誠弥は、目の前で繰り広げられる激しい攻防を、なすすべなく眺めていた。
赤々とした火明かりが、彼の恐怖で蒼白になった顔を照らしている。
小さな家くらいはある巨体に肥大化したレギオンは、紗羅の輝く壁で退路を断たれ、自分たちの周囲に張り巡らされた紅蓮の炎の壁に阻まれて、自分たちに手を出しあぐねているようだった。
それでも、すでに死した頭に「諦める」や「降参する」という選択肢はないのであろう。
果敢に攻撃を仕掛けてくる。
軋むような不快な叫びと共に、レギオンからまるでSF映画の宇宙人みたいな牙を生やした顔だけが、長い首に繋がれて、弾丸のように射出された。
しかし。
「あーらよっと!!」
軽い掛け声と共に、千恵理が舞った。
それはさながら真新しい剣舞のように、刃の軌跡がおぞましい首と交わる。
斬り飛ばされた首が転がり、地面の炎に呑まれて燃え尽きる。
誠弥は、自分の体が、だいぶ楽になっていることに気付いた。
少し前まで、あのレギオンとかいう悪霊に近付かれただけで全身が氷水に漬けられたように寒くなり、頭痛がして気分が悪くなったものだが、紗羅が作り出した炎の熱気と輝きに照らされている間に、それが嘘のように消えていた。
そればかりか、千恵理が神聖な刀を振るうたびに、どういう訳だか自分まで力を注入されているように感じ取れた。
レギオンの邪気を紗羅の法力と千恵理の神刀が祓っているいるのもあるだろうが、自分の霊感には、神仏に類する清浄で神聖な力がプラスに働いているのだと実感できる。
今まで呪わしい一方だった霊感だが、こうして神聖な力の良い影響も受け取れるとなると、決して悪いことばかりではないと、ここに及んで気付かされた。
「不動金縛りの法!! ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン!!」
紗羅が高らかに新たな真言を唱えると、空中に輝く黄金の羂索(けんじゃく)が現れ出た。
飛翔する龍のようにまっすぐレギオンに飛んでいくと、物凄い勢いでレギオンの全身を縛り上げ、ぎりぎりと締め上げた。
羂索は炎を噴き上げ、レギオンを締め上げつつ、ごうごうとその表面を燃やしていった。
不動明王の神聖な炎に包まれたレギオンは、少しずつ小さくなっていく。
「尾澤さん!! あなたも攻撃して、『核』を露出させてください!! このペースならそんなにかからないはず!!」
紗羅が鋭く叫ぶと、千恵理が太刀を持っていない方の手を振り上げた。
「承知!! さあ、市原さん、言いたいことはあるだろうけど、まず出てきて!!」
千恵理が銀の軌跡を描いて神刀を振るった。
まるで雨ざらしになってぼろぼろになった古雑誌が崩れるように、ごっそりレギオンの表面、核を幾重にも覆っているのだろう雑多な悪霊たちが崩れ、崩壊して炎に炙られ消えていった。
一太刀ごとに、レギオンの体積は縮んでいく。
これなら……と、誠弥が思った矢先。
『なんで……ねえ、どうしてなの?』
女の子の、声がした。
レギオンの方から。
今までの獣じみた知性を感じない叫びと違って、人間らしい知性と意志、感情を感じさせる。
「……市原、さん?」
誠弥の小さなつぶやきは、誰の耳にも届かない。
『私が何をしたの? どうして? どうしてあんな目に遭った挙句、死ななければならないの?』
か細い泣き声だが、はっきり聞えた。
『私が悪いの? 特待生なのに部活をやめようとしたから? それだけで殺されるくらい、私は悪かったの……?』
「市原さん!!」
誠弥は、その声の主に向かって叫んだ。
ここで説得しなければならない。
憐憫と共に、使命感が浮かんできた。
「市原さん、聞いてくれ!! あなたをそんな目に遭わせた者たちは、必ず断罪される!! もう、警察に通報したんだ!! 今頃、山の中で、あなたのご遺体が見つかっているはずだ!!」
声を限りに、誠弥は叫んだ。
すすり泣く声が低くなった。
「尾澤さん!! どんどん削って、市原さんを表に出して!!」
紗羅が叫び、自らも羂索を搾り上げた。
もうすでに、レギオンは最初の何分の一かに縮んでいる。
太刀が奔り、炎が舞った。
『誰も私を助けてくれない……』
そこにいたのは、この学校の制服を着た女子生徒だった。
体が青白く発光し、そんな状態でも泣いているのがわかる。
『誰も私のことなんて考えてくれない……』
「違う。遅くはなったけど、あなたのために正義を貫いてくれる人は必ずいる!!」
誠弥は力を込めて叫んだ。
生まれてこの方、これほど力強く叫んだことなどない。
喉が破れそうだ。
だが、今は、哀れな彼女に声を届かせたかった。
紗羅は羂索を収め、千恵理は刀を持ったままだが下がった。
彼女たちが目を見かわす。
ここは誠弥に任せようと判断したようだ。
『でも、私、もう……死んで……』
「確かにあなたが亡くなったのは残念だ。だけど、また機会があるかもしれない。人間に生まれかわって、今度こそまっとうな人生を送れる機会が。でも、このまま悪霊としてこの世にしがみついていたら、その機会もなくなるんだ!!」
今や霊体となった市原愛実が、じっと誠弥を見た。
『でも、でも、私……』
「大丈夫。見ていて」
その誠弥の言葉には根拠があった。
けたたましいパトカーのサイレンが、遠くから急速にこちらに近付いてくる。
紗羅が別な印を結んだ。
「摩利支天法!! オン・マリシエイ・ソワカ!!」
学校の門前に、パトカーが数台急停車した。
中からばらばらと、警官が降りてくる。
「あ、お待ちしてました!! こちらです!!」
背後で、平坂が警官たちに向かって手を上げた。
やや駆け足で、警官が彼と、彼の前に座り込んで呆然としている、糸井校長と佐藤教諭を取り囲んだ。
陽炎の神摩利支天の力に護られた、誠弥たちオカ研部員と、輝く不動行者加護の炎、諸天救勅の光の壁は、警官たちの目に入っていない。
「よく見ていて。あいつらが断罪されるところを」
千恵理が、すぐそばの市原の霊体に囁いた。
「……あの小娘が悪いんだ……生意気に俺を拒むから……」
ぶつぶつと、糸井校長はうわごとのように呟いていた。
その様子に、警官たちが眉をひそめる。
「殺すしかなかったんだ……親に言うなんて言わなければ殺すまでは……」
「俺は……俺は、校長の言う通りにアリバイ工作をしただけで……」
その言葉は、糸井と佐藤の口からそれぞれ、明瞭に放たれた。
「18時16分!! 被疑者自白!! 逮捕!!」
「18時16分、逮捕ー!!」
警官たちが宣言し、糸井と佐藤、それぞれの手首に手錠がかけられた。
そのまま、まさに引っ立てられるように、糸井と佐藤は警官たちによって、パトカーに引きずって行かれた。
『あ……』
市原が、その光景を見て目からぼろぼろと涙をこぼした。
だいぶ外見んが人間らしく戻っている。
「警察で事情を説明してくる。こっちは上手くやるから、後は頼んだ」
通報者ということになっている平坂は、部員たちにそう囁くと、警官たちと共にパトカーに乗り込んだ。
「……あなたのご遺体が、山中で見つかったんです。その上、警官の前であれだけはっきり自白しては、言い逃れはできないでしょうね」
術法を解いて、紗羅は今や一人の少女の霊体となった市原に、そう告げた。
「市原さん。あいつらは殺人罪と殺人ほう助で起訴されるはずだ。簡単には出てこれないよ。あなたの仇は、司法が取ってくれるはずだよ」
誠弥が、一言一言区切るようにきっぱり言い切ると、市原の霊体は顔を覆った。
『私……これからどうすればいいのかな……』
「大丈夫。迎えが来るはずですよ」
紗羅は頭上を見上げた。
ふわりと、かぐわしい、いい匂いが漂う。
天上から、全身が光に包まれた美女が、優雅に舞い降りてきた。
「にゃあ。天女って人たちかにゃあ?」
手持無沙汰そうな顔をしていた、猫形態の礼司が、とことこ歩み寄ってきた。
見る間に、舞い降りてきた数柱の天女たちは、市原の手を取った。
そのまま、頭上から差す金色の光に包まれて、市原は天へと導かれていった。
後には、静まり返った夜の初めの校庭が、うっそりと広がっているばかり。