉を交わしているらしいのが望める。

 

「……半年。あれから半年以上も経つのですな。半年どころか十年以上も前に思えますよ。今ではあの生活の方が、幻だったのではないかと」

 

 サイクゥゼルスは、遠い目で、今やルゼロス一豊かになった領地を眺めた。

 

「それもこれも、オディラギアス殿下始め、皆様方のお陰です。何とお礼を申し上げて良いのか。もし、あの時、略奪を止めていただかなかったら……ぞっといたします」

 

 振り向いたサイクゥゼルスの真摯な目の光は演技ではあり得ない。

 街を見下ろせば、隣国や国内の近隣領地から流れて来た商人たちによる商店街も見える。

 富を支えるこうした交流さえ、あの時蛮行に走っていればあり得ないものになっていたであろう。

 

「ボクたちだけの力じゃないよ!! サイクゥゼルスさんだって、ボクたちを庇ってちゃんと活動できるように凄く計らってくれたじゃない!!」

 

 マイリーヤが言っているのは、彼女のこの試練での役割にも関わることだ。

 彼女ら妖精族は、自然の中に漂う魔力……原素の存在や、流れを感知できる。

 と、いうことは、天候の予測などもほぼ正確に行うことができるということ。

 当然、そうした能力は、農業で豊かになろうとしていたこのクジャバリでは非常に重要なものだ。

 

 マイリーヤの天候予測の能力をあてにして、クジャバリでは種まきの時期、嵐の予測、そして収穫の時期まで決めたのだが、最初から順調にその能力があてにされた訳ではない。

 

 妖精族というものの性質を知悉していれば自明のことでも、馴染みのないルゼロスの龍震族には、それは奇妙な戯言のようにしか思えなかった。

 最初のうちは、マイリーヤの天候予測を信じずに、勝手な時期に農作業を行なおうとした者がいたのだ。

 

 それを制止し、農作業のタイミングをマイリーヤの指示の元に一任してくれたのが、他ならぬサイクゥゼルス。

 太守厳命として、マイリーヤの指示を絶対とした。

 

 結果として、クジャバリの農作物は最適なタイミングで種を蒔かれ、適切に嵐から守られ、そして最高のタイミングで刈り入れを迎えられた。

 ある嵐を予測してから、マイリーヤの指示に疑問をさしはさむ者はいなくなったものの、最初にサイクゥゼルスの厳命がなければ、こんなに豊作にはならなかったかも知れない。

 

「そうでやすよ、サイクゥゼルス様。あなた様の先見の明があったからこそ、先物取引だって上手くいったんでやすし、外部との交流も円滑にいったんでやす。いや、商人としては、この上なく有り難いでやすよ!!」

 

 と切り出したのは、星暦時代の香り小麦の先物取引を成功させまくったジーニック。

 

 星暦時代の品種を復活させた? はぁ?

 

 と言った取引相手を、とりあえず青々と穂が実り始めたクジャバリの畑に連れて来た。

 まだ青いにも関わらず、非常識なボリュームの香り小麦の穂を見て、隣国の、あるいは国内の取引相手は目を剥いた。

 先を争うように、先物取引は成立し、金がクジャバリに流れ込んだ。

 経済と流通が活発化した。

 今まで滅多に見かけないようなものだった代物が、普通に生活の中に存在するような豊かさとなった。

 

「隣の国からの移民も上手く行ってるみてえだしな。あいつら、教え甲斐があった」

 

 そう言って、鍛冶屋の工房の集中している辺りに目をやるのは、ゼーベルだ。

 彼は、武器を常に消費するクジャバリの民のために、メイダル仕込みの魔法鍛冶技術を教授することと引き換えに、隣国から鍛冶屋の移民を数世帯引っ張ってきた。

 丁寧に教えた結果、彼らはほぼ完全にゼーベルの技術を吸収、今では魔法鍛冶の店を市中に開いている。

 そこで主に生産されるのは、冷兵器よりも銃火器が多い。

 先の遺跡無害化作戦で実証された銃の実用性は広まり定着し、普段の狩りから領地の防衛にまで、幅広く使われている。

 輸入鉄鋼と遺跡由来素材で、高品位の魔法銃は造り上げられ、クジャバリの生活に確実に溶け込んでいる他、他領地への輸出品にもなっている。

 

「クジャバリ名物、ボーダコーダのハム、ソーセージ!! 人気らしいねえ。こないだ街中で、わざわざ汽車に乗って隣の領地から買いに来ましたって人に会ったよ」

 

 のほほんと口にしたのは、イティキラ。

 医術でこの街に貢献している彼女は、ボーダコーダを始めとする魔物狩りに同行することも多い。

 案の定、作物の生育と共に周辺から押し寄せてきたボーダコーダ始め魔物たちは、全部龍震族とイティキラに狩られて肉となった。

 狩りに参加した者同士で分けられる他、一部は市内の精肉店へ。

 そして、更に加工されて、ハム、ソーセージなどに形成され、保存食や遠隔地への輸出品になる場合もある。

 

 何せ、この世界では、元の世界のように魔物が人間の乱獲によって絶滅するということがない。

 減った分の魔物は、神の采配によってどこからともなく補充され、増えることはあっても、ある一定以下に減ることはないのだ。

 そして、このクジャバリの街は今や、放っておいても魔物を寄せ集める、巨大な餌箱だ。

 ボーダコーダ始め、様々な食肉として優秀な魔物が自分たちから押し寄せる。

 龍震族住人は、その本能に従い、魔物をひたすら狩り、ベルトコンベア式に精肉店や食肉加工業者に回す、という訳である。

 つまり、この街にはいつも、美味この上もないとされる精肉及び食肉加工品が唸っている訳だ。

 

 遠くの飲食店から調理した肉の香ばしい香りは、常に漂っている。

 今の時期に人気なのは、ボーダコーダのステーキに、元の世界ならモロヘイヤに似たカギラ菜のソースを合わせた栄養豊かな逸品だ。

 香り小麦が完全に出回り始めれば、ルージリーの花とボーダコーダ肉を使ったピザなどもメニューに加わるはずだ。

 ピザの作り方は、前の世界ではたまに自宅でよく作っていたイティキラが、飲食店の面々に教え込んである。

 

「最初はどうなることかと思いましたけども。この街で、あたくしのような霊宝族も受け入れられて有り難いですわ。やはり、上に立つ方が違いますと、あたくしのような者の扱いは違って参りますわね」

 

 レルシェントが微笑む。

 今や、レルシェントに警戒心を抱く龍震族はこの街にいない。

 オディラギアスが自ら選んだ将来の妃であり、なにより遺跡を無害化し、今の繁栄の礎を築いてくれた有り難い人物という認識である。

 

 まるで魔力を食って生きる魔物のように捉えられていた霊宝族だが、レルシェントが積極的に人前に出て、普通の人類と同じ行動を――食事を取ったり、武器で戦ったり、はたまた料理をしたり――することによって、偏見は大分薄れた。

 彼女も積極的に自分の所持する魔導具を公開し、霊宝族の技術が本来人類の役に立つものだと示してから、不気味なイメージは払拭できた。

 メイダルの繁栄を聞くだに、自分も行きたいと言い出す龍震族も増えてきている。

 この分なら、本格的な交流が始まっても、少なくともクジャバリで霊宝族が冷たい扱いを受けることはなさそうだ。

 

 そして。

 クジャバリで可能になったことなら、ルゼロスの他の場所――もっと言えば他の国々でも、それは可能であるかも知れない。

 

 この地は、実験だった。

 

 無論、全部が全部、上手くいった訳ではない。

 最初の内は、遺跡の機獣や古魔獣に身内を殺害された者の怨嗟の声を浴びせられることもあった。

 ひたすら謝るしかなかったレルシェントだが、それをとりなしたのがサイクゥゼルスであり、何より将来の夫、オディラギアスだった。

 

「あの戦は、霊宝族は勿論、どの種族が特に悪いという性質のものではない。悪いというなら、どの種族も少しずつ間違っていた。そして、霊宝族を遺跡の所有権の交渉もさせないまま地上から追い払ったのは、我々の先祖なのだ。彼女を恨む筋合いではない」

 

 オディラギアスはそう言って、レルシェントを庇ったのだ。

 

「さて、小麦の収穫祭は来週だったな」

 

 オディラギアスはにこやかに微笑んだ。

 

「成果は出た。後は、それを皆で分かち合おう!!」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 初めての収穫祭は、大々的に行われた。

 会場は街の広場、周囲の飲食店に依頼して、食べ物を会場に運び込んでもらった。

 

 かつて、遺跡が地上を蝕み始めて以来、決して実現することのなかった大規模な収穫祭だ。

 香り小麦だけに限定しても、英雄たちが元いた世界の似たような作物から比較して数倍にも当たる収穫量を叩きだした。

 近隣に売りまくってもなお余り、少しでも消費するため、収穫祭は盛大なものとなった。

 

 収穫祭では、作物や獲物の肉を使った食べ物が、参加者に振り向けられる。

 また、初めて醸造されたこの世界の麦酒も、大人に限定だが振る舞われる。

 子供には子供用のビールと、果物のジュースだ。

 

 収穫祭のメインメニューは、香り小麦の生地を使ったふっくらピザ。

 トッピングはボーダコーダのソーゼージやハム、チーズに、時折野菜が混じる。

 これは参加者全員に、太守からの大盤振る舞いという形でおごられた。

 

 様々な屋台や店のメニューも見事である。

 密かな人気がネイティ鳥の焼き鳥だ。

 これも作物を荒しにくる魔物の一種であるが、肉は例によって美味い。

 串から外し、パンに挟んで食べるのもオツとされた。

 

 また、これも美味しい魔物、化け猪とでもいうべきスベルディの生ハムをふんだんに使ったパスタも人気だった。

 

 収穫祭には、街の外からも人が押し寄せ、大いに盛り上がった。

 予想以上のクジャバリ産農作物の美味に舌鼓を打った外部の商人や個人が、新たに農作物を買い付けたり、次の収穫の先物取引を狙う。

 

「太守サイクゥゼルス様ばんざい!!」

 

 酔いの回った誰かが、酒杯を上げながら叫んだ。

 

「繁栄を導いたジーニック様ばんざい!!」

 

 次の誰かの声が上がる。

 

「いや、我らが癒し手、イティキラ様ばんざい!!」

 

「天の心を読むマイリーヤ様ばんざい!!」

 

「銃の父、ゼーベル様ばんざい!!」

 

「全ての源、解放者レルシェント様ばんざい!!」

 

「大いなる王オディラギアス様ばんざい!! 次の王はあなただ!!」

 

 湧き上がる歓声と酒杯の中で。

 全員の意識は、まばゆい陽の光に溶けるかと思われた。