3-2 骨蝕の野望

「……主様」

 棘山は、呆然と呻いた。

「その、お姿は」

 

 光る扉を潜り抜けて姿を見せたその人物の、目鼻立ちと人型に限定しての体格は、確かに見知った主、設楽冴のそれだった。

 だが、全体的な形状や質感は大きく異なる。

 まるで、龍神と人の子を混ぜ合わせたような、異形の姿。

 鏡のように輝く金属の鱗と光沢が、たくましい人間型の肉体を覆い、背中には無数の鏡を重ね合わせたような翼、そしてその背後を鎖の鞭であるかのように覆う甲殻に包まれた触腕。

 彼が飛ばされたことがある大陸の文化圏の人間なら、あるいはこの大八島の住人でも若年層なら、迷わず「悪魔みたい」と表現しそうな禍々しい容姿。

 しかし、その全身から放射されているのは、懐かしい霊気に似た気配と共に、肌を容赦なく焼き尽くすような神聖な気配。

 

「棘山。遅くなって悪かったな」

 静かな、聞き慣れたあの口調で、冴は棘山に話しかけた。

「……今の話は聞かせてもらった。安心した。お前も骨蝕にいいようにされていただけだったんだな。正直疑っていた。すまん」

 軽く頭を下げるきっちりした態度に、その仕草から放たれる凛とした精神性に、棘山はその存在が間違いなく設楽冴であると確信した。

 

「主様……俺は……一体、そのお姿は」

 安堵する暇もない。

 一体、主である冴の身に何が起こって、その姿を手に入れたのか。

 

「どう? 冴くんカッチョ良くない? 何せ私がデザインしてプレゼントした新しい肉体だからねえ~~~ふふふん」

 妙に機嫌の良い女の声に顔を上げると、いつの間にか頭上に、あの邪神――希亜世羅とかいったか――が浮かんでいた。人間の少女の姿でなく、邪神形態の、あの輝く翼と角を備えた偉容である。

 光そのものを感じるまばゆさ、そしてとびきり風変わりで煽情的な、そしてそれ以上に異世界感を感じるその空気に、棘山は金縛りに遭う。

「さ~~~て、これから裏切り者は処刑だモードに入るけどねえ。覚悟はよろしおすか~~~?」

 ゆるい口調に恐ろしい内容を乗せて、かの邪神は骨蝕を見下ろした。

 

「さて、骨蝕さんとやら……いいえ、スディエジズさんとお呼びした方がよろしいのですかしら? あなたはもう逃げられませんことよ?」

 いつの間にか背後から進み出て来た女が、妙に違和感のある名前らしきものを口にした。なんというか、本来地球にないような言葉を無理やり地球の生き物の聞き取れる音声に押し込めたような。

 何か言おうとして振り向いた彼の目に入ったのは、メタルフレームの眼鏡をかけた、女教師っぽい妙な色気の美人だ。ただし、頭の側面に、金属の結晶を連ねたような角らしきものが生え、その周りを光の波紋が取り囲んでいるのが珍しい。

 その女は、眼鏡をくいっと引き上げながら、骨蝕を睨み据えた。

「あなたを馬鹿にはいたしません。冴さんに関わる全ての方を、場合によっては神々まで欺いてきた。ですから、万全を期させていただきましたよ」

 女が……莉央莉恵がふっと周囲を見回して艶然と微笑んだ。

 

 棘山ははっとする。

 周囲の景色の色が、明らかに違う。

 まるで色ガラスを通して見た光景のように、空も建物も周りに広がる草木も赤い。茜色に近い色合いだ。

 無論、夕方になったのではない。

 色の濃淡がない単色印刷じみた光景だし、いい加減見慣れたはずの建物の構造も微妙におかしい。

 

「死ねやうにゃーーー!!!」

 突如骨蝕の空間を突き破った影が、彼に一撃加えた。

 棘山は目の前に降り立った影にぎょっとする。

 それはあの、蒼い毛皮に翼の、異世界巨大猫だった。

 恐らくそんなつもりはないのだろうが、棘山を骨蝕から守るように、彼らの間に立ち塞がっている。

 

「くっ……ふう、空間異化ですか。大したものだ、全く気付きませんでしたよ」

 一瞬で、目の前の骨蝕が正体を現した。

 瘴気を纏う骨の翼、下半身の肢代わりの七頭の大蛇。

 ただ、脇腹の傷からは、まだ紫と黄色の液体が流れ落ちている。棘山は、骨蝕の血を初めて見た。

 

「あなた方のいる宇宙の外側に、この空間をコピーしてあなた方を取り込んだまま設置したの。叫んでも誰も来ないぜ、へへへ~~~」

 どっちが悪役だと言いたくなる調子でわざとらしく希亜世羅は笑う。

 

「……そういうことだ」

 重苦しい響きを秘めた声で、冴は呟き、どん、と地面を蹴った。翼を広げ舞い上がる。

 輝く翼に光を走らせ、そのいかつい手の中に、長大な太刀めいたシルエットの武器が現れる。

 金色に包まれた深紅の中に更に紫色の複雑な紋様が浮かんでは消えるその刀身は、冴の身長より長かった。

 まるで光を固めて作ったように、まばゆく輝いて常に移り変わる。

「この武器で、『紅神丸《こうじんまる》』でお前を倒す。お前は俺を裏切ったかも知れないが、少なくとも、お前を式神にしていたのは俺だ。俺が始末をつける」

 刺すような冴の視線が、同じ高さに浮く骨蝕に突き刺さる。

 

 骨蝕は……ふはっと、息を漏らして笑った。

 

「ほう。分かりましたよ、元主《もとあるじ》。あなた、希亜世羅さんの神使になったのですね。そんな本格的な武器まで支給されるとは!! くく、いささか嫉妬を抑え切れませんね!!」

 それを聞いて、冴が眉をひそめる。

「なんだと……?」

「希亜世羅さん。あなたは、いささか男を見る目がない」

 元主そっちのけで、骨蝕は冴の背後の希亜世羅に話しかけた。彼女もまた、眉をひそめた。

「こんな小僧が何の役に立つんです? どんな力を与えようと、元は所詮愚鈍な人間。退魔師だか何だか、ささやかな力に思い上がって、私の正体も見抜けなかった間抜けなんですよ?」

 ま、周りの人間も、加護を与えている神々も似たようなものですがね、と毒々しく骨蝕はせせら笑う。

「ま、霊子保有量と霊波放出量は大したものでしたがね……それだけです。その点、私は違いますよ?」

 ニヤニヤと得意げな顔の骨蝕に、冴は呆気に取られ、希亜世羅は顔をしかめた。

 

「希亜世羅さん。まだこの宇宙を諦めていないんでしょう? こんなガキンチョより、私を選んで下さい。私ならあなたの願いを叶えてあげられるばかりか、満足も与えてあげられますよ?」

 

 その品のない言葉に秘められたさらに下劣な意味に、希亜世羅より早く冴の顔に怒色が浮かんだ。

「てめえ……!!」

「子供は黙ってなさい。……希亜世羅さん。さあ」

 妙に湿度の高い声で、骨蝕は希亜世羅に手を差し伸べた。美声なだけ余計にぬったりと舐め回されたような気分になる声だ。

「私の手を取れば、夢が叶いますよ。こんなシケた星に、身を縮めて生きていなくても良くなる。目につくもの全部、あなたと私のものにしましょう。あなたの欲しいものは、全部私が与えてあげます。ちょっと、手を貸して下されば」

 

 これだったのか、と、冴が驚愕の表情で認識するのが分かった。

 骨蝕は、女としての希亜世羅を我が物にすることによって、自分の野望に必要な力を手に入れようとしていたのだ。

 冴には、そのために近付いた。

 棘山始め、周りに見せていた愛想のいい優等生な顔は、どす黒い肚を隠す仮面だった。

 多分、冴が首尾よく希亜世羅を従わせられたら、冴を騙し討ちにでもして殺し、解放者として希亜世羅に言い寄ったのかも知れない。

 

 しかし。

 

「いらない」

 さらりと、希亜世羅は骨蝕の誘惑を振り払った。

「なんですって?」

 歪んだ怒りの笑みが、骨蝕の一見文学青年風の顔に浮かぶ。

「私はもう、この宇宙なんかいらないよ。自分の宇宙《せかい》なら持ってるし。それに、今一番欲しいのは」

 ふうっと、希亜世羅が微笑んだ。幸福この上ない笑顔だった。

 

「冴くんが、一緒に、いてくれること、だよ」

 

 はにかむ少女のようにもじもじと、希亜世羅は笑みを深くした。

「……冴くん、言ってくれたんだ。私が悪いことしないように、神使になって側にいてくれるって。悪いことしたら、冴くんが側にいてくれなくなっちゃう。そんなの嫌だよ。怖いよ……」

 上目遣いで冴を見つめる希亜世羅に、冴は振り向いて微笑んだ。

「安心しろ。お前がどういう奴だか、俺はちゃんとわかってる。過去は過去だ。今のお前は違う。でも、怖いのは分かるから、大丈夫、側にいてやるよ」

 希亜世羅は安堵で目を輝かせ、次いで不安に目を曇らせた。

「ねえ、やっぱり、私が手伝った方が」

「いや。もう、ここまでで十分だ。これは俺が始末をつけなきゃならねえ話だ。……それに。あんな話、聞かされて、狙われていた本人を駆り出せるかよ……俺が、守ってやる。俺は、お前の、神使なんだからな」

 大丈夫とうなずいて、冴は再び骨蝕に向き合う。

 骨蝕は今や般若の形相だ。

 

「あらあら。骨蝕さん、立場がまるでありませんわねえ」

 ふう、と溜息をついて、地上の莉央莉恵が頬に手を当てた。

「なんつーか、あのボンクラ神、モテナイくん向けの雑誌記事の恋愛指南を真に受けてるみたいな奴にゃ。もしやそういう雑誌愛読してたのかにゃ」

 実も蓋もない評価を下した伽々羅の声が聞こえたのかどうか。

 骨蝕が絶叫した。

 

「貴様ァアアアァァーーーーーー!!!」

 

 骨蝕の下半身を構成する、七頭の大蛇――もしくは大蛇に似た生き物――の口がかっと開かれた。

 小型ミサイルのような勢いで、霊子で構成された小型の蛇が、無数に飛来した。

 一瞬で冴の前身を雁字搦めに――

 

 瞬間、深紅の光と衝撃が迸った。

 

 巻き付かんとしていた蛇はミキサーにかけられたかのように粉々になり、四方に飛び散った。

 紅い残像の中で、身の丈に余る光の太刀を振り抜いた冴が、悠然と構えを取るところだった。

 

「やっぱり、この力、俺が使った方が良かったみたいだぜ?」

 不敵に笑い。

 冴は下段に構えた。