3-2 怪物

「それ」は、全長にして100m近くはあるのではないかと思わせた。

 

 周囲の高層ビルの比較からして、そう判断せざるを得ない。

 黒い歪みは空中髙くから地上近くまで伸びており、「それ」はその穴をくぐって悠然と巨体を現わす。

 

 全体的には、「とてつもなく巨大な骨で作り上げた、戦車と龍の合いの子」といった形状である。

 長い首の先には、眼窩の中で蒼い陰火を燃やす髑髏が付いており、周囲を睥睨している。

 長く、連結された列車よろしく伸びている胴体は、骨でできた死神の車のようだ。

 胸腔もしくは腹腔に当たる部分には、燃える闇と言うべき何かが詰めこまれ、蠢いている。

 やはり骨でできた車輪に当たるものが両の側面に並んで付いており、移動するごとにがらがらと牛車めいた音をたてているのだ。

 前部には、長い爪の付いた奇怪な腕が二対並び、何かを求めるように宙を掻く。

 周囲のビルをなぎ倒し穴を穿ち、それは轟音と共に進撃する。

 

「これは……!!」

 

「ア、アマネ!?」

 

 アマネ、エヴリーヌは、ほぼ同時に足元がぐらつき、屋上の床に昏倒する。

 

 アマネの背中を突き破って、元の翼より大きな、翼状の突起が出現する。

 ただし、羽毛はなく、野放図に繁茂した植物のように、ごろりとした肉で覆われた突起が際限なく伸びていく。

 痛ましい赤紫に変色した肉は、次第に黒ずんで……

 

 エヴリーヌの鳥の脚が、こちらも際限なく伸び始める。

 伸びるにつれ関節が増え、通常の生物にはありえない不条理な形態が広がっていく。

 無意味な器官で覆われた奇形化した脚が、あわや屋上の端にまで届きそうになる。

 

 と。

 

「これで大丈夫。しっかりなさって下さい。まだ、あなた方のお力は借りたいですから」

 

 ふと、闇路が、アマネとエヴリーヌの額に、順に指を触れさせる。

 途端に、異様に変形していたそれぞれの体の一部が、まるで時間を逆に回したように、収縮し消えていく。

 ほんの数瞬あとには、元の異形の美を備えた人外二人。

 

「申し訳ありませんがお手伝いいただけませんか。あれは、変わり果ててはいますが、息子の涼です」

 

 陰鬱な、何かを抑え込んでいる口調と共に、闇路はじっと迫りくる骨の怪物を見やる。

 

「ああいう形態は、我ら日本産吸血鬼の最終兵器でしてね。本来は数十m程度なのですが、あの子は明らかに何かの理由でタガが外れている。……外されている、と見るべきでしょうか」

 

 アマネとエヴリーヌは、暗澹たる表情で、その世界を破壊するために放たれた怪物に視線を注ぐ。

 驚愕より恐怖より、浮かぶのはあの人の好さそうだった、涼の顔だ。

 

「……あれが彼で、本来の限界を超えて大きさや能力が拡張されているっていうんなら、絶対に『マリー=アンジュ』が使われているはずよ。さもなければここまで強大化するのはおかしいわ」

 

 見ている目の前で、街路樹はボロボロの乾いた塊と化して崩れ去り、生き残った人間が死んでいった痕跡であろう、強烈な腐敗臭が風に巻き上げられてくる。

 変わり果てた涼を中心に、生きとし生けるものの存在を許さぬ地獄が広がっていく。

 

「すると、恒果羅刹も近くにいるやも知れん。涼自身をどうこうするより、恒果羅刹から『マリー=アンジュ』を奪い返して、涼への魔力供給を断つのが得策だ」

 

 アマネは早口で推理し、素早く方針を提示する。

 それしかないと、誰もがわかっている。

 

「……どちらか、『マリー=アンジュ』を察知することはできますか?」

 

 明確な道筋を示されたことで、心強くなったのだろう。

 闇路の声には生気が戻っている。

 

「あたしなら、おばあちゃんの気配を察知することはできるわ。母さんを除けば、世界の誰より私がおばあちゃんの気配に敏感よ」

 

 エヴリーヌが断言すると、闇路はうなずく。

 

「私が、涼を引き付けておきます。その間に、お二人で『マリー=アンジュ』と恒果羅刹を捜索してください」

 

「……それしかあるまい。なるべく涼を動かすな。あの病を撒き散らす状態で動き回られたら、関東一帯壊滅、恐らく後はその外にも、だ」

 

 すぐ近くに海。

 下手をすれば、涼の撒き散らす悪疫は、海流に乗って太平洋沿岸地域全てに拡散されかねない。

 

「……時間がない。行くぞ、エヴリーヌ」

 

「ふう。吸血鬼さんも、無理しないでね」

 

「ええ、加減くらいできますよ。お二方こそ、お気をつけて」

 

 アマネ、エヴリーヌが飛び立つ。

 その姿を見送った闇路は、軽く息を吐いて、涼だったものに向き直る。

 

「……見捨てはしません。もし駄目だったら……君と一緒に世界も逝くので、寂しくはないでしょう。でも、私が寂しい」

 

 自分にしか聞こえない声で呟き、闇路は吸血鬼特有の、見えない糸で吊られているような奇妙な滑らかさで飛び立つ。

 

 目の前にやってきた、恐らく今の彼から見れば豆粒のような姿の吸血鬼に気付き、涼は荒っぽく唸る。

 その声も、骨が軋むような不気味さ。

 

「涼。おいたはおやめなさい。吸血鬼たる者、考えなしに目立つやり方は控えるべしと、教えたでしょう?」

 

 吸血鬼としての父の声の意味が取れたものかどうか。

 いまや世界に死刑宣告を下す巨大な怪物は、ぐりり、と、陰火でできた目玉を蠢かせた。