2 米軍基地

 ――目標確保。身分証から、本人に間違いありません。

 

 うっすらした意識のあわいから、そんな声が響いてくる。

 

 ――神性確認。「旧き龍」の波長です。

 

 どういうことなんだろう。

 そう思うまでもなく、佳波の意識は完全に闇に呑まれた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 ぼんやりと、意識が浮上した。

 

 ふわりと暖かい。

 清潔なリネンの匂い。

 

 どうにか、目を開く。

 飛び込んできたのは、本来明るい色合いであろう天井だ。

 ごく淡く落とされた照明が点いていて、どうにか周囲が確認できる。

 

 一言で言って、見知らぬ部屋だ。

 天井はやや高く、日本の一般的家屋というより、どこか欧米の公共施設みたいな雰囲気だ。

 

 一瞬で現実が戻ってきて、佳波は身じろぎした。

 ぞわりとする雰囲気。

 自分はどこに連れてこられたのだろう。

 

「カナちゃん!!」

 

 起き上がろうとすると、足元から聞きなれたにゃあにゃあ声が響いた。

 見ると、ポトがいる。

 

 ……いやぁ、幻覚というのはしつこいものだ。

 こんな時にまで、猫がしゃべるっていう状況を用意してくれる。

 

 なんだか気抜けした佳波がのろのろ起き上がると、ポトがベッドの上を近づいてきた。

 

「カナちゃん、言ったにゃあ。何とかなるって」

 

 そう言われて、佳波はぼんやりと今までのことを思い返した。

 ついに追い出された自宅、寄る辺ない身の上。

 

「ああ……なんとかはなったのかあ。ここ、病院? ついにどうにかなって、病院に突っ込まれたってところかあ」

 

 確か、そういう制度があったんじゃなかったっけ、と佳波は思いだした。

 ここは個人の邸宅っていう雰囲気ではない。

 病院だと思えば納得がいく。

 そういえば最寄りの総合病院が最近改築されたっけ。

 多分、そこなんだろう。

 

「病院じゃないにゃあ。もっと、凄いとこ。窓から外、見てみ」

 

 佳波は怪訝な顔で、飛び降りたポトに従ってベッドを降りた。

 いつの間にか、衣服が綿のロングワンピースみたいな部屋着になっていた。

 誰が着替えさせてくれたのだろうと気になったが、多分詮索しても無駄だと判断し、そのまま窓辺に近づく。

 一定以上の幅に開かないようになっている、その窓に近づいて。

 

「……なに、これ!?」

 

 そこに広がっていたのは、一見日本国内でないような光景だった。

 土地に余裕をもって建設された重厚な施設群は、その間の道路を走り回る軍用ジープから、明らかに軍事施設とわかる。

 三階ばかりの高さの窓から見下ろせば、あちこちに、米軍らしき軍服を着用した筋骨たくましい白人や黒人が道を行く。

 遠くに目をやれば、くすんだ青の海が広がり、点々と空母や駆逐艦らしき船が係留されている。

 

「ここ……」

 

「米軍基地にゃあ。横須賀海軍施設だって、あの兄ちゃんは言ってたにゃ」

 

 佳波は目を白黒させた。

 そういえば、あの男性。

 外国人だと思っていたら、米軍関係者だったのか。

 一体、あの時何が起こったのだろう。

 どうして、あの人物は、自分を米軍基地になんか連れ込んだのか。

 

「それからにゃあ。あっちの、鏡、見てみるといいにゃ」

 

 ポトが、右奥の壁際を向いてにゃあと鳴いた。

 みると、洗面台らしきものがある。

 けっこう、大きめの鏡。

 

 近づいて。

 

「うわぁああああ、いやぁ、コスプレ趣味はなかったはずなんだけどなあぁぁああ!!」

 

 珍妙な声を上げて現実逃避しないとやってられない光景が存在していた。

 鏡に映った、九良賀野佳波の姿が、変わっていた。

 正確に言うと、目と髪の色が、か。

 CDの表面のような、つやつやした虹色の髪の毛。

 同じような色合いの、虹彩。

 しかも。

 何かもっと別の違和感を感じるなと思ったら、瞳孔の形が。

 蛇のような、縦長になっているのだ。

 

 おまけに。

 こう、なんというか。

 やたらに色っぽく見えるのはなんでだろう。

 元からグラマーな体形ではあったが、単にそれに留まらず。

 淫猥とさえいえるような危険な色香が漂っている。

 妖美と言おうか。

 

 なんだこれ……誰だ。

 私か。

 へえ。

 

 いっそ面白いという気になって、佳波はくすくす笑った。

 脳みそがおかしくなったと思ったら、ガワまでおかしくなった。

 いや、面白い。

 運命ってやつは、どこまでも私を振り回す気らしい。

 

「落ち着くにゃ。カナちゃんのそれ、カナちゃんの本来の姿にゃ」

 

 ポトに言われて、佳波はようやく引きつった笑いを収めた。

 

「ねえ、ポト。どうなってんの? これも幻覚!?」

 

「幻覚じゃないにゃあ。そもそも、カナちゃんは病気じゃないにゃあ。今まで幻覚だと思ってたことは、みんな現実にあったことにゃ。天狗も河童も、存在したにゃあ」

 

 ポトが妙に冷静な声で、そう諭した。

 

「わたいが喋ってることもそうにゃあ。カナちゃんの能力が、普通の人間には理解できないから、病気ってことにされただけにゃあ」

 

 唖然とする佳波を真正面から青い目で見つめ、ポトは断言した。

 

「カナちゃんは、『旧き龍の娘』にゃ」

 

 ……。

 本格的に、しんとした。

 なんだその中二っぽいのは、というのが、佳波の正直な心境だ。

 

「大昔に、人間の中に神様の血って混じってたにゃあ。カナちゃん、そういう話、好きでよく読んでたにゃあ」

 

 ああ、好きだ。

 書籍でも、ネットのオカルトマニア向けサイトでも、よく読んでいた。

 例えば、常陸国風土記の、クレフシ山の龍神の話。

 

「代を重ねるにつれて、血は薄まっていったけど、何かの拍子に先祖返りして、人から神になる人がいるにゃあ。カナちゃんはそのパターン。しかも、返った先祖っていうのが凄いお方にゃ」

 

 それがわかったから、一介の猫又に過ぎないわたいも、とりあえずお守りしてたにゃ。

 そう言われて、佳波は唖然とするしかない。

 

「凄いお方って……」

 

 その時。

 部屋のドアが、ノックされた。

 

「やあ、お早う。驚かせたようで、すまないね」

 

 にこやかに入ってきたのは。

 あの、あかがね色の髪の男性だった。