44 真砂と天名vs.冴祥と暁烏

「お久しぶりです……というほど、時間は経っていないはずなんですけどね。随分永くお会いしていない気がします」

 

 冴祥が、鏡の林に囲まれながら、穏やかに笑いかける。

 真砂も天名も、とうにわかっていたかのように自然に構えを取る。

 暁烏は流石にいたたまれないように、気配を殺してはいる。

 

「ここはあれだ。『悲しんでやろう、お前の最期を!!』ってキメるところだねえ。いやあ、一度言ってみたかったんだコレ」

 

 真砂の纏う雲が、さながら夏雲のように湧き出し始める。

 海の空に広がるように、雲の壁が一帯を覆い始める。

 

「裏切者の木っ端商人めが。わざわざ私の目の前に出て来たということは、首を差し出す覚悟ができているということだな?」

 

 天名は、華麗な扇を優雅に広げる。

 それがどれほどの力を秘めているか、彼女と少しでも行動を共にしたなら理解できる。

 

「まあまあ。そんなにいきり立たないでくださいよ。ちょっとお話合いに来たんですよ」

 

 身をすくめる暁烏と対照的に、雲に取り囲まれながらも、冴祥は蠱惑的な笑みを崩さない。

 

「まぼろし大師さんのところに、来ていただけませんか? 百合子さんも、ナギさんもいらっしゃいます。彼女たち、天名さんと真砂さんはどうしたのかってご心配されて」

 

「地質調査用の機械でボーリングできそうな面の皮の厚さには感心するけど、今回の場合は下手だな。こういうことになる」

 

 真砂が断言すると同時に、幻妖に輝く雲が、冴祥と暁烏を完全に囲い込む。

 柵の中の羊のように、冴祥と暁烏は、恐るべき雲の中に取り残される。

 

「えっ……この雲……?」

 

 暁烏は思わず目と鼻の先の雲をしげしげ見つめる。

 

「それに触れるんじゃないぞ。相当まずいみたいだ。流石真砂さんだな」

 

 冴祥が軽く顎をしゃくった先を見た暁烏は息を呑む。

 

 冴祥の、あの万能の鏡が。

 きらきら輝く雲に溶けていっている。

 

 まるで超高速振動で粉砕されているかのように、鏡はダイヤモンドダストのような微細な粒子となり、雲に溶けて消えて行こうとしている。

 冴祥は抵抗しようと意識を集中しているようだが、今や周囲に展開していた粗方の鏡が溶けてしまっている。

 

「えっえっ……何だよこの雲!! 大将!!」

 

 暁烏が咄嗟に本体である太刀を引いて雲から庇い、手足を縮める。

 剣圧で吹き飛ばせるかと思い切って振り抜くが、雲に触れた途端に剣風は軽く表面を攪拌しただけで、嘘のように消滅する。

 後はじわじわ迫りくる雲が残るばかり。

 

「まずいな。真正を映す鏡が通じない、ということは、この雲、もしかして『無の雲』か」

 

 困ったな、と冴祥は乾いた笑いをこぼすしかない。

 

「大将? 無の雲って?」

 

 暁烏はじりじり迫りくる雲から逃れるので精いっぱいだ。

 

「この鏡が数霊はじめ、この世界の秩序を明らかにした上で自由に操るのは知ってるだろう? これはいつだか説明したよね?」

 

 冴祥は、一見落ち着いたような声で、弟子に解説を始める。

 しかし、声の奥底に、黒く冷たく凝った恐怖が横たわる。

 

「でも、『無の雲』は、文字通り、そうした法則とか秩序とかが存在しない、『何もない』と同時に『全ての根源』でもある状態だ。『原初の混沌』って表現すればイメージしやすいかな?」

 

「えっ……それってつまり」

 

 暁烏は今や冷や汗を流している。

 太刀も汗をかくものか。

 

「数霊も真正の光も、聖なる太刀風も通じない。全てが無に帰す。鏡も刀もね」

 

 ヒエェ、と暁烏の口から悲鳴が漏れる。

 

「何ですかそれ。真砂さんて何者なんですか!? 真砂さん以外の雲母妖に会ったことないけど、雲母妖ってそういうことできるんですか!?」

 

 冴祥は弟子の悲鳴に笑うしかない。

 

「真砂さん以外の雲母妖がそこまでできるって聞いたことないな。敵に回すのに最悪の人を選んだかも知れない」

 

「そういうことだ、ついでに私の風はこうなる訳だ!!」

 

 いきなり。

 無の雲の中から、上空に飛び出して来た天名が、一気に扇を打ち振る。

 

 竜巻。

 うねる鎌首をもたげた龍のような竜巻が、まっすぐ冴祥と暁烏を巻き込む。

 

「……!!」

 

 声もない。

 彼らは抵抗の余地もないまま、一瞬で掻き消える。

 

「ふう。やれやれ、消えたか」

 

 輝く無の雲の中から、真砂が姿を現す。

 

「お前の怪しげな雲が役に立ったな。流石にあやつらは面倒だったが」

 

 天名が、地上に降り立つ。

 

「しかし、あやつらを消してしまったのはまずかったな。まぼろし大師の元へ案内させればよかったかも知れない」

 

 相棒の言葉に、真砂は渋い表情でうなずく。

 

「まあ、彼らの場合は消すしかな……」

 

 そこで、言葉が止まる。

 

「おい。あれは?」

 

 天名も気付く。

「原初の混沌」が引いた地面の上の、一面の鏡が転がっていたのだ。

 

「これは?」

 

 真砂が、思わず近づいて、その鏡を覗き込む。

 綺麗に磨き上げられた鏡の表面には、覗き込んだ真砂と天名が映っていたが、次の瞬間。

 

「!! 馬鹿な!?」

 

 天名が叫ぶ。

 そこには、消え去ったはずの冴祥が映っていたのだ。

 彼は鏡の中で笑い……

 

「「!!!」」

 

 一瞬である。

 真砂も天名も、それぞれが、いつの間にか現出した鏡の中に封じ込められている。

 

「秩序がないならね……作り出せばいいんですよ」

 

 転がった鏡のなかから、冴祥と暁烏が浮かび上がってくる。

 

「ふええ、びっくりしたぁ。大将、絶対この人たち、表に出さないでくださいよ」

 

 暁烏が、太刀を鞘に収めてから、いそいそと真砂と天名の封じられた鏡を拾う。

 

「さて」

 

 冴祥が、戦いで乱れた衣服を直す。

 

「予定通り、まぼろし大師さんのところへ行こうか」