12 決着!!

「あなたの力は檻」

 

 雲をまとう半人半蛇の神魔が、プリンスを指す。

 

「オムパロスにかけて。その力は封じられる」

 

 ぎくりとしたプリンスの、手元に宿った輝きが消えた。

 彼の能力を知っている者ならわかる。

 彼の魔法が今、打ち消されたのだ。

 

「海は呑み込む。時の終わりも、誰かの命も!!」

 

 おぞましい怪物なのに、しかし、妙に耳に快い女の声が、青いワニから放たれた。

 

 途端に、巨大な渦巻く水の塊が、津波か鉄砲水のようにOracleの面々を襲った。

 宙に浮いていたライトニング、マカライト、ダイモン、ムーンベル、そしてD9を除く四名が、見る間に濁流に呑み込まれた。

 

「プリンス!! メフィストフェレス!! ナイトウィング!! ヴォイド!!」

 

 闇の中で黒く蠢く水は、まるで流体の体を持った巨竜のようにありえない動きで高層ビルの屋上を荒れ狂った。

 悠然と笑うハンナヴァルト一家には一滴の水も付けないまま、膨大な水の塊は、四人を屋上から空中に放り出そうと……

 

「来なさい!!」

 

 ムーンベルが叫んだ。

 水の中から、黒々と大きな影が浮上した。

 四人を救い上げたその影は、一見すると、大きな黒い馬に見えた。

 ただ、馬と違うのは、足に魚のそれのような大きなひれが付いていることだ。

 

 ずぶぬれの四人を背中に乗せ、水の馬は空中に躍り上がった。

 渦巻く水が、盃からあふれるように、ビルの縁を超えて、はるか下に落下する。

 その上を、水の馬が悠々と走り回った。

 

「ケルピーが間に合ったか。さて、こっからが反撃だな」

 

 しかし、風を起こそうとしたダイモンに、女の半身を持つ獅子が向き直った。

 

「汝に問う。日々生まれ、死にゆきながら、永遠に生き、そして動かずして動くものは何か?」

 

 ダイモンは固まった。

「スフィンクスの謎かけ」。

 これに答えられなければ……

 

「答えは『太陽』だ、ダイモン!!」

 

 素早く叫んだのはメフィストフェレスだった。

 

「世界のどこでも、太陽は毎日生まれたり死んだりしてるし、太陽系の中心としては動かないが、銀河のなかをびゅんびゅん飛んではいるだろ!!」

 

「……『太陽』。なるほど、古典と科学の融合だな」

 

 ダイモンがスフィンクスに向き直ると、スフィンクスはニンマリと笑った。

 さすがに答えを見破られたからといって身投げというほど、しおらしくはないらしい。

 

「……スフィンクス。雲をまとっているのはギリシアの予言の龍デルピュネー。そして、青いワニは……マヤの破滅の怪物チャク・ムムル・アイン」

 

 ヴォイドがケルピーの背中で呻いた。

 いつの間にか衣は乾いており、手の中に、例の符がある。

 

「さて、連携が厄介ですから、動きを止めねばなりませんね」

 

 ヴォイドが符を構えた途端。

 

 ファビアンの目が赤く光った。

 途端にヴォイドの動きが止まる。

 全身に金属塊でも括りつけられたように、動きがぎこちなくなる。

 

「ねえ、ねえ、いらっしゃい!! 私たちといる間、楽しかったでしょう? また、あんな風に暮らせるのよ!!」

 

 エルフリーデが柔らかい声で、頭上で羽ばたくライトニングに呼びかけた。

 その声は、ただの声ではない。

 魅了の魔力を秘めた誘惑の声だ。

 

 ライトニングが揺らめいた。

 羽ばたきが乱れ、何かを恐れるように更に上空に逃避する。

 理屈からいえば、魔力で強引に奴隷化されていたのが楽しかった訳はない。

 しかし、エルフリーデの声に乗ると、まるでそれが本当に楽しかった思い出であるかのような、幻覚レベルの強烈な錯覚に陥ったのだ。

 どうにか距離を取り、ライトニングは誘惑を振り切った。

 しかし、このままでは近付けない。

 

「呪われた魔物め、神の威光を……」

 

 マカライトが頭上から神の光を呼ぼうとした。

 

「それは絶対にして矛盾。真実にして虚偽。すべての源を名乗りながら、結果のひとつであるものとは何か?」

 

 スフィンクスがマカライトに向けて謎かけした。

 

 マカライトは固まった。

 理性では、実は彼はわかっている。

 彼の主なる神。

 しかし、彼の信仰は、その答えを拒んだ。

 だから言えない。

 彼は空中で、彫像のように固まった。

 

「このっ!!」

 

 D9がかっと口を開いた。

 創世の龍の力、破壊の吐息を吐き出そうと……

 

「あなたの力は永遠にして破壊。常に再生し続けること、それを妨げるものを壊すこと」

 

 歌うように、デルピュネーが言葉を投げかける。

 D9の流動する液体金属のような柔軟な蛇体が強張った。

 

「オムパロスにかけて。その力は封じられる」

 

 なにか見えない鋼鉄の糸で縛(いまし)められたかのように、D9の体がねじくれた。

 巨大な手で無理やり押し付けられたかのように、屋上に着地する。

 排気塔の一つに体が当たり、衝撃で排気塔がひしゃげた。

 

「D9!! ダメッ!!」

 

 ナイトウィングが叫び、魔力を送り込んだ。

 しかし、賦活した生命力でも、世界のへそといわれるオムパロスの力を借りた魔力には太刀打ちできない。

 D9の体が、人間の女性のそれに変化させられる。

 

「あなたたち。他を押さえていなさいね」

 

 エルフリーデが優雅にD9に歩み寄った。

 ファビアンも続く。

 ぼんやり立っているように見えるD9は、彼らの前に無造作に首筋をさらしている。

 

「D9!!」

 

 風を迸らせようとしたダイモンの全身を、突如巨大な水の繭が覆った。

 彼の前で、チャク・ムムル・アインが巨大なワニの口を歪める。

 世界の終わりにマヤの民を呑み込むという水は、ダイモンを閉じ込め、風を封じた。

 

「さあ、ようやくね、愛しい子」

 

 エルフリーデが、意思を失ったようにぼんやり立ち尽くすD9を抱きしめた。

 同時に、反対側からファビアンがD9を抱え込む。

 D9はハンナヴァルト一家に両脇から挟まれる形となった。

 

「D9ッ!!」

 

 頭上でライトニングが悲痛に叫んだ。

 誰も、間に合わなかった。

 

 一家の、白い牙が、D9の滑らかな首筋に同時にもぐりこんだ。

 ぐんにゃりと、D9の体から力が抜ける。

 そのまま支えながら、一家はなおも飲んだ。

 何かが、変わっていきつつあった。

 

 風の音以外、この世の全てがなくなったような時間が流れた。

 

「さあ、さあ、これで私たちは」

 

 エルフリーデが優雅な笑い声を上げる。

 ファビアンが、完全に力の抜けたD9の肉体を放り出した。

 

 哄笑。

 

 ファビアンが今まで自分たちを疎外してきた神に勝ち名乗りを上げるかのように腕を振り上げ。

 固まった。

 

 見る間に、その肌が古くなった羊皮紙のように引き攣れ、無数のしわがよった。

 あの美しかった吸血鬼が、見る間に特撮もかくやの怪物となっていく。

 全身から、白い煙が上がった。

 悲鳴はかすかに何かが漏れるような音。

 干からびたゾンビのような怪物となった彼は、そのまま倒れ伏した。

 その上に、とどめのようにライトニングの稲妻が落ち、そいつは完璧に灰となって空の強風に吹き飛ばされた。

 

「ファビアン!? ファビアン、ねえどうしたの!? どこにいるの!? 何も見えない、何も聞こえないわ!! おかしいわねえ!!」

 

 妙に裏返った陽気な声で叫ぶエルフリーデも、恐ろしく短い時間のうちに、異様な変貌を遂げた。

 肌が悪性の疾病のように泡立った。

 水ぶくれに覆われ、緑に変色した彼女は、見る間に中身を失い縮んでいった。

 一瞬ののちに、シミの付いたドレスを遺し、「エルフリーデ」は消え去った。

 

「わー。やれやれ、なんとかなった」

 

 まるで撮影終了の合図を送られた役者のように、D9がひょいと立ち上がった。

 その首筋の傷は、時間を逆戻しでもしたかのような滑らかさで消えていく。

 

「やった!! 計画通りだわ!!」

 

 ケルピーの上で、ナイトウィングが小躍りしていた。

 

「ぶはあっ!!」

 

 水の繭を弾き飛ばし、ダイモンが中から飛び出した。

 

「ひゅう、こんなに上手くいくとはな!! D9、大丈夫か?」

 

 ダイモンはD9の側に降り立った。

 

「ああ、大丈夫だよ、ありがと。ちょっとちくっとしただけ」

 

 ふと、彼女は残された三人の女性神魔に向き直った。

 彼女たちは、何かが体から抜けたように呆然としている。

 

「はいはい。さっさと終わらせますか。――神魔を禁ずれば、すなわち行動することあたわず!!」

 

 ヴォイドが、手の中から符を放った。

 それは三人のサーヴァント神魔の額に貼り付き、完全に彼女たちの行動を封じた。

 彼女たちはぴくりとも動かなくなる。

 

「ええと、それから――術を禁ずれば、すなわち害することあたわず」

 

 ヴォイドは振り向きざま、あと少しでマカライトの命を奪うところだったスフィンクスの術をあっさり無効化した。

 こちらは符ではなく、直接の術である。

 

「ふむ。完璧だ。諸君、よくぞ計画通りに動いてくれた」

 

 満足気な笑みを浮かべて、プリンスがケルピーから降り、屋上へと降り立った。

 三々五々、Oracleの面々が屋上に集合する。

 ライトニングは人間の姿に戻り、上司のもとに歩み寄った。

 

「ふふふ、私のヴァンパイア解除薬の威力はどうかしら? 見事なものだったでしょう?」

 

 鼻歌を歌いだしそうな調子で、ナイトウィングがウィンクする。

 

「D9はじめ、全員にD9の血から精製されたヴァンパイア化解除薬を注射しておいて、吸血した吸血鬼に致死ダメージが行くようにする……完璧な作戦ね。流石、悪魔の考えることは違うわ」

 

 ムーンベルがニンマリと上司をうかがった。

 彼はめずらしく浮かれているようで、快活に微笑んでいる。

 

「まあ、諸君らからすれば、手加減の演技が面倒だっただろうが。とにかく、よくやってくれた、今回の作戦は完璧な成功だ。さて……」

 

 彼は、ちらりと視線を、三人の遺された女性神魔に向けた。

 マカライトの目が容赦ない光を帯びて、三人を捉えている。

 

「この穢れた女どもは……」

 

「ハンナヴァルト一家に利用されていたのは、彼女らにとって単なる災難であって、彼女らに責任があるとは言えない。今後の彼女らの身の振り方も、我らの方で考えねばなるまい」

 

 あの一家が、ヨーロッパから連れてきたのだとしたら、あちらに身内なり拠点なりが存在するかも知れないのだから。

 有無を言わせぬ調子で断言し、プリンスはマカライトの狭量な断罪をぶった切った。

 

「はいはい。さあって、いい子だから動かないでね」

 

 ぼんやりその場にへたりこんでいる三人に、ナイトウィングがどこからともなく取り出した医療用カバンを持って近づいた。

 ヴォイドの術で動く意思もなさそうな三人の、まずデルピュネーから腕を取る。

 ひじの内側をアルコール消毒し、あらかじめ満たしてあったピンク色の薬品を注射する。

 彼女の青白かった顔色が生命感のあるものに戻る。

 D9の血液から精製された、完璧なるヴァンパイア化解除薬は、壮絶な効果を生み出した。

 

「これで終わり、なんだよね?」

 

 D9が、つぎつぎと処置を受ける三人を見ながら、遠い目をする。

 

「災難は終わりさ。だが、新たな物語は始まる。彼女たちにとって、もしかしたら、流れによっては我々にとってもかも、な?」

 

 メフィストフェレスは、茶目っ気のある表情でつぶやいた。

 

「ああ。それから、あの女の子も気になりますね。人間から吸血鬼になったら、神魔と違って元には戻せないですからね」

 

 ヴォイドが重苦しい溜息をついた。

 彼女が言っているのは、あのヘヴンリーフィールドの街で助けたセシリアという少女のことであろう。

 

「まあ、多分、D9がいれば何とでもなるような気がするよ」

 

 ライトニングは、軽い笑い声を立てた。

 

「今回のMVPは、間違いなくD9だ。ありがと。結局、あたしの不始末の尻ぬぐいをしてもらったみたいでさ」

 

 いつのまにか「新入りちゃん」から「D9」になった呼び名を心ひそかに喜び、D9も微笑んだ。

 

「上手くいってよかった。本当に私に何でもできる力があるっていうんなら、みんなが上手くいくことが願いだよ」

 

 そんな風につぶやいたD9の肩をダイモンは抱き寄せた。

 

「ああ、上手くいくさ。君がいれば、何もかもな」

 

 ぼろぼろになった赤いドレスが風にさらわれて遠くへ吹き飛び、事件の終わりを告げた。

 

 月はまだ傾いていないが、長い夜は彼らにとっては終わろうとしている。