オディラギアスが荷物をごそごそやり始めた時、背後から監視の衛兵が「何をなさっているのですか!!」と硬い声をかけてきた。
「なに、これだ」
オディラギアスは、小さな盆に見えるものと、革の袋を取り出した。
「仲間にもらった遊び道具だ。退屈なので、教わった占いでもしようと思ってな」
彼が盆の中に、やや飴色を帯びた骨の骰子を取り出すと、衛兵はぷっと噴き出した。
咄嗟に、咳払いをして誤魔化していたが。
何も知らず定位置に戻る衛兵を尻目に見ながら、オディラギアスはサイドテーブルにダイストレーを置いた。
手の中で暖めるように骰子を転がしながら……
ころりと、投じる。
ころろん。
快い音を立てて転がった骰子の目は――8。
どさ、という音がした。
入口脇に立っていた衛兵が、嘘のように倒れていた。
軽いいびきが聞こえてくる。
同時に、すいっと、自らオディラギアスの手に戻るかのように、日輪白華が出現した。
「よしよし。これがないとな」
レルシェからの最初のプレゼントをあの馬鹿な父親に取り上げられるとは、気分悪いものだったな。
ぎゅっと、彼は柄を握りしめた。
『成功だ。上手くいった』
オディラギアスは、まだ繋がっているテレパシーで、仲間たちに語り掛けた。
『おめでとうございます。さ、早くお母様を。船はすでに用意いたしましたわ。みんな乗り込みました』
レルシェントの声がそう促して、オディラギアスは手早く荷物を腰に巻き付けた。
そのまま倒れている衛兵の脇をすり抜け、ドアから表へ。
レルシェントが事前に教えてくれていた通り、城内は森閑としていた。
人がいない訳ではなかろう。
皆、眠りこけているのだ。
足音を忍ばせる必要もなく素早く、オディラギアスは妾姫たちの部屋が連なる後宮エリアへと忍び込んだ。
記憶にある、片隅の小さな部屋のドアをノックする。
「オディラギアスなの?」
軽い足音と共に、ドアが開いた。
内側からの光に照らされて、白い肌に薔薇紅の鱗の、並外れて美しい龍震族女性が現れる。赤い羽毛の翼、優雅な螺旋を描く角、紅の艶やかな髪、そして曲線豊かな肢体は、まさに空間に薔薇が咲いたような華やかさだ。
「母上、お待たせいたしました。お迎えに上がりました」
オディラギアスは、仕草で母親を促して、部屋の中に入った。
「ねえ、頭の中で、声がするの。あの、あなたのお友達と……あなたが愛している方の……声」
不意討ちでそんなことを言われて、オディラギアスは母親を振り返った。
自分は今相当に妙な表情だろう。
顔が赤いかも知れない。
「ああ、それは……念話、という、霊宝族の方々の使う術ですよ。心の声を、特定の相手に届けるというものでして」
魔物の類が悪戯しているのではありませんゆえ、心配いりませんよ。
初めての経験に動揺しているらしい母親に、オディラギアスは微笑みかけた。
「さあ、母上、旅の支度を。もう、ここには戻らないおつもりで」
早口で促すと、スリュエルミシェルはうなずいた。
「もう、支度はしてあるわ。ここにあるもので、持っていきたいものなんて大してないし」
そう言って母が指した荷物は、なるほどごくささやかなものだった。
「もう、仲間が外で待機してくれています。さあ……」
「ねえ、オディラギアス」
窓から出ようと促す彼に、スリュエルミシェルがそっと手をかけた。
「……母上?」
「あの、レルシェントさんという霊宝族の方のこと……本気で、愛してるの?」
いきなり問われ、オディラギアスは頭をかき。
「……はい。愛しております。できれば妻になってほしいと、本気で」
途端に、ぼろりとスリュエルミシェルの目から涙のしずくがこぼれた。
「はっ、母上……!?」
いきなりのことに、オディラギアスはぎょっとした。
どうしてここで泣くのか、さっぱりわからない。
母は、行動に筋を通したい人だった。
理不尽なことで誰かを困らせるのが大嫌いで、オディラギアスは母親から、理不尽な怒りをぶつけられる、といった、子供の多くが経験しがちなことを経験させられたことがなかった――代わりのように、父親からはたっぷり経験させられたが。
「……嬉しいの」
「嬉しい?」
オディラギアスはきょとんとした。
「あなたが、まともな恋をしたのが」
涙をたたえた目で、スリュエルミシェルは、とっくの昔に自分より大分大きくなった息子を見上げた。
「……私が白い体に産んだせいで、あなたは恋なんてできないと思っていた」
きゅっと、スリュエルミシェルの手がオディラギアスのたくましい腕を掴んだ。
「白い鱗のせいで、あなたはいつもつまはじきで……でも、そんなことを気にせずに、あなたを愛してくれるひとがいたのね……」
スリュエルミシェルは、息子を強く抱きしめた。
オディラギアスは、母を抱きしめ返し。
「ええ。私はもう、一人ではありません。レルシェも、仲間たちもおります。彼らとの旅は素晴らしいことの連続でした。ぞっとすることも、確かにありましたが」
ぎゅっと、彼は更に母親を抱く手に力を込めた。
「母上、あなたにゆっくりお話したい。改めてレルシェも、皆も紹介したい。皆、母上に興味津々なのですよ」
特にレルシェが、と告げると、母はわくわくした顔になった。
「わたし、霊宝族は記録で知るばかりで……是非、お話したいと思っていたの。わたしたち龍震族をあの方々はどう思っておられるのかしら……」
母らしい知的好奇心の強さに、オディラギアスは微笑みが顔に上るのを感じた。
「種族の総意として、思っているほど、敵意を抱かれてはいないようです。寿命の長い彼らにとっても、流石に三千年は過去のことなのですよ。ごく一部、偏狭な者はいるようですが、問題になるほどではないようですな」
レルシェントから聞いていたことを告げると、母は笑顔になった。
『オディラギアス!! スリュエルミシェル様!!』
脳裏に声が響いた。
窓の外を見ると、夕映えの中に、優雅な曲線の空飛ぶ船が、悠然と浮かんでいるのが見えた。