5-12 脱出

 ふっと、天井近くに取り付けられた電気灯が消えた。

 外はもう夜だったのか、室内に闇が訪れる。

 

「どういうことだ、状況の確認を!!」

 

 鋭くミーカルが叫び、アンネリーゼがおや、というように顔を上げた。

 暗闇の中でも魔力で独自の視界を確保できるレルシェントの目には、アンネリーゼが微笑んでいるのが見えた。

 

「おや、停電かのう? まったく肝心な時に。電気系統の点検の頻度を上げねばならぬかの?」

 

 やれやれと笑いを含んだ声だが、その底に緊張も読み取れる。

 

 レルシェントは、ぴんときた。

 

「申しあげます!!」

 

 泡を食ったニレッティア武官が、部屋に飛び込んできたのはすぐだった。

 

「地下牢に閉じ込めていた囚人たちが脱走しました!! こちらへ向かっています!! 陛下、すぐに退避を!!」

 

 いきなり放たれた警告に、アンネリーゼの顔色が暗闇の中で変わった。

 

「どういうことじゃ。よもや全員逃げ出したというのかえ!?」

 

「はい。しかも、何故か全員、例の武器を取り戻しており、手が付けられません!! 危険です、今すぐ退避願います!!」

 

 オディラギアスは暗闇の中で怪訝な顔を見せた。

 

「レルシェ……」

 

 低い声が、レルシェントに向けられる。

 

「具体的に何かは分かりませんが、何らかの助けがあったのですわ」

 

 低い囁き声で、彼女は返した。

 

「待ちましょう。恐らくはそれが一番良いはず」

 

 その声が耳に入ったのか、アンネリーゼがちらと振り向く気配がしたが、しかし、彼女の決断は早かった。

 

「ミーカル」

 

「は」

 

 ミーカルが緊張感のある返事を返す。

 

「ここは任せたぞえ。良いようにはさせるな」

 

「はは」

 

 しかし、その直後。

 ミーカルの体が、闇の中でぐらりと傾いだ。

 そのまま、まるで棒切れが倒れるように無造作に、ばたりと転倒する。

 

「!? ミーカ……」

 

 臣下の名前を、アンネリーゼは皆まで呼べなかった。

 彼女もまた、貧血に襲われた人のように、脱力して崩れ落ちる。

 同時に部屋の中にいた十人近いニレッティア側の者たちが、ばたばたと糸の切れた操り人形よろしく崩れ落ちた。

 

「……!? これは!?」

 

 あまりの急な出来事に、闇の中でオディラギアスは呆然としていた。

 周りには累々と、この王宮に属する者たちが無防備に横たわる姿。

 呼吸音らしきものは聞こえるので、死んでいる訳ではないと分かるのだが、いきなり意識不明になった理由が分からない。

 

「……これは多分、感知できる魔力から察するに……ゼーベルさんですわ」

 

 レルシェントが、闇の中ですいっと立ち上がった。

 その額の石が、本当に宇宙の星々を思わせる燐光を放っている。

 

「ゼーベルだと? まさか……」

 

 オディラギアスは流石に混乱する。

 ゼーベルは、他の三人ともども魔導武器である殷応想牙を奪われた状態のまま、地下牢に連れて行かれたはず。

 その彼がこうした力を振るうには、その魔導武器を取り返し、かつ地下牢から脱出してこの近くに来ているからとしか思えない。

 しかし、何故彼はそんなことができたのだ。

 まさか、彼がこの王宮に協力者がいるとも思えない。以前聞いたところでは、ルゼロス王国から出たことはないと確かに言っていた。

 

 推測もできないでいる間に、複数の足音が扉の外から近付いてきた。

 

「オディラギアス様!! レルシェ!! 無事ですか!?」

 

 ばしんと扉を叩き開けて雪崩れ込んできたのは、ゼーベル始め、地下牢に捕まっていたはずの仲間たち四人全員。

 暗闇のなかでも声とシルエット、そしてレルシェントには魔力の波長で、それが判別できた。

 

「みんな……!? どうしたの、と訊くのは後ね……」

 

 レルシェントは、床にころがっているニレッティア王宮の人々を足で押しやったりまたいだりしながら近寄って来る仲間たちを唖然と見やった。どうやら、本物だ。

 

「へへへ、この殷応想牙は応用範囲広いな!! 催眠作用のある毒をばらまけば、あっという間に周囲一帯の連中を眠らせられるんだからな。感謝してるぜ、レルシェ」

 

 ゼーベルは手の中の長い太刀で彼女と主を傷つけないように、それを背中の鞘に収めた。

 

「さて、オディラギアス様!! 無事も荷物も取り返してあります、こんな場所はさっさとおさらばしましょうぜ!!」

 

 凶暴な喜びに沸く声でそう誘うゼーベルを、オディラギアスは安堵の溜息で迎えた。

 

「いやはや、何が起こったのかさっぱり分からぬが……それどころではないな……」

 

「そういうこと!! 早く逃げよ!! 新手が来たら面倒だから!!」

 

 そわそわした声で言い掛けるのは、マイリーヤだ。

 

「あたいのせいじゃない~~~、ファンブルしたのは、あたいのせいじゃない~~~……」

 

 一見意味不明なことを呻いているのは、間違いなくイティキラだ。

 

「さ、オディラギアス様、レルシェちゃん、これを!!」

 

 暗闇の中で手に荷物と魔導武器を押し付けてきたのは、ジーニックで間違いないだろう。

 

 荷物を纏い、武器を装備すると、元の力が戻ってくるのを、レルシェントもオディラギアスも感じた。

 

 何だか気の毒のような気がしてきて、ほぼ昏睡に近いような眠り方をしているアンネリーゼ始め王宮の面々を、彼らはそうっと避けるようにして出口に向かった。

 

 扉から出た廊下は、窓から入って来るガス灯の光でうっすら明るく、互いの顔が判別できた。

 

「さあて、出口は……」

 

 ゼーベルの言葉に、レルシェントは首を振った。

 

「いいえ。動き回るより、一番近い窓から出ましょう」

 

「ほえ?」

 

 マイリーヤが首をかしげる。

 

「飛空船を窓の外に出すわ。行きましょう」

 

 レルシェントの言葉と共に、一行は一番近い窓に走った。

 内側から鍵を開けて窓を開け放つ。

 都会の喧騒を思わせる、夜風の匂いが鼻をくすぐった。

 人いきれ、ガソリン、ガス、かすかに屋台の食べ物の匂いや盛り場の香り。

 

 レルシェントは、淡く照らされた夜闇の中に、荷物からまさぐり出した、小さな船の模型を浮かべた。

 と。

 それは、一瞬で、大型の漁船くらいの大きさに拡大し、宙に浮かんだ。

 

「さあ、早く!!」

 

 レルシェントは後続の仲間たちを促しつつ、船に飛び降りた。

 魔力で支えられた船は、しっかりと彼女の体重を受け止め、揺らぎもしない。

 オディラギアス始め、仲間たちが次々と船に乗り込む。

 

「行きますわよ!!」

 

 レルシェントは魔力を通じて、その船に命じた。

 主の命に従って、飛空船は夜空へと舞い上がり。

 そのまま高度を増しながらスピードを上げ、見る間に夜空の彼方へと飛び去った。