それは唐突にやってきた。
御用列車に乗って、反乱の兆しありと――大した根拠なく勝手に――定めた愚昧な王ローワラクトゥンは、はるかスフェイバ上空に浮かぶ謎の巨大飛行物体を見て唖然とした。
進軍は止まった――あの「船」に攻撃能力があった場合、狙い撃ちになるのはこちらだからだ。
どうしようかとグールスデルゼスと話し合っていた時に、その異変がやってきたのだ。
絶叫と共に、暗君は立ち上がった。
そのまま尾を引くように、扉をたたき壊す勢いで、列車の外へ飛び降りた。
「父上、一体……」
どうしたのですか、という問いは、グールスデルゼスからは発せられなかった。
発することが、できなかったのだ。
彼始め、列車に詰め込まれていた正規軍の面々の見る前で、ローワラクトゥン王は、変身を始めた。
全身を、鱗がくまなく覆った。
肉体のサイズが見る間に十倍以上にも膨れ上がり、首が伸び、ごつい爪が手足の先に発達した。
鼻面が伸び、暴力的な牙が口の中に発達した。
ここまでであったなら。
龍震族なら、誰もが持つ、「真龍形態への変身」であっただろう。
どういうきっかけかは、ともかくとして。
しかし、彼はここで止まらなかった。
更に、肉体が膨張した。
鱗の間から腐った肉汁にも似た汚泥が湧きだし、異臭と共に全身を覆い、穢らわしいアンデッド系の魔物のような不気味な姿に、かつて王だった存在を変えた。
口の中の牙は乱杭歯というのも愚かといった具合に、無茶苦茶な棘ぶすまのように飛び出し、その皮下組織が剥き出しになったかのような頭部に更に不気味な色を添えた。
目は大きなカタツムリのように眼窩から飛び出してうねる。
背骨と尾骨にそって、異様に発達した骨の棘が、ぞろりと並んだ。
「ち、ちちう……」
え、という言葉も、グールスデルゼスは発せられなかった。
元ローワラクトゥン王のうじゃじゃけた表面から、ずるりと奇怪な「何か」が飛び出して、弾丸の速度でグールスデルゼスに襲い掛かった。
喉笛を食いきられ、声もなくグールスデルゼスが絶命する。
ほとんど首の肉を食い尽くした「それ」が顔を上げた。
目も鼻もなく、サメの歯をもっと巨大にしたようなぞろりとした牙を持ち、古代の魚のような滑らかな半身をうねらせて宙に浮く、その不気味な魔物らしきもの。
それが、ローワラクトゥンだった腐敗龍の肉体のそこここから無制限に生み出されつつあった。
正規軍は、大混乱に陥った。
腐敗龍から生み出された人食い魔物は、周囲の正規軍軍人に、手当たり次第に襲い掛かり、食い殺していった。
不意を突かれたのもあるが、その速度と獰猛さに、さしもの龍震族の精鋭たちも歯が立たない。
どうした訳だか、彼らの武器は、冷兵器にせよ火器にせよ、全く効果を発揮しなかったのだ。
更には近付かれるだけで、まるで何日も不眠不休で働かされたかのように心身の力が抜け、ほとんど反撃もままならぬまま、蹂躙されたのである。
ものの十五分としないうちに、正規軍は本来なら最高司令官であるはずの王から生み出された怪物の手によって、ほぼ全滅した。
◇ ◆ ◇
周囲の街は、大混乱に発展した。
不気味な魔物が飛び交っている、そして腐敗龍がいる地域は、ルゼロス正規軍がいる狭い地域ではあったが、いつそこから魔物が這い出てくるか分からない。
悪夢の亡霊のようなその光景に、地元住人が逃げ出す準備を始めた頃。
腐敗龍が、自ら生み出した魔物を連れ、天空に浮き上がった。
臭い汚泥が飛び散り、地面を汚染しながら、腐敗龍の翼が羽ばたく。
およそ役に立たないであろうと思われるぼろぼろの翼でも、腐敗龍の巨体を天空に舞い上げた。
何故、ローワラクトゥン王が腐敗龍になぞなったのか。
生み出された不気味な魔物どもは何か。
何一つ理解することができる者を残さぬまま、怪物たちは、スフェイバへ向けて飛び立った。
――すでに何故スフェイバに向かっていたのか、恐らくは意識しないまま。
彼らは、脳裏のどこかにこびりついた敵意と悪意だけに突き動かされ、その地を目指した。
ふと。
前方から、まばゆい光が飛来した。
それは太陽に輝く真夏の雲か。
それとも、朝の最初の光を地平線から投げかける、太陽そのものなのか。
腐敗龍とは対極の、どこまでも清らかに輝くその巨大な龍体は、純白の色をしていた。