3-4 寿司とみんなの素性

「へい、お待ちっ!!」

 

 どん、と目の前に突き出された「それ」を見た時、全員が息を呑んだ。

 

 上質な材料で丁寧に仕上げたのであろう、爽やかな酢飯の匂い。

 そして、その上に鎮座する、つややかな白身の魚の切り身。ぷりっ、と擬音が付きそうなほどに、新鮮である。

 

 その横、それぞれの席には、魚のアラを使った味噌汁が湯気を上げている。

 丁寧に、ネギまで散らせてあった。

 

「こっ、これは……!!」

 

 思わず、イティキラが沈黙を破った。

 

「寿司……スシ……SUSHI……!? マジなの!?」

 

 それを出した人物、ニレッティア帝国出身の商家の三男坊であるはずのジーニック・マイラーは、にこやかに白い歯を見せた。

 

「マジでやすよー。いやぁ、前から材料さえ揃えば、この世界でも寿司が作れると思っていたんでやすがね。こういう場でこういう形で、皆さんのような方々にお披露目できるたあ、思いもかけないことでやしたよ!!」

 

 上機嫌で全員の席に高級そうな握り寿司が乗った皿を配り終えたジーニックは、更にこう付け加えた。

 

「向うの世界で、昔取った杵柄!! さあ、元の世界の味を味わって下せえ!!!」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 一行は、とにかく、遺跡内部に入った。

 話さなければならないこと、山積だ。

「現実世界《向うの世界》」と「|神々の遊戯場《こちらの世界》」のこと。

 自分たちは、本当は何者か。

 今、何が起こっているのか。

 

 かくして、遺跡そのものを探索する前に、入口すぐの小部屋に、全員が集まった。

 小部屋と言っても遺跡の規模からすれば、の話で、大きさそのものは、オディラギアスの住居となっているスフェイバ城塞の並の一室くらいはあった。

 

 そこでレルシェントが取り出したのは、一見すると、掌より大きな、木材の上に貴金属と宝石の細工を施した、霊宝族様式の華麗な小箱だった。

 その小箱を石の床に置き、蓋を開けると、一瞬で、華麗なアーチを描く石とタイルの門が実体化した。

 驚くことに、その門扉の内部を覗き込むと、到底その小部屋に収まりきらないような広大な庭園と、これまた霊宝族様式の華麗な宮殿のような建物が見えた。

 元の世界の記憶に基づいて言うなら、古いアラビアの宮殿を改装した高級ホテルのような雰囲気。

 

「ソウの庭園」。

 その魔導具《まどうぐ》の持ち主であるレルシェントは、そう表現した。

 

「私が発明した魔導具ですのよ。空間を折り畳み、少し細工することによって、住居そのものを持ち運びできるものですの。野営するにはテントを張ったりしなくてはならないけど、これなら箱の蓋を開けるだけですわ」

 

 その内部、宮殿のような建物も魔法に満ちていた。

 まるで見えないメイドが常に立ち働いているかのように、即座に人が投宿できる状態に、室内は整えられている。舞台のような大きなベッドは綺麗にメイクされ、丁度いい湯加減の湯をたたえた浴槽は、いつでもピカピカだ。

 まさに霊宝族様式の宮殿であるその建物には、無数の広い部屋が付属し、レルシェント始め六人には、まるでホテルのように、それぞれ部屋が一つずつ宛がわれた。

 

 六人は、部屋に自分の荷物を置くと、大きな石のテーブルの設置された、風情ある中庭に集まった。

 青い水連の浮かんだ池があり、様々な――地上種族五人にとっては――珍しい花木の植えられたその庭の上空には、不思議なことに、抜けるような青空が広がっていた。

 ここは屋内も屋内、遺跡の内部のはずではないか? と訝る仲間に向けて、レルシェントは、空間をいじればこういうこともできる、と説明した。

 

 彼ら六人が顔を合わせ。

「あの世界」のことを話そうか、何から話すべきかと逡巡した、その時だった。

 

 ジーニックが言い出した。

 

「今、そっちの厨房見せてもらったら、米と炊飯器らしきモノがありやすね? 勝手に漁ってすいやせんけど、米酢らしきものと、冷蔵庫っぽいモノの中にゃ、碧海イナダらしき魚が放り込んであるじゃないでやすか!! ……あの、あっしの素性を説明するためにも、ちょいと使わせてくれないでやすかね!?」

 

 早口でまくしたてられて、レルシェントはあっさり諾の返事を返した。

 食料は全部、この魔導具での野営に備えて周辺で買い込んで備蓄していたものなので、使ってもらわなくてはむしろ困る。

 

 米と大型炊飯器。

 木桶と、米酢。そして、自動で風を起こす魔導扇風機と木べら。

 更に用意された、今が旬の碧海イナダと一番鋭利で長い包丁。

 

 それで小一時間、作り出されたのが。

 

「こっ、これ……寿司か!? マジィ!?」

 

 ほとんど悲鳴じみていると言えるほどの驚きの叫びを、ゼーベルは迸らせていた。

 

「いや……寿司だな。しかも、これは回っていない方の寿司だぞ」

 

 それなりにこの世界の高級料理には慣れているはずのオディラギアスがまじまじと「それ」を見詰めた。

 

「……かなりの高級品としか思えん。あの世界で、何度か、そういう店で接待したことがあるからな。その品質だ……」

 

 その言葉に、ジーニックが得意げにむふふと笑った。

 

「銀座で修行してた寿司職人を、見くびってもらっては困るでやんすよ!! さ、元の世界に限りなく近い味、ご堪能くだせえ!!」

 

 遠慮なく、いただきます、と箸を付けた者たちから。

 

「うわぁっ!! 美味しい!! お寿司だよ、確かにお寿司だこれぇっ!!」

 

 マイリーヤが裏返った感嘆の声を上げた。

 

「……イナダに似てる魚だからって仕入れたのだけど……これは……本当にイナダのお寿司だわ!! シャリも、あのシャリよ!! 美味しい!! 高級店の味だわ!!」

 

 レルシェントが体裁も放り出した感動の声を上げると、ジーニックの笑いは深くなる。

 イティキラに至っては、声もなかった。

 ひたすらにもぐもぐ可愛い口を動かし、寿司を詰め込んでいく。

 誰よりも速いペースで、イティキラの寿司は皿の上からなくなっていた。

 

 しばらく、寿司談義に花が咲いた。

 すでに、「あの世界」から来たことを、隠そうとする者はいなかった。

 

「……私は、あちらの世界では銀行勤めのサラリーマンというやつだった」

 

 オディラギアスが、食後の茶――流石に緑茶ではなく紅茶だったが――をすすりながら、そう呟いた。彼が口にしたのは、日本在住なら誰でも名前くらいは聞いたことがあるであろう、大手の銀行だ。

 

「割と運のいい方の人生を歩んできた方だと思うのだが――しかし、ある時を境に記憶がない」

 

「太守様もそうでいらっしゃるのですわね。あたくしも、ある時期からの記憶が……仕事は、電機メーカーの設計士だったのですけれど」

 

 レルシェントが口にしたのも、有名な企業名だった。

 

「……あたいは、F県のスポーツジムのインストラクターだったよ」

 

 まだ名残惜しそうに指を舐めながら、イティキラが呟いた。

 

「ボクは、食堂の娘。普通に短大生だった。イティキラは……そこのお得意さんだったんだよね。だから、前の世界から、友達だったの」

 

 ね、とマイリーヤとイティキラが顔を見合せる。

 ほう、と声が上がる。

 

「俺は、K県で自動車の整備工やってた。ま、どうにか食っていけるくれえ……だったな」

 

 何かに悩んだ様子で、ゼーベルが告白した。オディラギアス以外に話したことがほとんどない、その話を。

 

「あっしは、今しがた皆さんがご覧になった通り、東京の寿司職人見習いでやしてね。言われてみりゃあ、確かにある時期から記憶がないんでやすよ。あの……」

 

 ジーニックが口に出したのは、夏も盛りのある時期。

 戦争に関する記憶が刺激される、そんな時期、ふつっと途絶えた記憶。

 

「みな、あの夏を最後に、向うの世界の記憶がない訳か」

 

 オディラギアスが全員の顔を眺めまわした。

 不安と困惑と当惑が入り交じっているような、その顔を。

 彼自身、内心似たようなものであったが。

 

「そして……その記憶を持ったまま、この世界で、それぞれの種族に生まれ変わった訳ですわね」

 

 レルシェントが穏やかに、そして確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「その記憶を共有する誰かに巡り合うまで、相当周囲に変な顔をされたり、結果口を閉ざしたり」

 

「そう!! まさにそうなんだよ!! オディラギアス様に出会わなきゃ、俺はおかしくなってたかも知れねえんだ!!」

 

 ゼーベルが叫ぶ。

 

「ボクもさ……イティキラとだけ、秘密を共有して、静かに過ごしてた。でも、故郷の村が、傭兵崩れの野盗に襲われて……そんな時に、レルシェに助けてもらったんだ」

 

 マイリーヤが思い切ったように口を開く。

 

「レルシェにあった時、正直、何だ、この化け物は!! って思った」

 

 イティキラの正直な一言に、レルシェントが苦笑する。

 

「でも、話していくうちに、『あの世界』の記憶を持ってる人だって分かって……で、行動を共にすることになったんだ」

 

「……あの、もしかして、女子組三名さんが組んでこのスフェイバに来た理由って……その記憶に絡んでたりしやせんかい?」

 

 鋭く目を光らせながら、ジーニックが詰め寄った。

 

「無茶苦茶凄い占いの機械を探しに……って、戦争どうこうとかではなくて、この記憶がどこから来たのか、とか、そういうことを教えてもらうため、じゃないんですかい?」

 

 レルシェント、マイリーヤ、イティキラがうなずき合う。

 レルシェントが口を開いた。

 

「実は……そうなんですの。あたくしどもがこのスフェイバに来た本当の目的は……」

 

 レルシェントは、一拍おいて息を吸った。

 

「全ての知識を与えてくれるという、神々の秘宝。『全知の石板』を探し出すことなのですわ」

 

 驚愕と、妙な納得。

 深いところで震える地震のような衝撃を感じながら、六名は互いを見つめ合っていた。