2 裏アカとあの子

 はっきり言うが、鹿島さんはどうかしていると思う。

 

 午後のむわっとした日差しの中、僕はゆっくりと自宅へと向かう。

 その背後、10m足らずの距離を空けて、鹿島さんが尾行してきているのだ。

 

 振り返らずとも、こんなにびりびりした殺気らしきものを放出していては、尾行していることはバレバレである。

 彼女は、当たり前だが素人だ。

 実際の尾行はドラマのように簡単にできるものではない、特殊技術なのだ。

 電信柱の影などに隠れつつ、そろそろ歩いているつもりらしいが、彼女の気配は、まるで隣に立たれているかのように明白だ。

 

 困ったな。

 これでは、今日のパトロールに支障が出るかも。

 なにより、鹿島さん自身が心配だ。

 ここ最近の猛暑で外をうろつかれたり、張り込みでもされようものなら、熱中症になってしまう可能性が大だ。

 

 ふと。

 僕は、周囲の様子がおかしいことに気付いた。

 

 夏の日はまだ長いはずなのに、妙に暮れなずんでいる。

 茜色の日差し。

 黒く長く落ちる影。

 そして……電信柱が。

 なんと、木製になっている。

 

 ぎくりとした。

 まるで、周囲の光景が五十年前みたいだ。

 延々とうねりながら続く板塀。

 細い手のように影を落とす周囲の家の庭木。

 ここは、商店街で、そんなもの、ないはずなのに。

 

「鹿島さん!!」

 

 僕は振り向いて、呆然としている鹿島さんのところに駆け寄った。

 さしもの気の強い鹿島さんも、真っ青になって周囲を見回していた。

 

「龍口くん!? こ、こ、これ……」

 

 一体どういうことなの、と問い詰めようとしたのだろう。

 しかし、あまりの衝撃で言葉が出てこない様子だ。

 鹿島さんは、普段こそ気は強いが、しかし、怪奇現象の類が極めて苦手な人種らしかった。

 

「僕から離れないで」

 

 一言言って、僕は、正体を現した。

 ダイヤモンドのようにきらめく、氷晶の精霊の姿を。

 

 鹿島さんがますます呆然とするのが見えたが、この際隠し立てしても仕方ない。

 

「出て来いよ、いるんだろ」

 

 どこからか、ぽーん、と丸いものが飛んできた。

 ボール……いや、毬(まり)だ。

 今日日、民芸品としてしか見掛けぬ、絹の糸で形作られた毬。

 

 それが、まるで火の玉のように乱舞し始めた。

 それどころか、一つだったものが、二つ、三つ、十、二十と増えていく。

 

 毬が僕の体にぶち当たった。

 まるでそれが爆弾であったかのように、巨大な炎が上がる。

 僕の蛇体と翼でかくまわれた鹿島さんが悲鳴を上げた。

 

「ふん、原始的だな!!」

 

 僕は自分の体の中の魔力を呼び起こす。

 途端に物凄い雪嵐が吹き始めた。

 ボールが固まり、巨大な氷塊になってぼろぼろと地面に落ちる。

 落下の衝撃と僕の魔力で、それは粉々に砕け散った。

 

「なによあれ……!!」

 

 鹿島さんが再び悲鳴を上げた。

 視線の先を見る。

 

 子供が、いた。

 

 いや、普通の子供ではない。

 この21世紀に、時代劇の中の子供のように、丈の短い着物を着ている子供など、いるわけがないからだ。

 服装の色合いや、髪型からするに、女の子。

 ただし、目も鼻もなくて、口だけやけに大きくひらいたのっぺらぼうが、女の子と言えれば、の話だが。

 

「なによあれ!! 何なのよ!!!」

 

 鹿島さんは混乱の極みだ。

 すこしでも落ち着かせないと。

 

「あれは、いわゆる妖怪の一種だよ。多分、少したちが悪いやつ。人間に危害を加えて、その恐怖心や苦痛で命を長らえるやつだ」

 

 鹿島さんは、まじまじと僕を見た。

 僕も鹿島さんを見た。

 目が合う。

 

「……龍口君、なんだよね?」

 

「そうだよ。髪の色が違うから、印象が違うかな?」

 

 僕は正体を現すと、氷を削ったような銀髪になるんだけど、そうするとますます精霊っぽさが増すらしい。

 ま、もっと色々変わってるんだから、普通はそっちに気を取られるだろうが。

 

「色々、説明はあとだ」

 

 ぐねぐねと、妖怪の周囲の影が、生き物のように立ち上がりこちらに向かって伸びてくる。

 妖怪の笑みが深くなる。

 にんまりと、禍々しく。

 

「こいつを片付けないとね」

 

 僕は鉤爪を振り上げた。

 まだ距離は数mもあるが、しかし。

 

 鉤爪を虚空に向けて振り下ろすと、水晶のように輝く空間の亀裂が、妖怪に向けて走った。

 

 声もなく、妖怪は増幅された僕の斬撃に粉みじんにされた。

 まるで何かに吸い込まれたように、妖怪の姿はそこにはなかった。

 

「あ……あ……」

 

 鹿島さんが、ぱくぱく、酸欠の金魚みたいに口を開けている。

 僕は一瞬で人間の姿に戻った。

 

 と、同時に、周囲の光景が変わる。

 見慣れた商店街になった。

 

 熱気でむせ返る歩道の上で、僕と鹿島さんは、改めて顔を見合わせることになり。

 僕は決心した。

 

「……鹿島さん。色々、事情を説明するから、とりあえず、僕ん家に来てくれない?」

 

「う、うん……」

 

 僕はスマホを取り出し。

 家にいるはずの母に電話をかけたのだった。