9-10 ルゼロスの新王

「アンネリーゼ陛下。私は、過去を蒸し返し、あなた様を始め過去に遺恨があった方々との溝を、更に深めるようなことをしたくない」

 

 ルゼロス王オディラギアスは、きっぱりそう口にした。

 

「過去を清算し、未来の話をしたいのです」

 

 壁一面に星暦時代様式の古雅な彫刻を施された、スフェイバ王宮の会見室。

 大きな窓がある割には、風は暑すぎも寒すぎもせず、そして強すぎも弱すぎもしない。

 かぐわしくも爽やかな香りが、ふぅわりと漂い、落ち着いた気分にさせてくれる。

 ニレッティアの人間族の活気から生まれたにぎやかな雰囲気とはまた違った玄妙な空気に、アンネリーゼはそわそわするような不思議な高揚感と、妙な安らぎめいたものを感じた。

 

 据えられた家具は、恐らくメイダル産の特注品なのだろう、不思議な機能を備えていた。

 一見すると王宮の会見室に相応しい華麗な椅子は、目の前にニレッティア組と向かい合うように座ったルゼロスの六英雄たちの種族的体型に合わせて、するりと魔法のように変形したのだ――いや、魔法なのだろうが、あまりにさりげなく使われている高度な魔法技術に、特に宮廷魔術師長カーダレナなどは目を白黒させた。

 彼女が思わず洩らした「こんな無茶な椅子、一脚作るだけでも、ニレッティアなら貴族のお屋敷一軒分くらいはしますよ!!」という悲鳴は、全く誇張も何もない事実だった。

 

「いやいや。お言葉でやすがね、高貴なお歴々。こういう椅子、メイダルではどこに行っても当たり前のように置かれていたでやすよ? 逆にメイダルの方々に、魔力変形椅子でないものがないのに、他の種族のお客様を呼ぶの? ってね」

 

 そう言われて、自分の常識が覆ったでやすよ。

 自分でも思いもしないうちに、自分の種族、人間族基準で考えてたんだなあって、ね。

 

 そう懐かしいルフィーニル訛りで口にしたのはジーニックこと、マイラーサヴィール公爵。

 

「ついでに申しやすと、ニレッティアでの家具と同様、値段もピンからキリまでありやしてね。要するに、こういう機能が付いたものを、メイダルでは一般に『椅子』と呼ぶだけでやして」

 

 ジーニックの口が軽いのは、つい先ほど、女帝アンネリーゼと、新しい情報長官となった皇女ウェルディネアに、ニレッティアの施策のせいで、彼が非道な目に遭った、そのことを丁重に詫びられたせいだ。

 

「アンネリーゼ陛下。椅子がいい例ですが、日常の生活レベルそのものが、メイダルとこの地上では、まさに天地の差なのです」

 

 オディラギアスは静かな落ち着いた声で、そう口にした。

 

 しばらく見ぬ間に、貫禄が出て来たわい、別人のようじゃな。

 アンネリーゼは威風堂々というべきオディラギアスの王者ぶりに舌を巻いた。

 あの、鉄鎖に繋がれた不幸な龍震族はもういない。

 ここにいるのは、白き英雄王。

 

「私は妻に連れられて、彼女の故郷メイダルに赴くことができましたが、かの国では、我ら地上種族が奇跡と呼ぶようなことが日常だったのです。我らが生活に付き物の辛苦と思い込んでいることのかなりのものから、かの国の民は免れていました」

 

 ふうっと深い溜息が、彼の口から洩れた。

 

「それは当然、我らが遺跡の脅威に削られ、かの国は空の上で安泰だというのもあるのですが、それにしても元になる文明の水準があまりに違う。それに政治的な水準や、民度といったものもです。私は遺跡の脅威を取り除くのと同時に、こういう方面も何とかしたかった」

 

 アンネリーゼはうなずいた。

 目の前の凝った細工のテーブルには、ルゼロス産の茶葉とミルクを使ったミルクティー。

 あまりに美味なので驚いたところだった。

 これも、ルゼロス全土で遺跡の脅威を取り除き、そしてメイダルの魔法技術の力を借りて、作物の速成栽培を行い、全土での食糧不足を一気に解消したオディラギアスの政治力の賜物だ。

 もちろん、メイダルからの多くの若手技術者を中心とする移民を受け入れ、引き換えるように全面的な支援を受けたことは言うまでもない。

 

「誠に失礼ながら、ルゼロスの先代国王陛下の治世は昏かった。社会は疲弊し、人心は荒廃しておられた。それを何とかなさるのも、大変であらせられましょうな?」

 

 さりげなく水を向ける。

 この辺りをどう乗り切るかは興味があった。

 

「我が国には、『貧しくなれば愚かにもなる』ということわざがございます、アンネリーゼ陛下」

 

 オディラギアスが、哀し気に溜息をつく。

 憂い顔の美男王は、なかなか見ごたえがあった。

 

「我が父王の悪政のせいで、遺跡に圧迫される以上に、民の人心は荒んでいた。しかし、それを癒したのは、実は、まさに遺跡なのです」

 

「ほう? そう、申されますると?」

 

 アンネリーゼは身を乗り出す。

 背後では秘書役のシャイリーンがペンを走らせている。

 オディラギアスが、わざわざ人の手で記録する必要はなく、こういうものがありますよ、と、メイダル産の「ボイスレコーダー」なるものをプレゼントしてくれたが、一応の用心だ。

 

「我が国は、遺跡の解放のため、メイダルからの移民を受け入れました。民度の高い彼らの影響で、我が国の民の人心にも、余裕が出て来たのです」

 

 それに何より、と、オディラギアスは言い募る。

 

「我ら地上種族が『霊宝族の武器』と呼ぶ、魔導武器ですが、これが、実は犯罪の抑止に繋がったのです」

 

「どういうことなのじゃえ、オディラギアス陛下?」

 

 妙な話ではある。

 強烈な武器が、むしろ犯罪の抑制に繋がるとは。

 

「……レルシェント。私より、そなたが説明してくれた方がいいだろう」

 

 オディラギアスが妃を振り返った。

 

「ええ……では、不肖あたくしからご説明させていただきますわ、アンネリーゼ陛下」

 

 にっこりと、レルシェントが微笑む。

 

「この魔導武器というものは、実は、魔物を倒した時に得られる星霊石を、ある術を使って我が女神オルストゥーラに捧げることにより、引き換えに与えられるものなのですわ」

 

「なんと!!」

 

 衝撃の真相に、アンネリーゼは目を見開き、彼女に付いてきた一行、特に宮廷魔術師長カーダレナが爛々と目を輝かせた。

 

「人の手によるものではない、女神の奇跡の凝った武器ですから、当然、それを得る者は、女神の意に叶った者でなくてはなりません。どんなに大量の星霊石を集めても、心悪しき者には、決して魔導武器は与えられることがないのですわ」

 

「すると」

 

 声を上げたのは、皇太子ラーファシュルズ。

 

「犯罪者の類には、魔導武器は与えられないということですか?」

 

「必ずしもそうとは決まっておりません。人の法と、神の法は完全に重なるものではありませんから。しかし、誰が見ても許されざる邪悪な者が、例え人の世界の裁きを免れていたとしても、魔導武器は与えられないのです」

 

 レルシェントは静かに説明した。

 

「つまり」

 

 ウェルディネアが念を押した。

 

「ルゼロス国民の方々は、魔導武器を手に入れたいがために、犯罪的な行為を控えるようになった、と……?」

 

 レルシェントはうなずく。

 

「そういうことです。特に、性犯罪の類は劇的に減少しました。女神オルストゥーラは、母性を重んじ、それを傷つけるような行為を容認いたしませんので」

 

「なるほど。理解できます。納得性がありますね。神の武器を手にするには、清廉な戦士でなくてはならない、というのは、龍震族の方々の琴線に触れるでしょうね!!」

 

 納得した!! という声を上げたのは、宮廷魔術師長カーダレナ。

 

「まさにその通りです、カーダレナ殿。根っからの戦士である龍震族は、武器のために身を慎むようになったのですよ」

 

 オディラギアスが妻の後を受ける。

 

「魔導武器は、入手後も、持ち主が女神の法に触れるようなことを行なえば、持ち主を拒絶して自ら壊れる、と言います。入手のため、更にはその後の管理、そして武器の成長のため、我が民は悪辣な行いを避けるようになったのです」

 

「んっ……? 成長? 今、武器が成長すると仰せになりましたか、オディラギアス陛下!?」

 

 カーダレナが頓狂とも言える声を上げた。

 

「やはり、伝説にある通り、霊宝族の武器――魔導武器は、生き物のように成長するのですね!?」

 

 オディラギアスとレルシェントが、顔を見合わせて笑った。

 

「ええ、よくご存知でいて下さいました、カーダレナ様」

 

 レルシェントが再度説明を始める。

 

「使い込むうち、魔導武器は持ち主の魔力を受けて成長いたします。より強力になっていくのです。新しい特殊能力も発現いたしますし、また、持ち主の魔力に深く共鳴し、それを引き出します。まさに『魔導』武器なのですわ」

 

「そして、その武器を与えてくれた霊宝族系の方々に、我がルゼロスの民はすぐ親愛の情を抱くようになりました」

 

 オディラギアスの顔には、満足な表情が浮かんでいる。

 

「同時に、遺跡を解放する能力を持った霊宝族系の者たちと共に、遺跡攻略に挑んだことも、両者の距離を接近させました。我が龍震族の一般的な考えでは、共に戦えば戦友、戦場で同じ釜の飯を食えば家族同然ですからな」

 

 単純明快ですが、この戦士的倫理観が、この場合は良い方に転がりました、と新しき王は微笑んだ。

 

「私と妻の関係もあるでしょうが、龍震族の多くが、メイダル系の方々を信用するようになりました。何だ、いい奴らじゃないか、恐ろし気な御伽噺なんて、やっぱり御伽噺なんだな、という訳です」

 

 私が拍子抜けするほど、ルゼロス系とメイダル系の間のトラブルは少ないのですよ、と更に彼は笑う。

 

「多分、ニレッティアでも同じことができるよ。アンネリーゼ陛下!!」

 

 不意にそう声を張り上げたのは、サジェネラージャン公爵となった、マイリーヤだ。

 

「フォーリューンの森、あの中に遺跡があるでしょう? ボクらの故郷、あそこに移ったんだ。遺跡の力で、色々魔法薬作れるよ!! 陛下のお姉さまの御病気、確かあそこの薬で治したんだよね?」

 

 アンネリーゼが目を見開く。

 

「やはり、遺跡を使いこなしていたのかえ……ああ……」

 

 つい先ごろ、姉が救われたその奇跡の薬の出どころが、フォーリューンの森だとは聞いていたが。

 

「メイダルの人たち、フォーリューンの森にすっごい興味をもってるよ。元々、霊宝族の人たちが作った森だしね。あそこの薬草、いい輸出品になると思う。とりあえず、ハゲ治る薬とかは、国内でも販売すべし!!」

 

 自信満々のこちらは、ゼウニノーシエル公爵たる、イティキラだ。

 

「アンネリーゼ陛下さんよ、おたくのお国では、教育が行き届いているだろう?」

 

 と唐突に言い出したのは、ドレドシアーエン公爵たる、ゼーベル。

 

「教育のベースができているところだったら、メイダル式の高度教育法が使えるぜ。魔力で情報を、脳みそに直接送り込むやつな。俺、それで新しい魔導具のレシピ、200くらい覚えたぜ」

 

 アンネリーゼの目が光る。

 これは。

 これこそが、ルゼロスに対するアドバンテージになると確信する。

 

 陛下ァ!!

 今すぐメイダルに行きましょうよォ!!

 

 と狂喜しているカーダレナを横目で見ながら、アンネリーゼは素早く策を組み立て。

 そして口を開いた。