6 その街の秘密

「あ……あ……もう、着きました?」

 

 空の風に煽られながら、光彩は声を絞り出す。

 ショートの髪が吹き乱され、オーバーサイズのグラスグリーンのパーカーがちぎれそうになびく。

 夕暮れに近づきつつある濃い光が、彼女を照らす。

 

 そう、空だ。

 彼女がいるのは、どういう訳だか、大きな、船のような形をした石の塊の上であり、その石の船は空に浮いている。

 クルーザーくらいの大きさの石の上は、その山間の地方都市を見下ろせる高さに浮いており、強い上空の風に曝されている。

 もちろん、その石の上には、光彩だけではない。

 彼女を支えるように、玻琉。

 そして、船首の方に、下を覗き込む央がいる。

 

「やー。その元カレくんの実家の住所って聞いた時に何かひっかかるなあって思ったんだよねえ」

 

 央は、街の北側の山並みに目をやりながら、声を張り上げる。

 染めた髪が風に嬲られ、スーツもネクタイも風に持っていかれようとする。

 その口調は相変わらずチャラチャラしたものだが、声の響きは真剣だ。

 

「ここってさ、この業界では有名な、『黄泉の穴』のあるところじゃん。そこに、鍵体質のせいでえらい目に遭ってる光彩ちゃんが呼び出された、と。まず間違いなく、偶然とは思えないよねえ」

 

 央は同意を求めるように振り向く。

 うなずいたのは、玻琉である。

 彼も長めの黒髪を風に乱し、形の良い目を斜めからの風に細める。

 

「タイミング的にもな。塩野谷さんのせいで亡くなったと称する人物の葬式という、断り辛い状況を作り上げてまで、ここに塩野谷さんを呼び出した。ここまでカードが揃うと、そもそもその亡くなった人物というのも、本当に亡くなっているのかどうか」

 

 贄の教団の一員として、ピンシャンして待ち構えていることも、この分なら考えられる線だな。

 玻琉は大きくため息をつく。

 

「とにかく、ご苦労様、央。どこかに降りられるか?」

 

 どうやらこの空飛ぶ石の船の所有者らしい央に、玻琉は労いの言葉をかける。

 航空機並みの速度の出せる空飛ぶ船なら、地上を走る交通機関より、だいぶ速い。

 そして、自家用車や公共交通機関と違って、誰かに行動を追跡したりはされない。

 今日日、移動しても何の痕跡も残らない。

 これは有利だ。

 

「あの……亡くなっているのかどうかって……宗助は亡くなっていないかもしれないってことなんですか? お葬式は嘘だってこと?」

 

 流石にぎょっとして、光彩は玻琉に尋ねる。

 聞いたこともない異様な状況に、心臓が重い音を立てる。

 大きな目がまじまじと見開かれているが、恐怖のためにいつもの生気はなく、暗い穴のよう。

 

「その可能性も、十分に考えられるということです。あくまで可能性の問題ですが、ご説明した『贄の教団』は、そういうことも平気でする組織なんですよ。元カレさんが関りを持っていないという証拠はなく、そして奴らの望む条件が揃っている。教団の関与を疑いますね」

 

 光彩は生唾を飲み込む。

 説明された「贄の教団」という組織のことは、最初はあまりにも現実離れしていると思ったものだ。

 しかし、明らかに人間ではない玻琉が存在している。

 そして、彼は子供の頃から、長年「贄の教団」と戦っているというのだ。

 その彼が、関与を疑うというのなら、光彩もその不気味な集団が確固として存在していることを認めねばなるまい。

 そもそも、「人外」と「生贄を要求するカルト」、どちらが非現実的だろう?

 

「うっし、とりあえずは下に降りるよ。あの公園に人払いをかけた」

 

 央は、郊外の古びた住宅街に隣接した公園に、音もなく石の船を降下させる。

 空気の温度と密度が変わっていくのが、光彩にも感じられ、木々や受託の屋根が通り過ぎ、やがて公園の古木の隙間を抜けて、石の船は人気のない公園の地面の上すれすれに、まさしく「停泊」する。

 

「さ、どうぞ」

 

 玻琉が自分の荷物である黒いボストンバッグと、光彩のベージュのボストンバッグを持って船から飛び降り、光彩に手を貸して船から降ろす。

 央も合宿で使うような大型スポーツバッグを手に船から飛び降りる。

 

「よし、これはまた帰りになっと」

 

 央が手を振ると、船は一瞬で揺らいで消える。

 あまりにも現実離れした行動を、彼が当たり前のように取るので、光彩は目を白黒だ。

 

「さて。ホテルは予約してあります」

 

 玻琉が、光彩と央を手招きする。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「へえ、意外だな」

 

 央が、二つ並んだベッドの片方に腰を下ろして、額に手を当てている。

 目は閉じられ、精神の集中が感じ取れる。

 

 古びているが、こぎれいなホテルの一室である。

 窓からは、ひなびた田舎町の風景が、傾いた日差しの中に横たわっているのが見えている。

 同じフロアに、ツインの部屋を取った玻琉と央、そして、シングルの部屋に荷物を放り込んだ光彩。

 光彩が、玻琉と央の部屋にやってきたのだ。

 玻琉と向き合って、光彩はソファに座っている。

 目の前のテーブルには、備え付けの紅茶が注がれたカップ。

 もちろん、遊びに来たのではなく、これも央の特殊能力を頼ってのこと。

 

「光彩ちゃんの元カレさん、本当に死んでるんじゃね? もしかしてこの人?」

 

 央が、立ち上がって、光彩の元に歩み寄り、彼女の額に手を伸ばす。

 央の指に触れられた途端、光彩の脳裏に、まるで急激によみがえった思い出のように、昔知っていた人間の顔が浮かび上がる。

 何かの写真なのだろうが、光彩は見た記憶がない構図。

 証明写真のように正面向きで、写っているちょっと魚っぽい目鼻立ちは、記憶にある中江宗助のもの。

 

「あ、はい、中江宗助です……」

 

「あー、やっぱり。遺影だねこのでかい写真。なんかね、この人の家を石を通じて観察してるけど、亡くなったことには間違いないみたいよ。なんか、かなり不審な死に方だったらしくて、今、警察で司法解剖されてるから、お通夜は明日、葬式が明後日だってさ」

 

 央が口にした日程は、事前に一果に聞いていたことだが、死に方が不自然で司法解剖されているというのは初耳の情報だ。

 中江宗助の実家の居間には、磨き上げた石が飾ってあり、鉱物を司る神の支配下にある一族の出である央は、その石を通じて、内部をその場にいるように見聞きできるということらしい。

 先ほどの石の船のことに加えて、実に便利な特殊能力だと感心してしまう光彩である。

 

「……なんか、この人ただの病死じゃなくて、闘病の果てに自殺したってことらしいね」

 

 央が、渋い顔で更に付け加える。

 暗い話で気が滅入るのか、両手でぎゅっと顔を覆って、また集中に戻る。

 

「お母さんらしき人が『また入院したと思ったら帰って来なくなるなんて』って言ってるから、入院中に病院で自殺したっぽい。で、その死に方が不審だったってことなんだろうね」

 

 光彩は、ふと首を傾げる。

 

「宗助の病気って……」

 

 およそ病気とは縁遠かったあの人物に、死を考えさせたほどの病気とは。

 

「……多分、うつ病とパニック障害。居間の棚に、うつ病とパニック障害に関する本がある」

 

 央がぎゅっと眉根を寄せる。

 ふと、玻琉が声をかける。

 

「央、その場には両親以外はいないか?」

 

「うん……あ、待って」

 

 ふと、央が目を閉じたまま、瞼をぴくりとさせる。

 

「あのスゲエ妹入って来た。元々の顔は意外と可愛い感じだけど、すっごいピリピリした空気で怖いよ。何か言ってる」

 

 央の口元が歪む。

 

「あの子、両親にたしなめられてる。本人、光彩ちゃんが着いたかどうか連絡入れるみたいなこと言ってるぽいけど、両親は、本当に宗助は光彩さんと連絡取ってたのか、本人は知らないって言ってるんだから、別の人と間違えてるんじゃないの? 失礼じゃない? って」

 

 光彩は、やはり宗助の両親の様子から、彼が自分に連絡を取ろうとした事実はないのではないかと確信する。

 実際、全く連絡などなかったし、自分に未練があったなどの噂も聞いたことがない。

 

「……『じゃあ、兄さんの残したあれは何よ!!』って妹言ってる……あれ? 光彩ちゃんに渡してほしいって言ってた遺品? どこにあるんだ?」

 

「央」

 

 不意に、玻琉が顔を上げる。

 目からレーザーでも照射されているような。

 

「家の中を探せるか? どんな遺品か確認できるか?」