「おお……」
「おおお……」
「「おおおおお……!!」」
今の今まで会ったこともないはずの二人は、はっし、と、肉球を合わせた。
片方は、豹の下半身で金髪の獣佳族の少女。
もう片方は、はるかな夏雲のように淡い青の不思議な毛皮の獅子の下半身、そして、額に雲耀石を持つ獣佳族と霊宝族の混血種族、霊獣族(れいじゅうぞく)の男性。
◇ ◆ ◇
その霊獣族男性が店内に入ってくると、入口近くのテーブルに座っていた若い霊宝族女性二人組――とは言っても、霊宝族に「老化」に当たる現象はほぼ存在しないので、本当に若いかどうかは分からないのだが――が、「ハルウェリシェリシャ先生!! 握手していただけますか!?」と立ち上がった。
ふわり、と珈琲の匂いに混じった花の香りに、ふと首を傾げたのはジーニック、そしてイティキラ。
「あのー、ウェイトレスさん」
イティキラが、そのクラウドブルーの霊獣族の方を窺いながら、追加で注文した珈琲を持ってきた霊宝族女性に、そっと囁きかけた。
「はい、お客様。追加のご注文ですか?」
鮮やかなレモンイエローのシトリンを額に戴いた色っぽくてキュートな霊宝族の女性は、穏やかに微笑んだ。
「いや、それはまだ……あの、蒼い毛皮の……人、有名人なの?」
霊宝族女性二人が、興奮した様子でその霊獣族男性と握手を交わす様子を窺いながら、イティキラは尋ねた。
「ああ、あの先生は、ネット上での有名人なんですよ。ハリウェリシェリシャ・コウゼスト・ザヤネイト先生」
くすくすと、そのウェイトレスは笑った。
驚くべきというか当然というか、このメイダルにはネットが存在する。電話線や光ファイバー、電波で通信するのではなく、指向性魔導力で通信するのだが、そういうことを除けば、仕組み自体は元の世界のネットと変わらない。実際、この世界でも「ネット」で通じる。
「本業は、この近所で開業しているお医者さんなんですが。異種族排斥主義の差別者の言動を、パロディにしてからかった『肉球宣言』っていう文章を発表して有名になられましてね。私も読みましたけど、笑いましたねえ。皮肉が効いてて、ユーモアがあって」
ウェイトレスの女性の口から飛び出した、耳慣れない宣言に、イティキラはジーニックと顔を見合わせた。
「……『肉球宣言』って、何でやんすか、それ?」
思わず尋ねたジーニックに、
「ああ、純血霊宝族の中で、額の宝石を殊更ひけらかして他の種族に差別的言動をする人たちがいるんです。残念ながら。で、その人たちがよく口にする『額の宝珠の優越』をもじって、『足の裏の肉球の優越』って皮肉ったんですよ」
思い出したのか、ウェイトレスはくすくすいいながら肩を震わせた。
「『肉球は聖なるものである』とか『肉球なき者たちは劣っている!!』とか。差別主義者の言動をパロッてけちょんけちょんに笑いものにしましてね。当然差別主義者の人たちは怒りましたけれども、大部分の方々に拍手喝采されまして」
一気にスターですよ、とウェイトレスは教えてくれた。
ほへー、とイティキラはその人物を改めて見やる。
よく見ると、彼が歩むたびに、脚の裏と地面の下に空間ができている。
宙に、浮いているのだ。
そして、その脚の下に、踏み出すたびに、ふわりと白い蓮に似た花が咲く。
そのまま足を進めると、また踏み出した真下に花が咲き、前の花はどこへともなく消える。
柔らかい花の香りは、その足の下に咲く花から漂っているようだ。
レルシェントから、前々から聞いてはいた。
が、実際見ると、妙に感動する――これが、霊宝族と獣佳族の混血種族、「霊獣族(れいじゅうぞく)」
何だか、足の裏の肉球を、色んな人にふにふにしてもらってご満悦のそのスター。
イティキラは、メイダルって、うちの故郷より、ある意味平和かも……と思わずしげしげ見詰めた。
ふと、イティキラの視線に気付いたのか、ハリウェリシェリシャが顔を上げ――目が合うと、にっ、とほほ笑んだ。
そして。
むにっと、今の今まで花に押し付けられていた足の裏――肉球を、高々と掲げ。
「おお」
たたたっ、と、近寄ってきた。
「おおお……!!」
思わず嬉しくなって、自らも肉球を掲げるイティキラ。
何やってんの。
「「おおおおお……!!」」
駆け寄ってきたハリウェリシェリシャと、ハイタッチの要領で、肉球を合わせるイティキラ。
「肉球!!」
「肉球だ、地上の友よ……!!」
「お花の香りの肉球……!!」
何かが通じ合っている獣どもに、ジーニックが
「……何やってるんでやすか?」
と怪訝な顔を見せたが。
◇ ◆ ◇
「む、獣佳族用肉球クリーム……!!」
ジーニックは、いつの間にかイティキラより熱心に、霊獣族のスターと話し込んでいた。
「ええ。そればかりでなく、この先に宝珠を持たない種族向けの魔導具や魔法薬を重点的に扱ってるお店がありますよ。僕は得意客なんで、紹介が効くと思います。地上で商売されるなら、ご一緒に今から繋ぎに参られます?」
ハリウェリシェリシャがそう尋ねると、イティキラが声を上げた。
「あ、肉球クリーム欲しいー!!」
「人間族の髪の色を変える薬とか、いいでやすね……一色でなくてまだらとかレインボーとかいいかも……これは貴婦人方に……いや、白髪が気になる紳士方にも……!!」
ぶつぶつ言っていたジーニックが、かっ、と顔を上げた。
「……とりあえず、『禿頭(とくとう)を克服する薬』と、『龍震族向け力魔法強化アクセサリ』は商売したいとこでやすね……お願いできるでやすか」
手帳をぱたんと閉じて、狩人の目になっているジーニック。
「……ジーニック? 目が怖いけど、大丈夫??」
イティキラが妙な空気を察知する。
「……ふっ、深くは訊かないで下せえ、イティキラちゃん。ただね……」
すうっと、息を吸い込む。
「あっしの親父、部屋の中でも、帽子被ってたでやしょう? 覚えてやす?」
「あー、そう言えば。都会の人は、年配の男の人でもお洒落だなあって、思ったけど」
彼女の言葉に、ジーニックは首を横に振った。
「いや。オシャレつうか、危ないんでやすよ」
「え?」
「髪の毛が。その。後退しててでやすね、危ないんでやすよ……」
「あー……じゃあ、その毛生え薬買い付けにってのは、お父さんの……?」
「親父だけじゃないでやす!! 今のところ大丈夫っぽいでやすけど、あっしだって、親父の子なんだから、もしかしたら、あと何年かで……!!」
ぶるっと、ジーニックは震えた。
「あー……」
「……それに、これは人間族男性の永遠の悩みでやすよ!! 一瓶飲むだけで悩みから永久におさらばできる夢の薬が、そんな、それこそ珈琲くらいの値段でなんて……!! そんな国が、あっしらの頭の上はるかに普通に浮かんでただなんて……」
ぷるぷる。
ジーニックは男性にしては小綺麗な拳を震わせる。
「悔しいでやすっ!! 先祖どもの馬鹿……っ!! 何で、楽園を捨てて、禿(はげ)を選んでしまったでやすかっ……!!」
……そういう問題じゃないんじゃないかなあ……
空気を読まない、読む気もない豪傑イティキラでも、突っ込むに突っ込めない雰囲気だった。
「じゃ、先生。お願いしやす」
ぺこっと、ジーニックは涼しい顔に戻して、ハリウェリシェリシャに一礼。
ちょうど珈琲を飲み終えた彼がうなずいた。
「ええ。参りましょう」
「あー、ちょっと商売してくるでやすっ!! 仕入れ!! 仕入れ!!」
その迫力に、仲間たちはうなずくことしかできず。
「はいはい。終わったら、お渡しした端末で連絡して下さいね?」
マーゼレラーンにそう念押しされ、そして仲間たちの呆れた視線を浴びながら。
ジーニックはイティキラを連れ、ハリウェリシェリシャに連れられて、いざ夢の薬(?)の仕入れに向かったのであった……。