9-7 手紙に関するエトセトラ

「さて、本日の会議は他でもない。わらわの元に本日昼間届けられた、ルゼロス王国の新王、オディラギアス王の親書についてじゃ」

 

 御前会議用の特別な会議室。

 いつになく緊迫した、玉座の上のアンネリーゼの声に、集まった面々は顔を見合わせた。

 

「母上。ルゼロスから使者殿らがおいでになった、母上が親書を受け取られたのは存じ上げておりましたが、そちらが緊急会議が必要なほどの内容であったのですか? 一体何が記されていたのです?」

 

 そう質問の口火を切ったのは、会議用長机では一番の上座に座っている、女帝によく似た深紅の髪の美男子。

 この国の皇太子にして、女帝の長男、ラーファシュルズである。

 王侯用のフロックコートを纏い、優雅に波打つ髪を古風に男性用リボンでまとめている。

 一見優男だが、良く見れば体格は逞しく均整が取れているし、口調の端々に知性が感じられるタイプだ。

 

「まさか、我らの今までの対ルゼロス政策について、何かボロが出たのでは……」

 

 ラーファシュルズの向かい側に座っていた、赤みがかった金髪の年若い美女が口にした。

 女帝によく似た豊満な体つきを、きっちりした軍服に包んでいる。

 ちらりとその視線が下座のミーカルに向かうが、彼は珍しくそわそわした様子で気付いていない。

 

「確か、オディラギアス王のところから転ばせていた執事のマディーラウス氏が、自分がニレッティアのスパイと認めた上で、獄中で自殺したとか……この情報が確かなら、相当恨みを買っていましょうな……」

 

 やや男性的なきっちりした口調のその言葉に、初めてミーカルが顔を上げた。

 顔に苦い影がある。

 彼をスパイに仕立て上げたのは、ミーカルの前任者だが、情報収集のみならず、露骨にオディラギアスの待遇に影響が出るようなことを仕掛け始めたのはミーカルだ。

 オディラギアスがスフェイバに流される原因だって、密かにミーカルが手を回したからである。

 

「ふむ、半分は当たっておるぞえ、ウェルディネア。確かに、そういったものについての、かなり厳しい苦言もあった。しかし……」

 

「しかし?」

 

 母の言葉に、今は軍部に所属している第一王女ウェルディネアは秀麗な眉をひそめた。

 

「だからといって、それを盾に、我らニレッティアを下に置こうとは思っていないようなのじゃ、オディラギアス王は」

 

 は? という言葉は、第一王女ばかりか、下座に座っている国の中枢の面々からも洩れた。

 かの王は、馬鹿なのだろうか。

 

「……親書には、我らがかの王を捕えた時には聞きだし切れなかった、あの六名の方々の旅の目的が書いてあったのじゃ」

 

 ざわりと、室内の空気が変わった。

 

「陛下? 旅の目的とは一体」

 

 内務大臣ベイリンがモノクルを光らせた。

 

「……要約すると、あの六名の方々は、全ての知識を神々から与えられるという秘宝『全知の石板』を餌にされて、神々の名代として、この世界で旅をしていたらしいのう。大層なお役目じゃて」

 

 一瞬、誰もが意味を取りかねた。

 

「陛下、それはどういう意味ですかな? 神々の名代というのは、つまり」

 

 パイラッテ将軍が唸るというより呻くような声を上げた。

 

「要するに、神々同士が今までは仲たがいしていた訳なのじゃ。我ら神聖六種族の間にいさかいがあったのは、その反映に過ぎぬ。神々同士は神界におわすのじゃから、互いに謝れば済むが、膨大な数に上る六種族はそう簡単にはいかぬ」

 

 アンネリーゼは、面白くてたまらないという顔で、手紙に記されていた内容を繰り出した。

 彼女の息子と娘、ラーファシュルズとウェルディネアは知っている。

 これは、母が自分たちに、奇妙な昔話をしてくれる時にしていた顔と同じだと。

 

「そこで、六種族から一名ずつ六大神の名代たる英雄を選んで、彼らに六種族同士の関係修復を賭けた訳じゃな。あの方々が種族の垣根を超えた友情、愛情というものを手に入れられたら、この作戦は成功という訳じゃ。かくして、神聖六種族同士の争いをやめるため、かの王はニレッティアを断罪なさらぬ」

 

 ふうっと、誰かが息を吐いた。

 

「そして、ついでにのう。いやまあ、大成功じゃな、これは」

 

 一瞬、妙に暖かい失笑とでもいうべきものを見せた女帝に、臣下の者たちは奇妙な表情を見せた。

 

「母上?」

 

 皇太子ラーファシュルズが怪訝な顔をする。

 

「招待状は、また別に送ると仰せではあるが、報告として」

 

 くすくす笑いながら、女帝が首を振る。

 

「オディラギアス王とレルシェント殿下が、ご結婚あそばされるそうじゃ」

 

 その言葉に、ぞっとした気配を放ったのはミーカルだけ。

 他の面々は意外さを見せつつも祝福ムードだ。

 

「そして同時に、あの六名の英雄の残り四名、つまり、オディラギアス王の腹心、蛇魅族出身ゼーベル公と我が国のフォリューン村出身の妖精族マイリーヤ嬢、そして、同じく我が国出身の人間族ジーニック公と、フォーリューン村の獣佳族イティキラ嬢もな?」

 

 まさか、と、思わず口を挟んだのは、今まで黙っていた情報長官ミーカルだった。

 

「異種族同士の婚姻ですと? それも、王族と側近に採り立てられている貴族が? そんな簡単に……」

 

「それがのう、意外とルゼロス国内では祝福ムードだそうじゃ」

 

 しれっと、女帝はそう応じた。

 

「何せ、レルシェント殿下は、遺跡解放のきっかけを作って下さった救国の聖女という扱い。それに、かのお方のとりなしがあったからこそ、ルゼロスは魔導武器始め、メイダルの技術を安全に享受できる体制となった。感謝こそすれ、反対の理由はない訳じゃな」

 

 それに、と、女帝は付け加えた。

 

「実際にルゼロス国内に大量に移民してきた、龍震族と霊宝族の混血種族、寿龍族というそうじゃが、彼らの強さ美しさに、一般龍震族が憧れるということがあってのう。自分も霊宝族と婚姻して、寿龍族の子を、と、移民してきた霊宝族を狙う独身龍震族が後を絶たぬそうじゃ」

 

 霊宝族移民の方々の苦労がしのばれるわい、と、自分もかつては色々な者に追いかけ回された記憶のあるアンネリーゼは苦笑した。

 

「さて。ここまで説明すれば、あちらではなく、我が国の問題がどこにあるか、分かっているであろう? のう? ミーカル?」

 

 顔では笑いながら、そしてその美しい緑の目は全く笑わせず、女帝アンネリーゼはミーカルを見据えた。

 ミーカルが腹でも殴られたように身を屈める。

 

「……母上。情報長官は何を?」

 

 満面に嫌な予感を浮かべて、ウェルディネアは一瞬ミーカルを見、そして実母に視線を戻した。

 

「ミーカル。わらわに隠していることがあるであろう?」

 

 普段からは信じられないくらいに冷厳な口調で、アンネリーゼは配下に詰め寄った。

 冷や汗の粒がくっきり、彼の頬に見えていた。

 

「……あの尋問の時。そなた、レルシェント殿下に何をしでかした?」

 

 不穏な気配が場を満たした。

 

「……どういうことだ、ミーカル殿?」

 

 よそよそしく厳しい疑いの目で、パイラッテ将軍は隣のミーカルを睨みつけた。

 

「私は……その、尋問の効果を上げるために必要な措置を」

 

 しどろもどろに弁明を口にするミーカルを、女帝は剥き出しの刃のような冷たい目で見据えた。

 

「尋問の効果を上げるため、この文明国たるニレッティアで、他国の神聖かつ高貴な女性に性的な拷問を? ふざけるのも大概にしや、ミーカル」

 

 断頭台のような声に、ミーカルはまさにがっくりと首を落とした。

 ぎょっとしたような、極めていたたまれない気配が、室内を荒れ狂う。

 

「ミーカル、一つ良いことを教えてやるぞえ?」

 

 目だけ笑っていない怖い笑顔で、アンネリーゼは更に続けた。

 

「レルシェント殿下の御父君というお方はのう、メイダルの大司祭様のご夫君で、そして職業が『呪厭師(じゅえんし)』というものであらせられるそうじゃ」

 

 ぱちぱちと、ミーカルが瞬きを繰り返す。

 

「陛下、それは……」

 

「呪厭師というのはのう、要するに、魔法王国メイダルの許勅を受けた、魔術的捜査官かつ刑吏だそうであるとのことよ。平たく言うと、我ら霊宝族の血を持たぬ者では防ぎようがないくらい、強烈な呪いを悪人にかけて罰するのじゃそうな」

 

 一気に、ミーカルの瞳孔が収縮した。

 ここまで説明されれば、自分が今何に曝されているのかくらいは分かる。

 

「まさか……まさか、ルゼロス王族の不審な死にざまは……」

 

「さぁてのう? 親書には、そこまでは書いておらなんだわい。しかし、十分に考えられることであるし、それに」

 

 ふう、とアンネリーゼは初めてわずかな憐れみを見せた。

 

「……娘を穢した相手を、そこまでのことができる凄腕のお方が、放置すると思うかえ? わらわだったら、親として捨て置かぬわいな」

 

 ミーカルの浅黒い顔は、青ざめ過ぎて石のような灰色に見えた。

 

「……悪いが、ミーカル。このニレッティア帝国は、そなたのような下劣漢と心中してやる訳にはいかんのでな」

 

 きっぱりした女帝の言葉に、ミーカルはがくりとうなだれた。

 

「今すぐこの場で、そなたを更迭する。一時間以内に、私物をまとめて出ていきや。そして、許しがあるまで、自宅から出ることはまかりならぬぞえ」

 

 のろのろと、まるで生気のないアンデッドのように、ミーカルは立ち上がった。

 

「……パイラッテ将軍。ミーカルに二名の兵を、監視として付け、自宅に送り届けよ」

 

「はっ」

 

 苦い表情のまま、パイラッテは背後の兵に合図を送った。

 一応、情報局と軍部は近しい。

 同情もないではないが、こればかりは政府中枢の人間としてまず過ぎる。

 

「しかし……この状況で、情報局長官が空席というのはまずくはありませぬか、陛下」

 

 恐れながらと前置きして、そう苦言を呈したのは、内務大臣ベイリン。

 

「空席にするつもりはないぞえ。……ウェルディネア」

 

 実母に名を呼ばれ、彼女の成人した二人の子のうちの一人であるウェルディネア王女は、はっと顔を上げた。

 

「そなたがたった今から情報長官じゃ。軍部で必要な訓練を受けておる、そして自制が効き、わらわを裏切る理由がない。今からそなたに国の諜報活動の全てを任す。良いな?」

 

「は、はいっ!!」

 

 興奮にきらめく目は隠せないまま、新情報長官ウェルディネアは受け入れた。

 

「さて……この体制で、ニレッティアは、ルゼロス、そしてメイダルとの新たなる国交を望む。そのことで、そなたらに意見を聞きたい」

 

 自信に満ちた豊かな声で、アンネリーゼは、満座を見回した。